2015.06.27

河川行政マン、市民の川フェス開催へ向けて奔走する。「ミズベリング白川74」までの道程。

熊本市街を流れる白川と「緑の区間」の整備

熊本市街の中心地をゆったりと流れる白川。美しく積み上げられた石の護岸の上から、大きく育ったクスの木が張り出し、涼し気な木陰を水辺に映している。水面の脇に続く遊歩道をぶらり歩くと、川の風、流れ、光のきらめきをすぐ身近に感じ、とても気持ちがよい。

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白川は阿蘇カルデラを水源として、熊本中心市街地を貫流する幹川延長74kmの河川だ。降雨量が、全国平均の2倍と、とても多い阿蘇カルデラエリアから、川の流れは一気に下流へ下る。下流域の熊本市街は、川の勾配が緩やかで、隣接する有明海の干満差が大きく、またヨナという阿蘇の火山灰が川底に堆積しやすく、度々洪水が起こってきた。

歴史上、熊本の為政者たちは、白川を治水するため多くの創意工夫を凝らしてきた。熊本城を建造した加藤清正は、河川の付替えを行い、堀、水路、河川本流と川の流れを整理し、熊本市街の都市インフラの基盤を築いた。清正は、いまなお「土木の神様」と地元の人びとから呼ばれ、敬意を払われている。
熊本市内の人びとにとって、忘れられない記憶は、昭和26年の大洪水だ。梅雨時の大雨により市内に洪水が発生し、死者行方不明者422人、家屋浸水31,145戸、橋梁流出85橋という大被害を出した。
平成14年に策定された「白川水系河川整備計画」では、この洪水と同程度の20年から30年に一度の出水に対応するための河川計画がプランされた。特に改修効果が高い、市街の河川区間は「緊急対策特定区間」として、重点的に整備が進められている。この区間の中で、ボトルネックとなったのが、中心市街地の「緑の区間」(大甲橋~明午橋)と呼ばれる場所だ。河川の幅が上下流より狭く洪水決壊の危険性がありながら、両岸に「森の都くまもと」を象徴する緑豊かな公園と景観が存在し、なかなか両者をバランスさせる改修計画が決まらないでいた。このため、「白川市街部景観・利活用検討会」が設置され、地元の町内会を含む地域住民、行政、専門家で話しあいを重ねながら、整備案を検討した。

上:「緑の区間」の整備計画を検討する「白川市街部景観・利活用検討会」のスキーム。下:緑の区間左岸の改修イメージ(九州地方整備局熊本河川国道事務所)
この結果、「緑の区間」では緑を残し、現在の景観を活かしながら河川を拡幅するという整備方針が決定された。工事ではとても細やかな施工が行われた。樹齢百年にもなるクスの大木は、江戸時代から続く伝統的な造園技術である「立曳き工法」によって、小学生や市民300人が参加して根回し、移植がすべて人力作業で行われた。また護岸の石積みは、熊本城の石積みを参考にしながら、職人たちが、一つ一つ石を積んでいった。施工を進めるにつれて職人たちの石積み技術が徐々に上がっていったという。このようにして2015年4月に、ついに「緑の区間」は竣工した。

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上:移植されたクスの大木。中左:竣工した「緑の区間」全景。中右:水面へと連続する親水護岸のステップ。下左:護岸には、石積み技術が熟練した職人さんの遊びも。下右:既存樹を保全するため、除けて屈曲する護岸パラペット。

河川行政マン、市民の川フェス開催へ向けて奔走する

「緑の区間」は、検討から施工まで10年の歳月を掛け、治水要件を満たしつつ緑豊かな素晴らしい水辺空間として出現した。この空間が本当に市民に愛される「公共空間」になりうるかは、市民が、今後どれほどこの空間を利用してくれるかにかかっている。しかし、度重なる洪水体験と、天井川なので川の様子が分かりにくいことによって、市民は白川に対して、怖い、汚い、関心が無いという負のイメージを持っている。そんな「市民の白川へのネガティブなイメージを変えたい」という原動力により動き出した河川行政マンがいた。九州地方整備局熊本河川国道事務所調査第一課長牟田弘幸さんである。

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熊本河川国道事務所・牟田弘幸さん

牟田さんは「ミズベリング会議」という手法を使って、市民が白川「緑の区間」を楽しむフェステイバル・イベントを開催したいと考えた。まずは、市民に白川に足を運んでもらい、新しくなった水辺空間の魅力を体験してもらう。そして、いずれは、水都大阪や広島太田川のように利用が盛んで人が集う川になってほしいというビジョンを持っていた。イベント開催へ向けて、当初は市など行政機関を回ってみたが、対応部署がないということでいまひとつ手応えがなかった。
どのように企画を進めようか牟田さんが思い悩んでいた時に出会ったのは、熊本市街のまちづくり会社「熊本城東マネジメント(株)」の南良輔さんだった。「熊本城東マネジメント(株)」は地元商店街にかかるファシリティコストを合同で削減し、まちに再投資する事業や、店子を市民から一般公募する「Seed Market」というマルシェを毎月中心市街地で開催し、熊本のまちを活性化してきた。南さんは、中心市街地と白川を結びつけることによって、市民のアクティビティを繋げたいという構想を持っていた。河川管理者の行政マンである牟田さんとまちづくり会社の南さん。白川に対する熱い想いを持つ二人の遭遇は、互いにビジョンが共鳴しあう、まさに運命の出会いであった。
それからは、話はとんとん拍子に進んだ。牟田さんを中心とする熊本河川国道事務所チームは、南さんの協力体制のもと、マルシェや商工会議所より紹介を受けた喫茶店経営者、演奏会の出演予定者を一人ひとり廻って、丁寧に企画を説明した。さらに、地元の青年会議所代表の浅野さんと出会い、白川をまちづくりに取り込むことに共感を得て、ミズベリング会議の実施部隊として青年会議所が参加することが決まった。「ミズベリング白川74」では、構想から実施まで準備に実に一年の時間をかけている。熊本河川国道事務所で、牟田さんとともに準備を行い、プロジェクトの裏方を支えた梅津さんは「何をすればみんなが喜ぶかを考え続けた」という。

手作り感が温かい「ミズベリング白川74」イベントの開催

「ミズベリング白川74」は白川「緑の区間」左岸河川敷にて2015年4月25日,26日、5月15日、16日の四日間に渡って開催された。タイトルの74とは、白川の幹川延長74kmのことを指している。せせらぎステージでの演奏会、オープンカフェ、「Seed Market」の出店者によるマルシェ、河川ではEボート体験などが行われた。地元の高校のブラスバンド、カルチャースクールによる舞踊、クラフトアートの販売、ウクレレ教室コーナーなど、地元の市民が出演者であり、同時に観客でもあるというイベントは手作り感があり温かい雰囲気があった。移植された大楠の樹の下に、色とりどりのテントが映え、休日の人びとが思い思いのチェアに腰掛け会話を楽しんでいる。白川は市民のフェス会場となり、川辺のオープンスペースには、にぎやかな時間が流れていた。イベント四日間で総計1万人の市民が白川に来訪し、来訪者アンケートでは9割の市民がまた来たい、8割の出店者がまた出店したいとの結果(熊本河川国道事務所調べ)であった。

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イベントの一環として5月16日に開催されたミズベリグ熊本白川会議では、市内から学生、市民が70人程度集まり、白川のこれからを議論した。10人程のチームに別れ、白川をフィールドワークした後に、テーブルに着いて、白川緑の区間をどんな場所にしたいかアイディエーション・ワークショップを行った。白川河川改修に関わった熊本大学景観研究室関係の学生が、各テーブルでファシリテーションを務めた。水位変動により出現する島、水上レストラン、水中トンネル、川の結婚式など様々なアイディアがでたが、特に秀逸なアイディアとして「川番」というコンセプトがあった。すなわち、川の交番であり、番長であり、番屋である。分かりやすくいうと、河川利用のよろず相談や、川ガイド、ライフセーバーなどを兼ねた人材が川に常駐する仕組みだ。「川番」は、管理者という意味ではなく、市民が役割を引き受ける自主性、地域性が感じられる素晴らしいネーミングだと思う。

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取材を通して見えてきた、水辺利活用プロジェクトを進める上で大事なこと

イベントとして大変成功した「ミズベリング白川74」であるが、今後の展望はどうだろうか。むろん、一回限りのイベントではない。牟田さんは、河川利用について市民、市役所が話し合い、意思決定する器として協議会などの設立が必要と考えている。まずは関心を持つ市民メンバーで毎月、勉強会を行う予定があるとのことだ。「ミズベリング白川74」を受けて、市民からの河川利用の反応もあり、河川敷でサッカーイベントをしたいという問い合わせなどもあった。今回のミズベリングイベントを通して、「行政だけでは上手くいかない。市民力で動かしていく」重要性を、牟田さんは身を持って学んだという。
地域の水辺利活用プロジェクトを進める上で重要なことのひとつは、行政サイド、市民サイド、企業サイドそれぞれの立場から、プロジェクトにコミットできる人材の出会いであり、「チームメイキング」であることが、取材を通して見えてきた。「チームメイキング」には、役割分担が生まれる。ミズベリング白川においては、牟田さんは「マネージャー」、南さんは「旗振り役」、浅野さんは「サポーター」といった、それぞれの持ち味があったようだ。
水辺利活用のプロジェクトでは、施設整備事業に比べて、なおいっそう細やかなソフトの運用技術が必要となる。ソフトの運用では、モチベーションを軸として、様々なステークホルダーのキーパーソンが有機的に結びつきながら、アドホックにプロジェクトを進めていくスタイルが有効であることが、「ミズベリング白川74」に関わった人びととの対話から浮かび上がってきた。ハード整備フェイズから利活用フェイズに入るにあたり、プロジェクト運営に関して、少々発想の転換が必要となるかもしれない。
最後に、「緑の区間」の河川デザインに携わってきた熊本大学・小林一郎教授がミズベリング熊本会議にて詠んだ句を紹介したい。「ミズベリング、馬鹿が世界を変えるかも」。馬鹿になることを恐れることなく、モチベーションを保ち続けることができれば、きっと出会いがあり、水辺の未来をつくり上げるチームが生まれるはずだ。

この記事を書いた人

ランドスケープ・プランナー

滝澤 恭平

ランドスケープ・プランナー、博士(工学)。 「ミズベリング・プロジェクト」ディレクター、株式会社水辺総研取締役、日本各地の風土の履歴を綴った『ハビタ・ランドスケープ』著者。大阪大学卒業後編集者として勤務。2007年工学院大学建築学科卒業、愛植物設計事務所にランドスケープデザイナーとして勤務後独立。2022年九州大学大学院工学府都市環境システム専攻博士課程修了。都市の水辺再生、グリーンインフラ、協働デザインが専門。地元の葉山でグリーンインフラの活動を行う。

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