2014.03.12
ボートと野菜が東京を救う??BO菜とは
かつて水の都だった東京。いまでもいざと言うときには水辺は使えるのでしょうか?
2010年3月。船橋の漁港、日本橋の防災桟橋、ギャラリー、新木場のマリーナを船で結び、人とモノを送り届ける実験イベントがおこなわれました。その名は「BO菜」。BOATと野菜からつけられた名前です。
ところでなぜそのようなことをやることになったのでしょうか?
1995年におきた阪神淡路大震災は、水上輸送の有効性を確認するきっかけとなりました。高速道路は倒壊し、ビルは倒れ、陸上のあらゆる移動手段を遮断しました。大阪と神戸の間はしばらく船でしか行き来できなかったそうです。いざというとき東京はどうなのか、水上交通のシミュレーションが必要だと思ったBOAT PEOPLE Associationが企画しました。もちろん、イベントなので一般参加者を募集して同乗してもらいました。
都心脱出の船は、日本銀行のすぐそばにある常磐橋防災桟橋を出発します。この桟橋は、日本橋川という都市河川にあります。対岸は常磐門の史跡があって、すぐそばの旧常磐橋は東京で一番古い石橋です。この桟橋、普段は鍵がしまっていますが、今回は中央区の後援をいただいているので、鍵をお借りしております。いざというときに使える仕組みなのかどうか早速疑問がわいてきます。
船橋からの補給組は、船橋漁港に集合です。船橋漁港では、今回船を出してくださった大野一敏さんから漁港について説明がありました。実は日本で一番スズキの水揚げが多いのは東京湾で、なかでもこの船橋漁港が一番なんだそうです!船橋の農家の野菜を運んでくれたのはボランティアの広瀬亮介さん。千葉のホテルの料理長の小川昭明さんと一般参加者をのせて船橋の食料を満載した太平丸は出航しました。
船橋漁港を後にして船は出発。真ん中にいる人が船橋側をまとめてくださった広瀬さん
都心脱出組の船がマリーナに到着した後、ほどなくして船橋からの補給組も到着。
実は、マリーナではすでに炊き出しの準備が始まっていました。体をあたためるクラムチャウダーのクラムは最近東京湾で大繁殖中のホンビノス貝です。次々と野菜などが持ち込まれ、それを簡単に調理して振る舞われていきます。昼過ぎには、下町への物資輸送船が出発します。マリーナでは簡単に身のまわりのあるもので家をつくる体験教室がアーティストの坂口恭平さんと坂口さんの師匠の隅田川のエジソンこと鈴木さんによってひらかれています。会場はたくさんの同時並行のイベントが行われ、どこでなにが行われているのか、船がいつ出発するのか、情報が錯綜し始めます。スタッフはドラマ「24」の主人公のようにインカムで情報を共有してなんとかしようとしますが、なかなか難しい。下町に行く便にのり遅れるひとが出てスケジュールがずれ込みます。実際に地震がおきたとして、ケータイが使えないことを考えると情報の共有はさらに難しさが増すはずです。
下町行きの船が向かった先は、深川。そこは防災桟橋がないので、仕方なく橋から物資をロープであげます。ここでとどけられた船橋の小松菜はきちんと調理されたと後にツイッターで報告を受けました。
イベントも終盤にさしかかり、都心に帰る組がメイン会場を船で出発したときには、なんとなく会場に一体感が生まれており、みんなが手を振ります。さようなら、ありがとう!ほどなくして船橋に帰る船も戻っていきます。
で、水上移動の実験はどうだったのか。水上はやはり輸送手段として有効です。そもそも、物流を体験できるというイベントが成立しえるのかどうか不安だったのですが、これが実に楽しい。物流が実際にひととひとをつないでいることを実感できるのです。また気づくこともたくさん!海でわたると意外と近かったり、桟橋が普段は鍵がかかっていて使えないことや、情報共有が難しいこと。ツイッターがすごいことも。単純にモノを運ぶということでは、ちょっとやそっとの量では陸上輸送の安さに勝てないこと。鉄道の駅のように大量に人をさばくことは、本当に難しいことも思い知りました。東京の水辺はそのような目的のためにできていないかもしれません。しかし、さばけなければ水上の災害時代替輸送は夢物語に終わってしまいます。
かつて水の都江戸では、多くの物資が日本中から船で運ばれ、江戸の人々の生活を支えました。今日のように陸上輸送が主役に変わってしまったのはほんの50年前ぐらいのことなのですが、BO菜というイベントはそのころの都市の記憶を少しだけ取り戻すきっかけとなりました。
このイベントがおこなわれたちょうど一年後に東日本大震災が起きました。あの津波を見て、企画者でもあった筆者はうちひしがれた気持ちになったことを思い出します。あのような津波が起きると水上輸送はまずつかえません。ただあれから3年経ち、数百年に一度の大災害を客観的に少しだけ見られるようになった今考えれば、例えば津波を伴わない阪神淡路大震災のような地震を想定した場合はリアリティが増します。
なにより、使ってみて分かる事もあるのです。本当に使わないとわからないことだらけなのです。いまのところ、都心の水辺は使っている人が少なくて、拠点も非常に少ない。
まず使ってみる事!関心を持って、経験すること。その経験こそが重要なんだ、ということがわかるイベントでした。
この記事を書いた人
ミズベリングプロジェクトディレクター/(株)水辺総研代表取締役/舟運活性化コンソーシアムTOKYO2021事務局長/水辺荘共同発起人/建築設計事務所RaasDESIGN主宰
建築家。一級建築士。ミズベリングプロジェクトのディレクターを務めるほか、全国の水辺の魅力を創出する活動を行い、和歌山市、墨田区、鉄道事業者の開発案件の水辺、エリアマネジメント組織などの水辺利活用のコンサルテーションなどを行う。横浜の水辺を使いこなすための会員組織、「水辺荘」の共同設立者。東京建築士会これからの建築士賞受賞(2017)、まちなか広場賞奨励賞(2017)グッドデザイン賞金賞(ミズベリング、2018)