2014.10.02

大阪が「水都大阪」の取り組みですごいことになっているらしい

「水都大阪」の仕掛け人が語る、
水辺の都市マネジメント

水都大阪という取り組みについて聞いたことはないでしょうか?アイコンとして一番有名なのは、当時大阪府知事だった橋下徹と大阪市長だった平松邦夫の頭部が水面に浮いている2009年当時のポスターではないでしょうか。

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水都大阪2009のポスター。©水と光のまちづくり推進会議

現代美術家ヤノベケンジの火を噴くドラゴン船や、あるいは巨大なアヒルのオブジェが水面に浮いているさまを筆者は関東からニュースでながめて、なんとも派手なイベントやってるなーと感じていましたが、詳細がわからなかったので、クールを装って遠巻きにながめていた感があります。

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ヤノベケンジさんの作品「ラッキードラゴン」©水と光のまちづくり推進会議

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ラバーダック©水と光のまちづくり推進会議

ところが、この水都大阪の一連の取り組みによって、確実に大阪は水の都になりつつあるのです。ブルーシートの掘建て小屋であふれかえっていた中之島は見違えるほど美しく文化的で豊かな場所になり、北浜テラスにはたくさんのひとが訪れています。道頓堀川はウッドデッキで歩けるようになり、川にむいてひらいている建物がたくさんできました。新しく船の事業で参入した若者もいたり、(御舟かもめ)中之島周辺をSUPでめぐることもできるようになった(日本シティサップ協会)。京阪電鉄中之島線の開業にあわせるように「八軒家浜」や「中之島バンクス」が開業し、水辺の価値が確実に商業にまで影響を及ぼしつつあります。

夜の北浜テラス

夜の北浜テラス

御舟かもめ、中野さん

御舟かもめ、中野さん

日本シティサップ協会のツアーの様子。真ん中が奥谷さん(写真:岩本)

日本シティサップ協会のツアーの様子。真ん中が奥谷さん(写真:岩本)

そこかしこで水辺のあたらしい取り組みが実験され、自発的にみえるさまざまな動きが全体を盛り上げています。関東の感覚からすれば、行政が足を引っ張りそう(失礼!)なものだが、行政も熱心に規制緩和の姿勢をみせている。これはいったいどういう仕組みなのだろうか?日本の行政組織とは思えない軽やかさやダイナミズムが感じられるのです。
今回水都大阪のキーパーソンおふたりにお話を聞く機会を得ました。昨年4月にキックオフしたばかりの組織「一般社団法人水都大阪パートナーズ」の理事のおふたり、ミズベリング東京会議にも来ていただいたランドスケープデザイナーの忽那裕樹さんと都市計画プランナーの泉英明さんです。

水都大阪ロゴイメージ

水都大阪ってなんですか?

この水都大阪の取り組み自体は、2000年頃からやっているんです。大阪には危機感があった。かつては商都だったが、どんどん企業が東京に移っていった。ひとりあたりの公園面積が少ないなど都市環境もそんなによくない。この大阪をどう盛り上げていくのかということを大阪府、大阪市、大阪の経済界がいっしょになって考えていたんです。大阪というのは淀川の流域湿地に堀を掘削し土をもってできた街で、堀や水辺がある街として発展してきたわけですが、昭和になり多くが埋め立てられたのに奇跡的にまだ水路がのこって一回りできる。これは大阪人でもしらないわけですけど、大阪城もUSJも市場も道頓堀も中之島もみんな水でつながっている。水で成り立った大阪のアイデンティティを取り戻し、外にも発信もしていこうということではじまりました。最初はハード整備が主だったのです。例えば道頓堀の遊歩道や八軒家浜という川の駅の整備などですが、シンボルイヤーに設定されていた2009年に間に合わせるという目標でやってきました。並行して、市民の活動も同時多発的に進んでいました。
2001年の小泉政権時の都市再生プロジェクトで道頓堀の事業を市が推進したのはわかりやすい事例ですが、他にも八軒屋浜の整備、中之島の整備、船着き場をつくったり、ハード整備がメインだった。行政が予算をとってきてくれた。2003年に水の都大阪構想というのができて、2004年頃からプロモーションやソフトの話になってきた。
府市経済界の連合体であったということが重要でした。

水都大阪フェス2012(水都賑わい創出実行委員会)

きれいに整備された中之島公園。
©水と光のまちづくり推進会議

とんぼりリバーウォーク&船(泉英明)

道頓堀、とんぼりリバーウォーク ©泉英明
おふたりは、そのころはどのような活動をされていましたか?
もうゲリラ活動ですよ。(笑い)2003年に、大正のドーム前で川に浮かぶレストラン「リバーカフェ」という合法的な社会実験をやったんです。2007年ころから、北浜テラスの構想をNPO仲間とスタートします。

RIVERCAFE2013.10(泉英明)

リバーカフェ:©泉英明
そうそう、ここすばらしいよね。大阪の水辺のかっこええところを見せていかなければならないんですよ。大阪はタイガースや粉もんだけちゃうぞと。
話をもどすと、2009年に水都大阪フェスというのがありまして、僕はそのあたりから関わり始めました。

橋下徹府知事の「ちゃぶ台返し」事件

2009年に水都大阪という言葉自体を、はじめてプロモーションに使いました。アートとか光とか水とかいろんなテーマがあったのですが、当時の橋下知事がアートじゃだめだ、当時決まっていた予算も出さないといいはじめたんです。我々それを「ちゃぶ台返し」と呼んでいるのですが、橋下府知事が言うことは河川や都市計画や公園、教育などの部局が集まらないと実現できないことばっかり言うんですよ。普通行政上がりの首長は行政の縦割りの意味をよくわかっているので、部局ごとにきちんと指示を出すんですけど、彼は大いなる素人だったわけです。
そもそもなんのために水都大阪のシンボルイヤーをやるのかから説明しなければならなくなって、つぶされそうになった。水都大阪フェスで実現するためには、今まで通りの縦割りの手法ではダメで、横を結んでいく必要があったのです。しかし、そういう人材もいないので、プラットフォームをつくりいろんなひとたちが関われる場所を用意していったのです。行政側には部局を超えたプロジェクトチーム(PT)が立ち上がっていきました。また大阪の経済界もコミットメントが強く、企業からの出向組もこの場に関わっていった。つまり、行政主導のプラットフォームではあったのですが、民間を巻き込んだ形で動いたのです。

イベントをきっかけに連携が生まれる

ところが2010年は、予算が縮小されたこともあって、まったく機能しなくなった。行政だけがイベントをちょろっとやるというようなものになってしまった。 そのあと、2011年に私(忽那)、泉、とコミュニティデザインの山崎亮、アートに精通する永田の4人が関わることになり、行政と市民と企業をつなぐプラットフォームを育てることを目的としたイベントとしてフェスを位置づけたのです。
なるほど、水都大阪フェスは単なるイベントではないのですね。
もちろん規制緩和のきっかけとしてのイベントであることは間違いないのですが、立場の異なる人たちの出会いの場でもあって、一過性のイベントを日常につなげていくきっかけづくりだったのです。
2008以前が第一フェーズで、ハード整備をやった。2009年が第二フェーズ。シンボルイヤーで予算が潤沢だった水都大阪2009は「市民参加」「継続継承」「アート」がコンセプトになった。数千人の市民がイベントを作る側にたつという初めての機会でした。大阪の経済界は活動を先導しお金をだし、愛地球博のプロデューサーや越後妻有トリエンナーレの北川フラムさんなどを招へいしうまくいった。私たち市民も集められ、市民参加を促すためにどういう工夫や募集要項をつくればいいかなど、今までバラバラだった活動家がつながり実務面で経験できたことが大きかった。
2010年は第三フェーズ、イベント会社にまかせてしまい、市民の参加が少なくうまくいかなかった。それまで支えていた経済界は危機感を募らせた。

市民参加の仕組みづくりの第4フェーズ

2011年以降が第四フェーズ。それまで別の関わり方をしていた私たち4人がディレクターとして招聘されました。2009の関わりは、忽那さんは全体のランドスケープ、会場計画など、studio Lの山崎亮さんは市民ボランティアのマネジメント、NPO法人プラスアーツの永田宏和さんは北川フラムさんからアートをまかされて、私(泉)は市民側で北浜テラスやまち案内事業OSAKA旅めがねをやっていた。

4人のディレクター

水都大阪立ち上げの4人のディレクター
この4人がディレクターとなって、秋のフェスの企画を考えることになったのです。ただ、5月にスタートして10月に成果を出すというバタバタでした。とにかく、「水辺のまちあそび・やってみたいを叶えよう!」ということで、みんなのアイディアや活動を水辺に総結集しよう、活動プロセスを通じて参加者の想いを発信するレポーター制度を導入しよう、など新たなチャレンジを行い、多くの方の参画を得ました。
どのまちでも同じような問題が起きるはずで、このやりかたは水辺に限らず今後の市民活動を支える仕組みとしてとても役に立つはずなんですよ。水都大阪はこういうことのチャレンジでもあるというのが私たちの認識なんです。
各種作業やイベント運営・設備などの外注を、ディレクター3人が随意契約発注できるようにしてもらったことは大きかった。官民の共通の目的を限られた時間とお金の中で進める際、競争入札にすることが弊害だと認識してもらったのです。
もうひとつよかったのは、行政からの予算と民間からの協賛金を統合して扱うことができたことです。行政予算で最低限実現することを共有し、民間活力でそれをふくらませていく。プロもボランティアも一緒に、お金に換算できないスキルやもてなしを提供しました。
今後の市民活動を支える検討会というのも同時並行でやっていた事がとても重要だと思っています。イベントをイベントに終わらせないためには弊害が起きたときにフィードバックして改善することが重要なんです。検討会がフィードバックを受容する場所だったことで、仕組みづくりに大きく貢献しました
行政とはリスペクトしつつケンカしましたよ。彼らが偉いのは前向きに検討して前例のないことを実現していくんです。カタイ行政が動いてくれたのは当時の担当の方のがんばりに支えられているところが大きいんです。それは全員が目的とする方向があって、それを共有できていたからだとおもいます。

行政側にできた水都大阪オーソリティーと中間組織の水都大阪パートナーズ

実は、行政側にはやる気がある職員が意外なほどいるんです。水都大阪は彼らの活躍に支えられているところが大きい。しかし、既存の縦割りの仕組みでは、彼らがそうあるべきだと感じても、役割を越境してまでなにかに関わることは物理的に難しいんです。
橋下さんが府知事になられて変わったことは、役割を越境しないと実現できないことをやらせたからなんです。民間から「こういうことを実現したい」と行政側になげかけても、普通ならたらい回しにされますが、水都大阪という取り組みがある以上、それを実現させるために行政側も縦割りとか言っていられない。最初はやる気のある職員と民間側のわれわれのような人間が触媒となって調整役をしていた。それを制度化したのが去年発足し、われわれが理事をやっている『一般社団法人水都大阪パートナーズ』という民間側の中間組織と、行政側の窓口となる『水都大阪オーソリティー』なんです。『水都大阪オーソリティー』は府と市を一元化した事務局で、水都に関わる民間活動を支援しています。ここは水辺空間の活用に関する行政の一元的な窓口になりました。行政側がこれをやってくれるのは意味が大きいのです。これは、2009のときに『PT』と呼んでいたものに役割をあたえたというイメージです。
水都大阪オーソリティーと水都大阪パートナーズはめしべとおしべの関係のようなものなんですね。

オーソリティーとパートナーズの役割図

オーソリティーとパートナーズの役割図

水都大阪フェスの概念と水辺

実は水都大阪フェスは、いろんな小さなイベントをわざと同じ日にぶつけて、一緒にやるということでもあるんです。フェスには本予算があるんですけど、もともと長年実施されてきた他の事業などと一緒にやるプラットフォームでもあるんです。
イベントは重ねてはいけないというのがいままでだったのです。特に府がやっているイベントと市がやっているイベントは同時に開催するなんてなかった。でも、実は同じ日にやるといいことがたくさんあるんです。実際動員も増えますし、それぞれの成果を分けるということも意味ないので、全体の成果を共有することができる。これは実は私が一番力をいれて実現させたことかもしれません。イベントごとそれぞれの団体に説得に行くのは骨が折れました。イベント同時開催は、水辺とは関係はないんですけど、まちづくり全体に使える概念だと思います。
水辺というのはつなげないとなにもできないんですよ。水上は制約がおおきいですし、かといって陸地もそんなに自由ではない。でも水辺というのは象徴的にいろんなことをつなげられる存在でもあるのです。

水都大阪フェス2013_GATE(水都大阪パートナーズ)

水都大阪フェス2013の様子

自治の仕組みづくり

ここまでお聞きしていて、水都大阪の取り組みは全国で同様に悩んでいる市民参加の自治の先進事例だとおもいます。これを全国に広めていくためにはどうしたらいいのでしょうか?
大阪の仕組みは大阪の仕組みであって、東京にそのまま移植してもうまくいかないと思う。また、いままでは東京が成功すれば、右にならえと全国いろんな街で適用していったが、それではうまくいかないと思う。街ごとの特性があります。そもそも、市民社会が台頭している状況下では、中間組織を応援するしかないはずなんです。こここそ国交省が取り組むべきところなんじゃないでしょうか?中間組織がやりたいことは中間組織に任せる。失敗しようがなにしようが、任せられる仕組みづくりが必要なんですよ。
似たような施策は経済産業省が中心市街地活性化協議会の仕組みでやっています。中心市街地活性化法で法定協議会を定め、民間と行政の中間組織が主体的に事業をコーディネートし、経産省が助成したりタウンマネージャーを派遣したりする支援を行います。中心市街地というエリアを都市のなかに決め、その範囲で実施されます。
例えば河川でも、都市河川エリアのようなエリアを指定してこのエリアをマネジメントする中間組織に権限を与え、市民活動や民間投資や都市プロモーションを横串にして推進する仕組みができるといいんじゃないでしょうか?海外のBIDやエリアマネジメントなどの事例も、3-4年で権限をあたえて実績評価で継続か打ち切りか決めていますが、そういうやりかたをしなければならないのです。
ハード整備の土木予算を造ることから使われるようなソフトに使っていく、民間が払う占用料の一部をグレードアップに再投資するなどが進めば変わると思います。水都大阪の一連の取り組みはそれを示してきたんだと思います。
もともと公共のハードを整備する場合において、使いこなすところまでを一連の整備予算にしてくれれば、公共空間はもっと使いこなされるのです。でもいままではハード整備自体を目的にしてきたので、『目的がちがう』と一蹴されてきましたけど、水都大阪で実績をつくってきましたから、使いこなしまでの道筋を仕組みにしならなければならないんだと思います。
ソフトのインフラ整備というのはそういう仕組みであってほしいですね。

東京VS大阪

東京と大阪の規制緩和対決みたいなものができたら、いいなと思っています。連携とか言われますけど、いまひとつ盛り上がらない。対決してみるというのはとてもいい手法だと思うんですよ。大阪もなかなかプロモーション費用もないのですが、対決となると告知効果も高い。興味を引くと思うんです。
対決はそれぞれの地域で強みが違うはずなので、勝ち負けはテーマごとにつけられるんだと思います。それが互いの都市の個性を浮き彫りにするとおもいます。
国交省さんには、地域ごとの特性をうまく引き出す役割をしていただきたい。対決をさせるというのは、地域ごとのよさを浮き彫りにするためにとてもいい仕組みだと思います。
ミズベリングとしても水都大阪さんのこれからの取り組みには注目していきますし、個人的には日本の公共空間が抱える問題の解決手法としていろんなひとに知ってもらいたいと思っています。今後も連携していけるといいですね。今日はありがとうございました。

こんな魅力的な水都大阪のステークホルダーのみなさんの生の声を聞けて、現場も観れるという機会が2014.10.11~12にやってきます。

ミズベリング大阪会議

10月11日(土)「2020年の水辺を考えるセッション」

今まで行ってきた水辺プログラムについて紹介し、今後の夢について、3つのテーマに分けてワークショップを行います。

会場
堂島リバーフォーラム
時間
13:30~18:00
参加料
無料

10月12日(日)水辺スクール「水都大阪グルーブ感体験ツアー」

水都大阪の取組みは、民間と行政がタッグを組み、オモロイ仕掛け人が同時多発的に様々なプロジェクトを立ち上げている結果です。このグルーブ感を現地をクルーズしながら体験していただきます。

会場
八軒家浜 XingGARDEN
日時
10:30 ~ 16:00
参加料
9000円(税込・乗船代、ランチ代込)
コーディネーター
泉英明(水都大阪パートナーズプロデューサー)

その他イベント多数。お申し込みが必要です。
詳細はこちらから

この記事を書いた人

ミズベリングプロジェクトディレクター/(株)水辺総研代表取締役/舟運活性化コンソーシアムTOKYO2021事務局長/水辺荘共同発起人/建築設計事務所RaasDESIGN主宰

岩本 唯史

建築家。一級建築士。ミズベリングプロジェクトのディレクターを務めるほか、全国の水辺の魅力を創出する活動を行い、和歌山市、墨田区、鉄道事業者の開発案件の水辺、エリアマネジメント組織などの水辺利活用のコンサルテーションなどを行う。横浜の水辺を使いこなすための会員組織、「水辺荘」の共同設立者。東京建築士会これからの建築士賞受賞(2017)、まちなか広場賞奨励賞(2017)グッドデザイン賞金賞(ミズベリング、2018)

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