未来に向かってボールを投げ続けろ!~二子玉川の現場から~
1. まちづくりは暮らしに直結する「自分ごと」
気づけば「まちづくりの人」になっていた。
経済学部卒、志望していた法律書専門の出版社における企画・編集という仕事に就いた後、介護保険制度や後見人制度といった高齢化社会における社会政策(Social Aging Policies)を学ぶため、志高く米国の大学院へ留学までしたはずが、帰国後は出版社に戻らず、工業系大学のロボット研究所職員になった辺りから道がズレ始めたのだろう。育休中に(たまたま住んでいた)二子玉川の街を楽しく子連れでぶら散歩しているうちに知り得た情報をどうせなら地域に発信してみない?と声をかけられるままにローカルニュース記者になったところで、もう完全に踏み外れてしまっていた。
折しも二子玉川は東地区再開発事業真っただなか。まだ図面だけの世界で、目には見えていない新しい街について熱く語る人々が街に溢れていて、100年先の街の未来像を記事にして、タイムリーに伝えるという地域メディアの仕事に夢中になった。
大正時代から「川辺の行楽地」として屋形船や料亭、川水浴場などで栄えたこの街の記憶は、住民だけでなく、小さいころ遊びに来ていたという人々にもよき思い出として大切にされており、開発事業等のテーマへも色濃く反映されてきた。建物などにもそれらが感じられる設計・デザインが随所で見られ、その「よき街のイメージ」を未来へつないでいこうとするまちづくりの意志が、取材を通じて強く感じられて、とても興味深かった。
一方で、数値化や指標化などによる計測が難しい、その街で暮らす人々の「思い」や「愛着」をどう育て持続させていくのか。その疑問を解きたくて、地域住民主体の情報発信活動にも参加するようになり、ついに「取材する」立場に飽き足らず、「取材されるネタをつくる」側にも足を踏み入れるようになっていった。
2015年春に再開発事業が終わり、ピカピカの高層ビルが建ち並び、街の風景も人々の動線も来街者数も大きく変わり、「新しい二子玉川」が注目を集めていた2017年3月、地域の住民が記者となり企業や組織が協賛し運営するというローカルメディア「フタコロコ」の立ち上げに関わり、私はその編集長に就任した(※1)。
前年の2016年4月には、地元の自治組織である玉川町会、東急電鉄(当時)そして玉川高島屋を運営する東神開発の3者で構成されるまちづくり団体・二子玉川エリアマネジメンツにもスタッフとして参加していたから、もうこの段階で元いた道へ戻る可能性は無くなっていた。
2011年から、それほど深い考えもなく始めたローカル記者活動が、「まちづくり=デベロッパーがやること」「地域活動=リタイアした人がやるもの」という私の既存概念を一新し、「まちづくりは自分の暮らしに直結する自分ごと」へと変えていったのである。
まちづくりデビューから10年というこの節目に、「私の人生どうしてこうなった!(驚)」的な振り返りを込めつつ、二子玉川のまちづくりへの参加を経た現在の率直な思いを書いてみようと思う。
2. Mizube Fun Base プロジェクト
2015年に任意団体でスタートした二子玉川エリアマネジメンツは、2019年1月に一般社団法人化した後の2020年2月、世田谷区初の「都市再生推進法人」指定を受け、同10月には法人からの提案に基づく「都市再生整備計画(二子玉川駅周辺地区)」を世田谷区が策定。翌年2月5日の「フタコの日」には、多摩川河川敷・兵庫島公園一帯が国土交通省関東地方整備局から河川空間のオープン化区域に指定された(※2,3)。
昨年4月、この都市再生整備計画に掲げた事業うちのひとつ、多摩川の水辺で展開する「Mizube Fun Baseプロジェクト」を開始に漕ぎつけた。しかし、4/12-6/20「緊急事態宣言」、6/21-7/11「まん延防止等重点措置」、7/12-9/30再びの「緊急事態宣言」およびTOKYOオリンピック/パラリンピック開催、10/1-10/24「リバウンド防止措置」…と、断続的に新型コロナウイルスの感染拡大に伴う行動制限に見舞われ、実際の事業の実施は7月から11月末までの5カ月間だった。
「フードトラック事業」「スペースレンタル事業」「アウトドアオフィス事業」の3本柱からなるこのプロジェクトは、「豊かな自然環境を有する二子玉川の水辺の魅力を最大限に活かし、地域住民だけでなく来街者などさまざまな人々が交流・懇親し、新しい暮らし方と働き方を生み出す実験場」となることを目指すとし、実施場所を「ミズベファンベース/Mizube(水辺)Fun(楽しいこと)Base(基地・拠点)」(以下、MFB)と名付け、私たちの志を込めた(※4)。
河川空間のオープン化区域内の一角にあるMFBは、多摩川河川敷の浸水域にあり、世田谷区立兵庫島公園内の一角でありつつも、世田谷区の占用敷地範囲外(つまり国交省京浜河川事務所直轄)約730平米の土地だ。「京浜河川事務所」(河川)、「横浜国道事務所」(国道)、「世田谷区」(公園)が管理する土地に隣接している。
この記事を書いている2022年2月現在、プロジェクトの第1フェーズは無事に無事故で終えることができた。と、さらっと書けるほど平坦な道のりではもちろん、なかった。
事業の成果と課題については、2月26日に主催する「二子玉川エリアマネジメントシンポジウム」において発表する予定だ(※5)。特にアウトドアオフィス事業については、焚火台タイプの席も用意するという「攻めた」社会実験の設計になっていて、東京都市大学都市生活学部コミュニティマネジメント研究室(指導担当 坂倉杏介准教授)と共同研究契約(*)を締結し、効果測定を行っている。
(*) 「河川敷空間に設けるミーティング施設の効果に関する研究 ~都市再生整備計画(二子玉川駅周辺地区)に基づくアウトドアオフィス社会実験を事例に~」
このアウトドアオフィス利用者アンケートでは、総合的な満足度は非常に高く、利用希望頻度も高いという評価を得ている。最終評価はまだ出せていないが、利用目的への対応を明確にしたサービスを設計できれば、都市に近い二子玉川の水辺ならではの価値をつくれる可能性が見えてきていると考えている。
「Mizube Fun Baseプロジェクト」は令和6年まで続く。ここで得た経験をもとに都市再生整備計画の中で掲げる大目標「まち、都市公園、河川敷が一体となった地域のにぎわいの創出」と「啓発活動等による地域住民の防災意識と自然環境の保全意識の向上」を実現していくのだが、まさに現在、2年目のアクションについて協議中だ。
3. 見えない「線」と「壁」を越えていく
MFBプロジェクトをはじめとする、二子玉川エリアマネジメンツの事業運営において、次年度以降解決すべき課題には「官民連携」さらに言えば「官官連携」を真っ先に挙げたい。
先に述べた通り、二子玉川に限らず水辺という公共空間には、さまざまな管理主体による見えない「線」(法律)と「壁」(所有や管轄)が張り巡らされている。しかし、通常の来場者や利用者の行動や活動は、これらの「区切り」を意識しない一体的なものだから、場の設計も当然ながら現実に合わせていく必要があるだろう。
例えば、MFBに隣接する「新二子橋」。多摩川および並行する支流の野川に架かる国道246号の道路橋であり、橋長 は約578m、幅員約 33m、桁下高は約9m。この巨大な橋の下のスペースは、日差しから逃れて涼み、雨を避けて待機する場所として重宝されている。特に夏季には、大勢の家族連れや子どもたちを連れたグループが、芝生や親水路へ遊びにやって来て、歓声が響く微笑ましい風景が広がる空間だ。
しかし、その橋脚全8本16面には、落書き問題の専門家が「日本屈指の落書き天国」と嘆声を上げたほどびっしりと落書きがされている。人々の憩い場の「背景」に写るのは、「グラフィティ」とは到底呼べない、殴り書きや攻撃的な言葉が書かれた橋脚なのだ。
落書きは、多くの場合人目を避けて夜中に行われる。その後には、割れた空き瓶やアルコールの缶、大量のたばこの吸い殻やスナックの食べ残し等が散乱することが多く、焚火をした形跡もあり、日中に水辺を裸足やサンダルで走り回る子どもたちにとっては危険な場所になる。2018年9月、二子玉川エリアマネジメンツは地域有志の発意に応える形で、「居心地のよい、安全な公共空間の一体的な整備と演出」を目的として、橋脚周辺の清掃活動と壁面の美化(落書き消し)、そして再発防止のための壁面利活用(アート装飾)活動を開始した。
しかし、公共の巨大な構造物たる橋脚壁面へ「違法に」落書きするのは一瞬でも、「正当に」きれいにするためには手間と時間と知恵、そして高額のコストがかかる、という現実に早々に打ち当たった。
新二子橋下のスペースは河川区域だが国道区域でもある。橋脚壁面の落書き消し作業には、橋梁の管理者である国道事務所へ事前に作業内容の届出をしなければならない。壁面は高さ3m×幅26m、1面をきれいにするには、無償ボランティア40人であたっても約3時間。さらに、雨風等による劣化にやたら強いスプレーペンキの落書きを消すためには、高額な溶剤や用具(1面あたり約15万円)が必要なので、現状、1平米あたり約2,000円のコストをかけて行っているということになる。
落書きを消したまっさらな壁面へ再発防止を目的としたアート装飾を施すには、国道事務所だけでなく「地主さん」である河川事務所への許可申請も必要だ。橋梁は洪水時には河道内の障害物(阻害物)となる可能性が想定されており、壁面の装飾に使用したアートフィルム等も剥離に備え、事前の増水時撤去計画がセットで求められる。
加えて、壁面へのアート装飾は「屋外広告物」と見なされる。橋(橋台及び橋脚を含む)は、東京都屋外物条例第七条第一項で定められた「広告物を表示し、又は掲出物の設置」禁止物件に該当するのだが、二子玉川エリアマネジメンツが同条例第十三条第二項に定められた国又は公共団体であり、掲出物が公共的目的をもつて表示する広告物等と認められれば、所定の申請手続きにより、可能になる。ただし、その場合でも世田谷区土木計画調整課占用担当へ3カ月ごとに掲出物の設置状況の報告書を提出しなければならない…。
多くの方は、ここまで読むだけでもう「この話、まだ続くのか」とお思いだろう。要するに、「市民発意による国道橋脚壁面の継続的な美化・清掃と再発防止のためのアート装飾」という「前例を聞いたことが無い」アクションは、管理者が想定していなかった「活用」の発想に基づくから、一歩進むたびに壁に当たり、都度、線を越えるための「手形」の準備が必要になるということだ。
地域発意から足かけ約5年、これだけの手間暇を担える有志はそうそういないだろうし、いたとしたら人生のすべてを賭けるほどの情熱を持っていなければ到底続かない。
「落書き消しは所詮イタチごっこ」「落書きもアート。壁面をまるで自分たちだけの物のようにいきり立って取り締まる姿勢はいかがなものか」といった声を聞くこともあり、時に落胆したこともある。けれど、だからこそ、そういうことが起きづらい、落書きをしづらい・したくないと思える環境と仕組みを整える、それこそがエリアマネジメント法人の役割だ、と再確認するきっかけになった。
その後、多くの河川関係者や国道関係者、専門家や識者にご意見やご協力をいただき、橋脚活用勉強会の開催なども経て、私たちの努力へ手を差し伸ばしてくれるご担当者に恵まれた。現在、今年度中に「ボランティア・サポート・プログラム(以下、VSP)協定」を4者(横浜国道事務所、京浜河川事務所、世田谷区、二子玉川エリアマネジメンツ)で締結するために鋭意協議中だ。
VSPは、米国・ポートランドの「アダプト・ア・ハイウェイ・プログラム」から着想を得ており、ボランティアが道路を我が子のように面倒を見ることで地域コミュニティの活性化をも見込む。聞くところによると、VSPは国道の制度であるから、このケースのように河川事務所が締結に名を連ねるのは非常に珍しいのだそうだ。(※7)
しかし、二子玉川における協定締結の狙いは、エリア内におけるシームレス(一体的)で持続的な活動の実現だ。具体的には、各関係機関への申請・手続きなどの簡素化、各管理者間の連携推進と関係構築、タイムリーな情報交換、必要な物品等の購入・保管の負担軽減についてのアドバイス・協力を得ることであるから、区域内の管理者同士が「横の連携」でもって「見えない線と壁」を取っ払うつもりになっていただかなければ意味が無い。VSP協定が、こういったシームレスな協働の推進のきっかけとなってほしい、と願っている。
4. “Sky is the limit” 線と壁は自分の中にもある
それにしても、2020年初めからの新型コロナウイルス感染症がもたらした社会変革はすさまじかった。何しろ、これまでのまちづくりや地域振興は人々によるリアルな「にぎわい」「交流」を創ることを核に考えられていたのが、「集まっていけない」へと変わったのだから、まさに価値観の180度大転換といえるだろう。
しかし、未知なる事態に遭遇したら、心で拳を握って仲間と円陣を組めばいい。挑戦しないなんてつまらないから「中止」という名の先送りはしない。今だからこそ屋外の公共空間の価値を作っていけるのだ、という信念を貫いて、2020年度2021年度ともに、計画した事業を形や時期を変えながらもすべて実施できたことは、私たち二子玉川エリアマネジメンツの自信になったはずだ。
二子玉川エリアマネジメンツの事務局メンバーは、業務の一環として参画している会社員と、住民有志の個人事業主で構成されていて、年齢も性別も専門も立場もそれぞれ違う。お互いの立場や背景を想像し、尊重して付き合う必要があるが、一方で、だからこそ、上も下も黒も白もリセットして、鳥の眼・魚の眼・Google Earthの眼、あらゆる階層からの視点を受け入れ、物事にあたっていく必要がある。
他者に対して感じる「壁」や「線」は、実は自分の中にもある。一住民として街で暮らす中で感じる思いを封印し壁の外に置いて、所属や職務の遂行といった、一つの立場からの思考や判断、振る舞いを自らに課してはいないだろうか。
先に述べたことに矛盾するようだが、「シームレスな連携」は自身の職域ありきの発想に基づいていて、決められた一つの立場を守ったうえでの協力を求めるものだ。二項対立や区別化を極力「減らす」「緩和する」ための努力目標に過ぎない。まちづくりにおいてはむしろ、各々の心の中に存在しているさまざまなアイデンティティーのなかから、一人の「生活者」「市民」という共通の立場からの感情や思いを、職務においても反映させて重ね合わせていこう、と呼び掛けるほうが正しいのかもしれない。
水辺は「Sky is the limit. 」。天井も電線もない、大気圏までずっと、みんなが等しく同じ日差しと風を感じられる自由な場所だ。ここで、日々目まぐるしく変化する現実を、定められたコンディションへ当てはめて考えることを一旦止めて、フラットになってみよう。もちろん、皆の自由を担保するために、各々が自分の中に「自律」という「Public Mind」を忘れずに。
5. ただ打ち返すな、未来に向かってボールを投げ続けろ!
私たちが壁にぶつかるたびに、合言葉のごとく繰り返してきた言葉がある。それは「来たボールを打ち返すことにだけ必死になるな」ということ。
まちづくりには「3つのA(Advice, Analysis, Advocacy)」だけでは足らなくて、自らの意志と計画を持って耕すためにフィールド(現場)に出ることまでがセットだ。そのフィールドへ投げられて来たボールすべてを拾ってひたすら打ち返すのではなく、未来に向かって主体的に戦略的にボールを投げ続けよう。まちづくりの喜びはそこにあるのだ、と知る人が一人でも増えて、共鳴し合っていけたらいいと思う。
エリアマネジメント法人あるいは都市再生推進法人として立場を与えられたとしても、それはスタートラインに立っただけのこと。街に暮らす小さな個人では立ち向かえない課題、あるいは利益を追求する民間企業であるからという理由で実現できない企画など、暮らす人や働く人々の「思い」や「愛着」を育て、未来へつなげて行くための大小の挑戦を先導すること、積み重ねて行くこと。その基盤を整えていくことがエリアマネジメントの役割だと、今、感じている。「打ち出の小槌」でも「伝家の宝刀」でも「第三の公権力」でもなく、時に難しさ、苦しさの先にある、望ましい将来を仲間と共に構想しながら前に進み続ける、そういう存在なのだろうと思っている。
【参照】
※1Futakoloco(フタコロコ)について(フタコロコサイト)
https://futakoloco.com/about-us/
※2 二子玉川エリアマネジメンツとは(二子玉川エリアマネジメンツ公式サイト)
https://futako.org/about-us/
※3多摩川河川敷・兵庫島公園一帯が河川空間のオープン化区域に指定されました(二子玉川エリアマネジメンツ公式サイト)
https://futako.org/1900/
※4 河川敷利活用について(二子玉川エリアマネジメンツ公式サイト) https://futako.org/projects/#kasenjiki
※5 第7回二子玉川エリアマネジメントシンポジウム(二子玉川エリアマネジメンツ公式サイト)
https://futako.org/2843/
※6「橋脚壁面アート」作品選出について(二子玉川エリアマネジメンツ/Futakotamagawa Light It Blue Park 公式サイト)
https://futako.org/ftnp/486/
※7 ボランティア・サポート・プログラム(国土交通省公式サイト)
https://www.mlit.go.jp/road/road/vsp/
futakoloco 編集長&ファウンダー。主に公民連携分野のフリーランス・ライター/エディター。法律専門書出版社勤務と米国大学院留学(高齢化社会政策)を経て、2016年〜2022年、自らの暮らしの場である二子玉川のエリアマネジメント法人で情報・広報戦略と水辺などの公共空間における官民共創事業に従事。最近は生まれ育った西多摩の多摩川および秋川の水辺界隈でもじわりわくわく活動中。 暮らしを起点にした「本当にクリエイティブな社会」のタネを自らのアンテナで見つけ、リアルに伺った物語を記録し続けることがいま、とっても楽しいです!
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