2020.08.05

書評:都市を編集する川ー広島・太田川のまちづくりー

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水辺の都市・広島
広島は川とまちが一体化した都市だ。広島の中心市街を流れる太田川の水辺を歩いているとカフェが現れ、公園の緑地と接続し、水面へ降りれる「雁木」と呼ばれる階段護岸がたくさんある。川沿いの護岸のところどころに、小ぶりなテラスが突き出していたり、様々な水辺の風景を演出するデザインとの出会いがあり、散歩するのに飽きることがない。(広島市街の水辺インプレッション記事)。もちろん、この水辺の都市は一朝一夕にできあがったのではなく、毛利、福島、浅野といった戦国・江戸の大名たちから現代に至るまで、治水と利用のバランスを取る形で累々と川に関わってきた人びとの営みの結果、現前している。

元安橋橋詰テラスとカフェ

本書「都市を編集する川ー広島・太田川のまちづくりー」はそんな歴史も紐解きながら、主に1970年代以降から集中的に行われた、市街地の水辺のデザインをまちづくりという視点から読み解いた本だ。そして、本書の最大の特徴は、実際にデザインと計画の実践に関与した、東京工業大学および京都大学の景観工学・中村良夫研究室のメンバーによって書かれたことである。通常は裏方として表に出てくることがない、川づくり、景観づくりのエキスパートたちが、どのような考えと想いで川と向かい合い、まちの水辺の風景を作り上げていったのかを、当時のスケッチなどの図面を多用しながら、浮かび上がらせる第一級のリバー・メイキングドキュメンタリーである。さらにデザインの専門家だけではなく、共に並走しながら、川とまちの関係をつくりあげていった多くの市民主体の声も収録していることによって、広島の水辺はこのように作られていったのかというシーンが立体的に浮かびあがるように編集されている。このようにかわとまちづくりの過程を詳細を描き出した書籍は、なかなか無いのではないかと思う。
本記事では、広島という水の都の水辺まちづくりの一大叙事詩である本書の内容の一部を紹介する。太田川の水辺に関する記述は、基本的に本書の内容に基づいていることをあらかじめ申し上げる。

太田川水辺デザインの展開

太田川の水辺は戦後、戦災復興のなかで「広島平和記念都市建設法」が制定され、「河岸緑地計画」がつくられたことがその骨格となっている。当時の広島市助役の銀山匡介によると「戦災前は河岸はほとんど民家、料理屋が張り付いており、市民は橋の上に行って初めて川がみられるという状況」であったことが本書で記されている。この緑地計画によって、現在の広島の水辺に誰もがアクセスできるオープンスペースが生み出されることになったといえる。その後、1966年の太田川放水路の完成によって市街デルタ地帯の洪水は概ね治められるようになったが、伊勢湾台風並みの高潮に対応できる堤防を嵩上げ整備することが1969年に決定した。その際、堤防は、単に高潮から守る施設であるのみでなく、広島の新しい景観を造り出し、市民が水と親しむことができる施設として、国県市が一体となり検討することとなった。そこで白羽の矢が立ったのが、当時、東京工業大学社会工学科助教授であった中村良夫氏であった。中村氏は景観工学という学問の立ち上げに関与し、「風景の目利き」として多くのユニークな景観理論を展開され、『風景学入門』(中公新書)などの魅力的な一般書も数多く出版されている碩学である。

まず、太田川基町護岸のデザインをもって中村研究室の広島での水辺デザインはスタートした。
研究室総動員での綿密な景観および市民意識調査によって得られた知見を基に、以下のいくつかの景観設計方針が定められた。

・広島市について市民が想起した要素では、1番が原爆と平和、2番が川と橋、3番が都市交通であった。太田川は重要な広島のシンボルとなっていた。
・広島市のイメージマップから、平和記念公園や縮景園など太田川と隣接する施設は本体川と結びついていてもよいものがそうではなかった。そこで川と公園、広島城、基町アパート群等の景観的結合を図るため視点場を強調する。
・河川地点のイメージ調査から、この地区は太田川のイメージを代表する重要地区であることを確認した。
・空蛸橋の上下流で商業都市的、住宅や公園などの背後地の利用と併せた異なるデザインとする。
・市民意識調査からこの地区は身近な河川としては住民に意識されず、水辺に近づきにくい評価であった。そこで水面に近づきやすくする堤防小段、階段を設置し水辺の親しみやすさを演出する。また、歴史的に意義深い水制を継承する。

基町護岸の低水護岸、水面へ突出した石張りの水制工(写真クレジット:そらみみ

基町護岸の基本設計方針では、次のことが挙げられている。
・河川護岸の設計における標準断面設計からの脱却。三次元的にデザインする。
・堤防構成要素として緩傾斜の芝生面と急勾配の石垣の組み合わせによる多様な空間を生み出す。
・コンクリート素材だけでなく、瀬戸内海産の花崗岩切石や玉石の活用でテクスチャーに変化と地域色をつける。

具体的な水辺のデザインを見ていくと、特徴的なのは、高水堤防の一部を切り下げる低水護岸のテラス、水面へ突出した石張りの水制工、河岸の樹木である。
河岸のテラスはこれ以降の広島市内の水辺に度々出現する特徴的な水辺デザイン・ボキャブラリーなのであるが、その原型がここに登場する。水制はもともと江戸時代の伝統的な治水対策として、水流の勢いを弱めて河岸を守るために設置された突き出した構造物だ。中村氏のドラフトスケッチにもあるように、緩傾斜の芝生斜面、階段で低水護岸への誘導、テラス、水制というように、これらは一体的に設計され、徐々に水面へ近づいていく水辺への「漸近的接近」が試みられている。
これらは、干満の水位差が3m程度ある太田川の干潮域で、水面に安全に降り、船着場にもなっていた階段状の「雁木」などの広島の伝統的な多様な「水辺使い」を継承したものでもある。また、景観的に優れた水辺は、水辺に近づきやすく見えることが重要であるという中村研究室の「親水象徴理論」を具現化したデザインにもなっている。さらに、河岸の樹木は、「親水象徴理論」で中村氏が抽出した、山水画において点景として描かれる人物は、鑑賞者が山水の世界に没入するための「代理表象」でもあるという「臥遊」という概念とも重なってくる。水際にぽつんと生えるポプラの木が、水辺を眺める時にそこに行ってみたいという思う自我の投影となっているのだ。

中村良夫氏による基町護岸水制部のスケッチ(本書より)

このように、基町護岸の水辺デザインは、現在も重要な示唆を投げかけている中村研の景観研究の成果と、太田川の水辺の履歴が呼応しながら成り立っているところに、広がりと魅力を感じる。他にも「河景のゲシュタルト論」、「河景ディスプレイ論」、「河景様式論」、「視点場設計論」など、太田川の現場で鍛え上げられた水辺デザインの理論が本書で紹介されている。ここでは説明の詳細は省くが、市民に使ってもらうための「かわまちづくり」の上で大変参考となる基本的な知見である。関心がある方は、ぜひ本書を手にとって読んでいただきたい。

太田川基町護岸の設計後、「河岸テラス」が元安川、天満川に次々に設計されていった経緯が本書では描かれている。元安川河岸テラス3号の相生橋下流左岸の原爆ドーム前のテラスでは、慰霊の日に灯篭流しが行われていることにちなみ、灯籠が設置されたことや、「魚見台」という名付けがあったこと(中村良夫氏)。また、元安橋橋詰テラスでは、聖域としての場所の意味づけを解釈する際に、参道の「男坂・女坂」という形式を参照し、原爆ドームと公園を力強い直線で結んだ「男坂」である相生橋に対して、元安橋の川沿いに迂回するルートは静かで落ち着いた「女坂」として、曲線的で柔らかい水辺の表情をデザインしたこと(小野寺康氏)など、興味深い設計コンセプト上のエピソードなどが記されている。

「河岸テラス」整備の意味として、本書では「ただ、階段を下りて川原に行くだけではなく、途中に佇む場所を与えよう、そうすることで、そこが川や対岸の街並みを眺める場所になる。そうすれば、川原に降りる人だけでなく、川を眺めたい人にも利用してもらえる。それが川と都市・暮らしを結びつける最初に一歩になる」と記されている。水辺を川とまちをつなぐグラデーションとして設計しようとする意図が述べられ、このことは、水辺の計画やデザインに関わる者にとって、基本的な視座たりうることであると思う。

 

水辺のまちづくり計画と市民参加

本書の後半では、デザインだけでなく、市域の太田川がまちづくりにおいてどのように位置づけられてきたか、また市民参加の状況について多くのページが割かれている。広島市においては戦災復興で、都市計画法に基づく「緑地による景観づくり」の時代があり、続いて80年代から「都市美づくり」が行われた。1989年には川に顔を向けたまちづくりとして「リバーフロント建築物等美観形成協議制度」が作られ、1990年に国、県、市の合同で「水の都整備構想」が策定された。この整備構想では、「水の都」という言葉が添えられ、国、県、市の共通目標として水辺空間が定義され、整備方針が策定されたことが特徴であった。元安川親水テラス、空蛸橋アンダーパス、広島城跡堀川浄化事業などが実際に整備されている。また、まちづくりの機運も徐々に高まり、1995年には広島のカフェテラス倶楽部の活動が開始、1997年には元安川でのオープンカフェ社会実験、1999年には広島市の水辺の公開空地第一号として、河岸緑地とテラスが一体となったJALシティホテルが竣工した。ちょうど1997年は河川法が改正され、「治水、利水」に加え「環境」が新たに河川法の3原則として加わった年代であった。
2003年には、新たな広島の水辺ビジョン「水の都ひろしま」構想が策定された。ハードからソフトへ、「つかう・つくる・つなぐ」をキーワードに、行政のみならず市民、企業との協働によって策定された構想であった。長期的な水の都をつくるための基本方針を実現するために、3つの以下の目標の柱が設けられた。

・市民が自ら水辺に深く関わって暮らし、水の都に住み、働き、憩う中で、水辺における豊かな思い出をもつことができること。
・水辺がそのような舞台となるために、水辺自体が安全で気持ちよく、楽しい場所になっているだけでなく、暮らしの中心である街なかとのより密接な関係が確保されていること。
・そのような暮らしや場所づくりを支えるために、水辺を使ったネットワークや水辺利用のためのルールなど、水の都ならではのシステムを持っていること。

「水の都ひろしま」構想図(広島市HPより)

上記の3つの柱(つかう・つくる・つなぐ)ごとに、20の行動方針も策定された。民間・市民の取り組みとして2004年にNPO雁木組が伝統的な階段護岸を利用した水上タクシー「雁木タクシー」が運用を開始し、2006年には、「ポップラ・ペアレンツ・クラブ(PPC)」が結成され、空蛸橋上流左岸の高水敷のランドマークであったが台風で倒れてしまったポプラの木の再生と、基町POP’La通りの草刈りや清掃活動を始めた。水辺のオープンスペースを使ったフリーマーケットや、屋外映画上映会、映画のロケ地使用なども開催されるようになった。最近の話題として「ひろしまリバーシティフェスティバル ” River Do !”」が中央公園基町河岸緑地をメイン会場にして開催され、SUPの国際レースとして広島中心地の水辺を彩り、まちと連動するかたちでイベントが行われた。

本書のさらに素晴らしいところは、広島の水辺に関わった市民主体の寄稿が収録されているところだ。そのメンバーは、民間のデザイナーとして広島に水辺に長らく関わってこられた松波計画事務所の松波龍一さん、カフェテラス倶楽部を続けられてきた一般社団法人空の下おもてなし工房代表理事の山崎学さん、日本ERI株式会社広島支店長・山口支店長、元広島市まちづくり担当課長・水の都担当課長の新上敏彦さん、雁木タクシーのNPO法人雁木組合理事長の氏原睦子さん、ポップラ・ペアレンツ・クラブ隆杉純子さん、中国新聞社常務取締役の北村浩司さん、広島フィルム・コミッションの西﨑智子さんだ。
市民の言葉を少し引用してみる。松波さんは、広島のこれからの展開として必要なのは、「役所の予算措置や特定のボランティアの使命感と汗による特殊解としてでなく、誰でもその気になれば参画できる一般解として示していくこと」と述べ、山崎さんは「広島のかわまちづくりは「やってみれば行政はついてくる」方式」、「一番大事なのは「持続」です、が実はこれが一番難しい」と記している。いずれも先人の言葉として重みがある。

都市を編集する川

以上に記したように、広島の水辺のまちづくりは、景観デザイナー、行政、そして市民のそれぞれの努力と協働の蓄積の上に形成されてきた。中村氏は「公的な水辺のなかに私的な空間を組み込んだ知恵は、特に賞賛に値します。官民協働の水辺のコモンズへむけて、広島は突破口を開いたと言えます。日本の都市史にのこる快挙です」と述べてるいる。これは、歴史的に、様々な行事、祭礼、社交によって「共同体の絆を結び、人生の喜びを謳いあげる」、「風土文化を編み上げる自治センター」であった日本の水辺空間が、近代都市計画の平等性、私物化の排除という論理を乗り越えて、再び「ただの自然から風土という物語の編集センター」に戻ることと中村氏が指摘することが背景にある。そのような意味を踏まえると「都市を編集する川」というタイトルは大変興味深いことがわかる。川が都市の中で魅力的な水辺空間となるとき、川は都市を編集するし、都市が川を編集する両方のベクトルが発動していると考えられよう。それは、洪水などの恐れと、にぎわいなどの恵みの両者を、つねにこの国土にもたらしてきた川を都市のうちにどう迎え入れるかという点で「風土のデザイン」と言えるのではないかと思う。

ひろしまリバーシティフェスティバル ” River Do !”の様子(本書口絵/ひろしまリバーシティフェスティバル ” River Do 2020 ! ” 実行委員会より)

 

都市を編集する川ー広島・太田川のまちづくりー

中村良夫/企画・構想

北村眞一・岡田一天・田中尚人

溪水社

 

この記事を書いた人

ランドスケープ・プランナー/編集者

滝澤 恭平

ランドスケープ・プランナー/編集者 「ミズベリング・プロジェクト」ディレクター、株式会社水辺総研取締役、ハビタ代表。 『ハビタ・ランドスケープ』著者。1975年生まれ。大阪大学人間科学部卒業、角川書店に編集者として勤務。2007年工学院大学建築学科卒業、ランドスケープ設計事務所・愛植物設計事務所にランドスケープデザイナーとして勤務後独立。2014年東京工業大学大学院社会理工学研究科修士課程修了。以降、九州大学大学院工学府都市環境システム専攻博士課程にて都市河川再生とグリーンインフラの研究を行う。2015年水辺総研を共同設立、全国の水辺のまちづくりや河川再生を精力的にサポート。2019年、日本各地の風土の履歴を綴った著書『ハビタ・ランドスケープ』刊行。地元の水辺として、東京杉並区の善福寺川を市民力で里川にカエル「善福蛙」で活動を行っている。

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