2017.08.02 Wed

川は、動的平衡の象徴。小自然との出会いの場であり、センスオブワンダーを感じる場。分子生物学者・福岡伸一博士 特別インタビュー

川は、動的平衡の象徴。小自然との出会いの場であり、センスオブワンダーを感じる場。分子生物学者・福岡伸一博士 特別インタビュー

福岡先生にとって、川という存在はどういったものですか? 川って、これが隅田川、多摩川なんていいますけれども、水 […]

河川法改正20年インスパイアプログラムで登壇された福岡博士に、ご自身の川とのつながりについて、お聞きしました。

川は、動的平衡の象徴。小自然との出会いの場であり、センスオブワンダーを感じる場。分子生物学者・福岡伸一博士 特別インタビュー

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福岡先生にとって、川という存在はどういったものですか?
福岡博士S
川って、これが隅田川、多摩川なんていいますけれども、水は絶えず流れていて、二度と同じ水は流れてないし、岸辺だってちょっとずつ変わっています。地図には青い線が何川って書いてあるけれども、非常に動的なダイナミックなものですね。そういう意味では動的平衡の象徴だなと今では思います。

川は絶えず流れている、つまり動的平衡の象徴だなと。

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福岡博士S
子供の頃は、川辺は虫取り場所だったんですよ。水辺と陸という環境が出会ってるところとか、淡水が海水に流れ出している河口、際、まあエッジですよね。エッジっていうのは生命の宝庫、つまり「ゆりかご」なんですけど、川辺に行くと水がいつもありますから、昆虫がたくさんいます。だから私にとって、江戸川沿いだとかね、多摩川沿いとか、生命に触れられる場所、虫がいっぱいいる場所は、自然に触れ合える場所なのです。

特に東京なんかそうですけれど、街中だとビルがたくさん建ってて、空が狭いですよね。でも川があるところは空が広く見られるから、そういう意味でも常に環境への入り口とも言えると思います。
つまり環境に触れ合うために、アマゾンとかアフリカとかの大自然に行く必要はなくて、本当は小自然と出会えればそこには必ず、自然があるわけですよね。その一つが、川辺だと思うんです。

「小自然との出会いの場、それが川辺。」

福岡博士S
残念なことに日本の今の川は、コンクリートで護岸を打っていたりしますが、本当は自然の土手があれば生命にとっては優しいわけです。
ホタルなんか自然環境を象徴する非常に重要な指標ですけれども、ホタルが生育するためには、実は様々な微妙な条件がいるんです。ひとつはホタルの幼虫っていうのは、小さな川にいる淡水の巻貝しか食べないので、その貝が生育するような清流じゃないといけない。
ホタルの幼虫は貝をたくさん食べて、土に潜ってサナギになり、ホタルになるんですけども、そのためには土手がいるんですよ。ホタルをその川に取り戻すためには、様々な動的平衡を取り戻さなきゃいけないのです。

「川の流れというよりは、自然環境のその動的平衡の流れの中にあるものなので、連鎖を考えないと、自然環境を守ったり回復したりすることが難しいなと思います。」

福岡博士S
多摩川もだいぶきれいになり、鮎が遡上するようになり、ようやく回復するようになってきました。昭和の高度経済成長期に比べたら多摩川はだいぶ蘇ったと言われています。

注意深い観察者としての目が必要だと思います。ホタルがいるかとか、水を覗き込んでみて小魚が泳いでいるかとか、水生昆虫がいるかとか、ザリガニがいるかとか。多摩川はテナガエビといった生物が、それも川の岸辺にいて、大事な環境の指標になってます。そういったものを探したり、見つけたりするっていうことが、自然環境に親しむひとつの出発点になるのかなと思います。

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福岡先生は、素敵な川や街の思い出をお持ちですか?
福岡博士S
私は東京の練馬で生まれ育ったんですけど、当時東京には小川がたくさんあったんです。ところが前のオリンピックの時から高度経済成長期に入って、東京の川がほとんど暗渠になり、緑道みたいになってしまった。
緑道の上が遊歩道になっていい感じなんですけれども、その下にある暗渠は水の流れとしては川と同じですが、決定的に違うのは、連鎖が閉ざされているということ。
太陽の光が入らないと、植物性のプランクトンとか藻みたいなものが生育できないんです。そうするとその植物を食べる動物性のプランクトンとか昆虫とか生育できないし、それを食べる小魚とか水生昆虫とかザリガニとかも生育できないんです。

「暗渠は生命にとっては死の川」

福岡博士S
やっぱりそこは生命にとっては死の川になってしまう。で、暗渠化したものをもう一度、水辺を取り戻そうみたいなプロジェクトが幾つか進んでいます。私が大学で教えている青山学院大学の近くに、渋谷川っていうのが流れていて…そうそう、春の小川と言いますね。本当は新宿御苑あたりから、源水としてずっとあのへんを、田んぼがたくさんある中、春の小川でさらさらいくよっていうかんじだったんですね。
それをやっぱり暗渠化してしまった。渋谷の南のへんからちょっとだけ川があるんですけども、そこまで完全コンクリートで囲われています。

水辺を取り戻すっていうことは、環境の連鎖を取り戻すということだと思います。

暗渠化してしまった水の流れをもう一度、生命溢れる川に取り戻してもらいたいなと思います。でもそのためにはかなり長い年月、地下計画が必要ですし、やっぱりその辺もロングレンジというか長い視点で取り組んでいくべきことなんじゃないかと思います。

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日本には人の手が入っていない川はないと思います。動的平衡のパラメータのひとつに、人間がそこにどう関わるかが重要だと思うのですが、人が関わる事や環境について、どんなお考えをお持ちですか?
福岡博士S
まったく人が関わらないと、自然はなりふり構わず暴れまわります。ですから、川も蛇行したり、洪水になったり、涸れたり、いろんなことが起きますよね。それはそれで自然のあり方と言えるんですけど、そこに人間が生活している以上はある程度制御というものが必要なわけです。

絶えず自然に対して人間の手を入れつつ共存していく、というモデルを作らないと、まったく手つかずの自然を目指すのは、この地球の上では難しい。

1つのモデルになるのは里山の考え方です。里山というのは、人里近くにある山のように思われていますが、実は絶えず人が手を入れて、山と人間世界との間のエッジとして、維持してきたものです。木が茂りすぎたら、ちょっと枝を払って太陽光線が入るようにして下草が育つようにしつつ、ある程度の森林機能を保って、山から鹿とかイノシシがこれ以上来ないようにするバリア機能として維持されます。

昔はそれが林業とか農業の一部として行われていましたが、だんだん人の担い手がいなくなり、山が荒れイノシシが下に降りてきたり、森が暗くなって、下草が生えなくってエサに困った鹿が人里を降りてくるので電気フェンスを作ったり、と里山の風景が変貌してきたわけなんですね。

それは川の維持についても言えて、放っておくと川は暴れますから、ある程度治水というものが必要です。ダムとかコンクリートの擁壁で自然の流れを遮断するのではなく、自然の流れというものを尊重しつつ、そこに若干の制御の手を入れるというある種の加減がいると思います…それは難しいと言えば難しいのですけれども。

「生命的な動的平衡の観点から、時間をかけて川をどうしたらいいか考える」

福岡博士S
やっぱり近代科学のもとでは機械論的に、とにかくバリアをはればいいみたいに考えられすぎたのを、もう少し生命的な動的平衡の観点から時間軸を考えるっていうのが動的平衡の考え方なので、時間をかけて川をどうした方がいいかっていうのは考えた方がいいと思います。

「自然環境を維持するには、人のアクセスと人の手が弛まず入るといい」

福岡博士S
モデルケースはいくつもあると思います。
東京の中でも暗渠になってない川の一つ、世田谷に野川という川がありますね。
野川の源流は国分寺にある日立の研究所の池の湧き水で、それがずっと二子玉川まで流れてきて、成城とか高級住宅地の河岸段丘の下を流れて来ています。それぞれに水辺公園とかいろんな形で水に親しむ施設を作りつつも、暗渠にせず維持されてきて、一部コンクリートになってますけども自然に近いテーブルの設置なんかもあります。

ああいう感じで絶えず人がそこアクセスできるような、行政の人の手も入りつつ維持されているっていうのがいいことで、やっぱり自然環境を維持するには手間ひま、お金がかかるのでしょうがないのですけれど、それを弛まずやるということだと思っています。

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人と川のつながりについて、これからを考える為のアイデアはありますか?
福岡博士S
私はもともと生物学者になる前は昆虫少年で、蝶々とか虫とかに親しんで得た多摩川の体験というものがあったから、今の自分になった。
役に立たったというか、それが自然のあり方の姿でした。
まずは、私は少年というか小学校に上がるか上がるくらいに、虫が好きになって、夢中になって採りに回った時に、まずは知ることよりも感じることが優先されていたわけなんです。

自然ってこんなに綺麗なんだ!

って、チョウチョとかカミキリムシの色とか、デザインを見るだけで自然の精妙さとかいろんな鮮やかさとか 、そういうことに驚き、センスオブワンダーを感じていました。

「Sense of wonder」

福岡博士S
今の子供たちにとってセンスオブワンダーを感じる機会は確実に失われていると思います。人工物やネットやコンピュータに囲まれてますよね。でもそれは人間が作り出した人工物であって、本当の自然を知ることが、我々生命体自体が自然ですから、いくら都市の中に囲われてそれを制御しているように見えても、生命体としての自然はなかなかそう簡単には制御できないわけです。

人間は生まれてきていつか死ぬということ自体は受け入れざるを得ないわけです。
そういった生命に対する感性や感覚は、子供の頃にどう自然と切り結ぶかによって、知ることよりもまず感じることから始まるというふうに思うわけです。

身近に川があるということは、そういった体験の場を提供してくれる非常に大事なチャンスだと思うので、東京に限らず、川ができるだけ自然に近い形で存在して、そこにエッジというか際が生まれてそこにある生命に出会うっていう体験というのはとても大事です。
大人になってもそういう感覚っていうのを1週間に1回か2回くらい、週末でもいいですけども、感じるっていうのが都会に住む我々にとって大事なことなんじゃないかと思うんですよね。

「生きるということがまずは自然なので、その自然を繋いでいるものとして水の流れがあるわけで、それが目に見える形になっているものが川なのです。」

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最後に、川と人とのつながりを作る事について、何かご意見をいただけますか?
福岡博士S

川は自然を繋いでくれる文字通り「流れ」ですよね。

水の流れとして繋いでくれることが大事ですけれど、その流域っていう考え方が大事で、源流から始まって河口までのその1つのセットが一つの生態系なわけです。

そこにはいろんなものが繋がれているわけです。例えばハチとか蝶々もそんな遠くには飛んでいけないわけです。せいぜい2キロとか500メートルとかです。
だから流域の周りに川が維持されるだけじゃなくて公園のような拠点があることが大事です。そういうものがないと虫が飛んで繋がっておけないわけですね。

そういう意味で川というものが出発点から終着点まで一つの生態域、本当はそれぞれが繋がっているから切り離すことはできないのですが、川の流域っていうのが一つの生態のユニットです。
だからそれを立体的に考えつつ、流れを妨がない、虫や鳥の交流を図るみたいな形がいい。流域にはそれぞれの拠点があり、また流域ごとに自然のあり方が違うわけです。

源流だったら山の中の渓谷であるわけですし、中流域だったら電波とかそのために使われていて、下流域だと汽水というか海水となる交流の場所が魚場になっていたり、鳥の憩いの場所になっていたりするわけですよね。
そういう意味で、

流域全体を考えるってことが一つの大事な視点になるんじゃないかな。

つまり自然は分節化できないものなのですから。
そういうことを再認識することが色々役立つのではないかと思います。

……いかがでしたでしょうか?
私たちのすぐそばに、生命のゆりかごである小自然があるということ、それぞれがつながり、あり方の異なるひとつの生態ユニットであること、そこには水の流れがあり、動的平衡の流れであること。生命と自然、そしてこれからを考えさせる、本当に貴重な機会となったインタビューでした。
福岡博士、ありがとうございました。

Writer's Profile
ミズベリング

ミズベリングとは、「水辺+リング」の造語で、
水辺好きの輪を広げていこう!という意味。

四季。界隈。下町。祭り。クリエイティブ…。
あらためて日本のコミュニティの誇りを水辺から見直すことで、
モチベーション、イノベーション、リノベーションの
機運を高めていく運動体になれば、と思います。

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