2024.06.12

いかにして水辺の敷居を下げるか?

総合エンターテインメント企業が新事業で構想する、利用者にとっての敷居を下げる水辺の環境づくり

“敷居の低いミズアソビ“を体験

通常、利用者は水上のアクティビティに多かれ少なかれ、敷居の高さを感じてしまいます。水に濡れること、落水の危険性、そして普段とは違う動きを強いられることによる不安。普段慣れ親しんだ陸上生活から急に水上に出たとして、陸上と同じように振舞ってもうまくいかないことが不安を増進するのでしょう。

アクティビティを提供する側も、たくさんの人に体験してもらいたいと思う一方、安全を配慮して制限を設けなければならなくなります。

これは、SUP(スタンドアップパドル)しかり、カヌーしかりであり、水面の近さを楽しむためには、そのアクティビティなりの水面に出るためのリテラシーをユーザーに持ってもらう必要があります。もちろん、安全啓蒙は必要です(ライフジャケット着用は言うまでもありません)が、そのリテラシーを獲得することそのものが敷居を高めていた面は否定できません。

一方、昨今その敷居を下げることを目的とした水上アクティビティがどんどん生まれています。

HOBIEの足漕ぎタイプのカヌー(4人乗り)ミズベリング事務局で出張して体験してきました

HOBIEの足漕ぎカヤック(4人乗り)をミズベリング事務局で出張して体験してきました。

そのうちの一つ、体験したのはHOBIEというアクティビティ。いわゆる足漕ぎタイプのカヤックです。このHOBIE事業を統括する沼野陽人さんは、「ミズアソビの敷居を下げる乗り物である」といいます。

4人乗りのタイプに乗ると、安定感があると同時に、椅子に座るとくつろげる感覚すらあります。難しいレクチャーを受けずとも、ペダルに足を乗せて動かすと、自由に漕ぎ出せる感覚が他の水上アクティビティに比べて簡単に感じます。

乗艇するのは客だけ。舵取りも難しくなく、水面を自由に動き回れるます。

簡単なレクチャーの後、参加者だけで西湖の上に漕ぎ出す爽快さ。近いのは、上野の不忍池に浮いているボート。しかし、あの一所懸命漕がなければならない感覚ではなく、水上をスイーっと進むのは、動力となっているミラージュドライブというパドルを動かして推進する足漕ぎの仕組みが、スクリューに比べて水の抵抗が少ないからでしょうか。自転車に乗るとき、漕がなくてもすーっと前に進む感覚にも似ています。

HOBIEの特殊な推進機構を説明するHOBIE事業部の沼野陽人さん

西湖で行われる体験ツアーでは、対岸の樹海の溶岩を見に行って帰ってきました。富士山が生み出す自然の体験は、敷居を下げたミズアソビの自由さと相まって、水上利用の新たな可能性を感じることができました。

二人の男の新結合から始まった物語

このアクティビティのこのハードルが低い特徴に目を向けていた二人の男たちの出会いからこの物語はスタートします。

そのうちの一人、前述の沼野さんは、HOBIEの敷居の低い魅力を知って湘南エリアを拠点に販売を手掛けていました。水辺で事業が広がっていくと同時に必要なのが、その環境が整っていることであると言います。「以前逗子で水上アクティビティの事業をやっていた時に、国道134号線の下をくぐるトンネルがあることで、事業もできたし、利用も広がっていった。水辺の利用環境を整えることで、利用者の幅は広がっていく。水辺の利用の敷居を下げるためには、HOBIEのようなアクティビティと共に、このような公共の環境整備が不可欠だと考え、ミズベリングに興味を持った」といいます。

そんな沼野さんの元に、一本の電話をかけたのがもう一人の主人公も、この水上アクティビティのハードルの低い特徴に注目していました。その人は、総合エンターテインメント企業のアミューズの会長 大里洋吉さんです。

大里さんは、ヨットに乗って日本一周するほど水上アクティビティに親しんでいましたが、比較的最近始めたこともあって、しきたりや不文律など一方で水上アクティビティのハードルの高さに難しさも感じていました。そんな彼がHOBIEに出会った時、そのハードルの低さに惚れ込み購入し、自ら体験したのち、さらに惚れ込んで、沼野さんに電話することになりました。そんな出会いから敷居の低いミズアソビの新たなカルチャーを全国に伝えていく活動としての事業がスタートしたのです。

アミューズが西湖に移転!?

総合エンターテインメント企業のアミューズが本社を渋谷区から山梨県に移転させたのは2021年のことです。サザンオールスターズや福山雅治などが所属する芸能の世界になくてはならない会社が、東京から山梨に移転ということで多くの方々を驚かせました。

アミューズは、「心身の健康」をキーワードに、2021年に山梨県西湖にてアミューズ ヴィレッジを創設し、人々の心を豊かにする新しい コトづくりを始めることを宣言しました。

1978年に代官山のマンションの一室から始まったアミューズは、今や誰もが知る存在になりました。しかし大手になる前の創業期に体験した「新たな魅力を創り出す力」を、エンタメ企業として成功した今の会社に勤める今の社員にも体験してもらいたいと、前例のない取り組みとして、山梨県西湖に移転を決めたのはこの宣言と関係しています。しかしその場所が決まるまでには、水辺をキーワードにした想像より長い場所探しがありました。

大里会長は言います。「20代の頃、海外のレコード会社にジュリー(沢田研二)を売り込みに行った際、その事務所の一階に船着場があって、レマン湖に船で出られるのを見て聞いたんです。この船は福利厚生のためにあるのかって。そうしたら、この船は社員が通勤に使っているって聞いたんで、とにかくびっくりして。それに比べて、日本の水辺はなんて利用が遅れているんだと実感したのです」

それから50年ほど経ってもなおそのことを覚えていた大里さんは、本社を移転するにあたりさまざまな場所を見てきましたが、ここだとピンと来て西湖に決めたのだと言います。

西湖のHOBIEの桟橋はアミューズ本社のすぐそばにある

西湖の本社

本社は元ホテルをリノベーションしたもの。一階を入ると執務スペースとなっています。ここには会議室や個人ブースもあり、アミューズの社員が打ち合わせをしたり、コミュニケーションを深める場所となっています。

配信ができる撮影スタジオも完備され、ここで制作も行われると言います。

撮影スタジオ(左) 知っている人たちが来ている!(右)

「エンタメの仕事をしている人たちが、衆目を気にせず家族とゆっくりするスペースとしても価値が高い」と言います。アミューズには有名なアーティストがたくさん所属していますが、あの人かな?と色々と想像してしまいます。

宿泊施設も併設されていて、社員や関係者が宿泊を前提に本社に来ることが想定されています。

 

アミューズは依然として東京にもオフィスを設けていますが、本社移転によって「芸能事務所」にとらわれない様々な新事業を立ち上げる環境を自ら手に入れました。ここは「アイデアが生まれるラボのような場所(社員の談)」。社員も移転した本社で新たな環境の中で働くことで、これまでにない発想を得られていると実感していると言います。

ロビーに掲げられているメッセージ

そしてこの本社は道を隔ててすぐ西湖の場所にあります。西湖の魅力をもっと引き出し、その魅力をさらに多くの人に知ってもらう。

そして生まれたのが、前述の水辺の事業なのです。

 

前例にとらわれない新しい発想+ミズベリングのコミュニティ

利用者のハードルを下げる水辺の事業にとって、公共空間の利活用やその環境づくりは不可欠です。前例にとらわれない新しい発想を事業として発揮するためにも、ミズベリングのことを知る必要があったと沼野さんは言います。

ミズベリングフォーラムに参加し、ミズベリングで成果をあげている全国の事例を知ることにもなりました。西湖以外でもHOBIEの魅力を知って使ってもらう人たちに出会う機会を探していたところ、取引銀行の紹介で、越谷レイクタウンの取り組みを紹介され、そこでミズベリングに共感するもの同士の新結合が生まれたと言います。

2024/4/27に開催された越谷レイクタウンでのイベントに参加したHOBIE

ミズベリングは水辺の利活用に前向きになる人たちの合言葉であり、その価値観を共有する全国のコミュニティの名前でもあります。

ミズベリングがきっかけとなった連携によって、「敷居の低いミズアソビ」という新たな価値が広がっていくことでしょう。

西湖でもいずれミズベリングご当地会議を開きたいと沼野さんは考えています。

 

感動だけが、人の心を撃ち抜ける

 

新しいことにチャレンジする企業姿勢を見せるアミューズが大切にしている価値観、それは祖業であるエンタメ企業がエンタメ企業として見出していた以前から大切にしてきた「感動だけが、人の心を撃ち抜ける」というもの。

元体育館をリノベーションした屋内スペースに掲げられる企業スローガン

そのためには目先のことを追求するだけではなく、長期的目線で根源的なことを考える時間を持ち続ける、そのために今の立場をぶち壊してでも、創業期の頃のようなワクワクをもつ必要があると、アミューズの本社移転は教えてくれています。

IT’S COMING SOONは西湖の本社のロビーに掲げられているネオンアート作品。

この記事を書いた人

ミズベリングプロジェクトディレクター/(株)水辺総研代表取締役/舟運活性化コンソーシアムTOKYO2021事務局長/水辺荘共同発起人/建築設計事務所RaasDESIGN主宰

岩本 唯史

建築家。一級建築士。ミズベリングプロジェクトのディレクターを務めるほか、全国の水辺の魅力を創出する活動を行い、和歌山市、墨田区、鉄道事業者の開発案件の水辺、エリアマネジメント組織などの水辺利活用のコンサルテーションなどを行う。横浜の水辺を使いこなすための会員組織、「水辺荘」の共同設立者。東京建築士会これからの建築士賞受賞(2017)、まちなか広場賞奨励賞(2017)グッドデザイン賞金賞(ミズベリング、2018)

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