2014.11.17
尼崎のゼロメートル地帯運河をSUPで行く
海抜ゼロメートルからのスタート。尼崎水辺のイベントへと潜入
こんばんは。水主の糸井です。
秋の終わりが始まり、少し肌寒くなってきた今日この頃ですが、秋の行楽シーズンをいかがお過ごしになられましたか?
秋といえば、芸術の秋、食欲の秋と多様な楽しみたっぷりの過ごしやすい季節ですが、
同時に水辺の季節でもあります。
東京と神奈川県の境を流れる多摩川下流域の河川敷ではサックスフォンを気持ちよくソロ演奏する青年。
広島太田川下流域では、河川敷をサイクリングする年配の方。
大阪大川(旧淀川)では、少し肌寒くなった水上を朝気持ちよくパドルボードで漕いでる出勤前の方々。
みなさんのご自宅や勤務先近くの水辺の秋はいかがでしょうか。
そして、休日に全国各地で水辺のイベント多発時季のため、水辺ハンターである私はどれに参加しようか選ぶのに迷うのが秋晴れの週末です。
そんな数ある水辺のイベントの中で私が今年選んだものは、尼崎という水辺にありました。
関西圏の臨海工業地帯、兵庫県尼崎市という水辺の街はどんなとこなのでしょうか。
兵庫県主催の「うんぱく2014」と尼崎市主催の「ラブリバー床下川作戦」という今回参加した2つの水辺イベントを紹介しながら見ていきましょう。
尼崎という水辺の顛末
尼崎という町を訪れると、海抜表示板という看板が至るところに設置されています。
これは、津波対策のため、というよりも高潮対策のためです。
高潮という現象をみなさんはご存知でしょうか。
高潮は、特に台風のように気圧が異常に低い事態で起こります。
下図のように、3段階に分けて、高潮の発生する要因を見ていきましょう。
①まず、高気圧時の場合、大気は下降気流となっているため、名前の通り大気の圧力が高く、空から水面が押さえつけられている状況です。
②一方、低気圧時の場合、大気は上昇気流となっているめ気圧が下がり、水面へ押し付ける圧力も弱くなっています。
そのため、水面が高気圧時よりも高くなるのです。
③ここで、台風の登場。
そもそも台風は、発達した熱帯低気圧です。
海水温27℃以上という水温が高く水蒸気をたっぷり供給できる海で、かつ緯度5~25°の海域で産み出されます。
その後、北半球の場合、高気圧の淵を沿いながら右回りに放物線を描き北へと抜けていく進路を主に取ります。
ここ近年は、海水温の全体的な上昇、もしくは局所的な上昇に伴い、台風の進路が読みにくくなっているという現状もありますが、
この台風の接近により、高潮が発生するのです。
②で説明したように、低気圧(台風)の接近により、海面が上昇。
ここで太平洋方面(南)からやってくる傾向が強い台風は、その風で海水を太平洋沿岸部の陸へと押しやりながら侵攻。
増幅した海水は防波堤を乗り越えて市街地へと侵入し、街が水浸しとなってしまう、これが高潮による被害です。
特に潮位(潮の高さ)が最も高い満潮時に最もその被害の恐れが強いので警戒が必要なのです。なにしろ水位が最も高いのに拍車をかけていますから。
今回紹介する尼崎だけでなく、全国の沿岸域(海や河川も含め)でその現象が起こりうるので、波打ち際で高波に攫われるというイメージでなく街全体がそのリスクと向き合っていることを忘れてはなりません。
さて、この尼崎という水辺へと話を戻しますが、明治時代以降、この尼崎に進出してきた臨海工場群の地下水の過度な汲み上げによる地盤沈下で、この地の4割は「海抜ゼロメートル地帯」という海面よりも2~3mも低い町となってしまいました。
そのため、台風到来の場合、前述した高潮により海水があふれ街を水浸しにしてしまい街が壊滅してしまう危険が他の地域よりも極端に高いのです。
1950年には、ジェーン台風により24万人もの市民がその高潮に被災するという悲しい歴史もあります。
その予防策として、海沿いには防潮堤という岸壁が設置されていますが、
同時に尼崎には尼崎閘門、通称尼ロックという水門が造られました。
この水門が、閘門の北に広がる臨港地区と尼崎中心地へと繋がる水路と、南に広がる港湾と海とを繋ぎ、かつ地盤沈下による水位差を補い高潮を予防してくれるという論理です。
そんな日本最初の閘門式防潮堤が、この尼崎閘門。
この閘門という施設は、水門の中で少し異質です。
運河を、船を使用してA地点からB地点へと水路を使って運ぶ水運という交通学でみると、克服すべき課題は流速の制御と水位差の調節にあります。
例えば、日本のように流速が速い河川を制御するために堰が設けられますが、これにより水位差が発生。
結果、水路として船舶は通れません。
そのため、閘門を設置するのです。
閘門は簡単に言うと「水のエレベーター」。
建物の中に設置されているエレベーターへ入るように、船舶はこの閘室へと進入。
後方扉が閉まり水位が下がる。そして、前方扉がオープン。
このようにして、いつの間にか数十センチメートル、場所によっては数メートルもの水位差を突破できるという魔法のような施設なのです。
この施設は日本各地に点在していますが、世界の水辺にもその要衝で機能しています。
尼崎運河×パドルボード
尼崎という水辺の街の海沿いは、シンナー臭いドラム缶が乱立している道を抜け、工業地帯を往来するダンプカーに気をつけながら歩くと尼崎閘門(尼ロック)の文字が。
この閘門より内側、つまり北部地域に広がる水域が尼崎運河です。
今回案内してくださるのは、尼崎運河をパドルボード(SUP)で活動する団体「Amagasaki Canal SUP」の岸本さんです。
「Amagasaki Canal SUP」は、この「尼崎21世紀の森」という団体の一部になります。
2002年に設立された「尼崎21世紀の森」の活動は、尼崎臨海地域を対象に、豊かな水辺と緑地の創出を目指し、100年先のまちづくりを目指すという壮大なプロジェクトのようです。
緑の再生のため植樹活動がメインだったのですが、並行して運河の活動も取り組むことに。
その中で、岸本さんがパドルボードに目をつけたのが、3年前の2011年とのこと。
それは、大阪中ノ島での出来事。
たまたま中ノ島の大川沿いの水辺レストランで食事をしていたところ、パドルボードに乗った人が。
それが、大阪でパドルボートを使って水上さんぽをしている日本シティSUP協会(当時アクアスタジオ)代表の奥谷さんで、初めて見たパドルボードに度肝を抜かれ、すぐ「これや!!」と決意。
早速大阪へ通って技術を習い、水上さんぽ実行委員会尼崎支部を設立。
2013年3月には尼崎運河の拠点となる「北浜キャナルベース」が完成し、そこを拠点に月に2回ほどパドルボードレッスンを行ってきました。
もともとこの北浜運河には、水質浄化のための施設と付随して桟橋が設けられていましたが、その桟橋の後背地にキャナルベースができることにより、尼崎運河でのパドルボード活動が大きく進展したようです。
今回のイベントである「うんぱく」(運河博覧会)の賑わいも一気に加速します。
うんぱくが始まった2007年当初、施設もほとんどなく、学生たちにアカペラなどをやってもらうなどイベント内容も限られていましたが、
この施設の完成により北浜キャナルベースを拠点とした陸域と、隣接している桟橋を拠点とした水域を有効に利用できるようになりました。
主催は、兵庫県尼崎港管理事務所とNPO法人尼崎21世紀の森。
その中で、水上の利用が年々多くなってきたことはうれしいことです。
SUP(パドルボード)という言葉も認知度を上げてきたため、水上さんぽ尼崎支部からAmagasaki Canal SUPへと名前を変更したのもつい先日。
そんな尼崎の水辺を彩る「うんぱく2014」を見ていきましょう。
うんぱく2014
うんぱく2014は、2014年10月25日(土)に開催されました。
尼崎運河の拠点である「北浜キャナルベース」を基点にした陸域でのイベントや、水域での乗船体験、Eボート乗船会、そしてパドルボード体験に分かれています。
キャナルベース前では、尼崎市内の食材を使用した「amaバーガー」など飲食を味わえるオープンカフェもありますが、
この拠点を利用した水質や生物に関する研究のポスター発表というアカデミックな場もあり。
そして、すぐ桟橋からはEボート乗船やパドルボード体験へと繋がるという自然な流れは実に有機的です。
では、せっかくなので、パドルボード体験に同行してみましょうか。
桟橋では、パドルボードだけでなく摂南大学のエコシビル部によるEボート乗船会の場としても、カヤック・カヌーなどの乗り降りも兼ねるため、思ったよりも混雑しています。
桟橋利用を上手く時間調節して我々パドルボード体験会もスタート。
ちょうど秋晴れという絶好の行楽シーズン。
10月も終わりなのに、なぜか夏の終わりのような暑さでしたが、多くのパドルボードやEボートなどが行き交う水上は穏やか。
初めてパドルボードに挑戦した女性たちも、岸本さんの指導の下ゆっくりとスタンドアップに挑戦しています。
このように年々多くの人々がパドルボードを通して尼崎の運河へ訪れるようになったのです。
「こんなこと一昔前までは考えられへんかった!」
と話すのは、Amagasaki Canal SUPの岸本さん。
「臨海地域は無法地帯のようだった。大きなトラックがバンバカ走って近寄りがたい状態。
そのためか、水辺という場所が自分たちのもんやと思ってなかった。きれいにしよ~とか。
そんな中、子供たちがきれいにし始めて、子供たちが遊び始めて、そんならこんなイベントやってみようかと思った。
まぁ、これからでしょうね。ぼちぼちやっていきますよ。
横浜とか大阪のようには人は集まらんけど、10年やったら何か変わるのかな~って。
全国各地に運河というおもろい場所が眠っているから、運河に特化して活動していこうと考えています。」
常連さんばかりが集まるこの「うんぱく」というイベントだが、
毎年新しいことを1つ取り入れ試行錯誤を繰り返している、とのこと。
「僕らがずっとコツコツやっていけるか。どうやったらお客さん呼び込むことができるか。」
そんな前向きな姿勢が、この3年で水辺を盛り上げることに繋がったのでしょう。
この10月という水辺のイベントに最適なシーズン。
全国の水辺の街が競ってお客さんを呼び込むようになってこそ、面白い日本になっていくのではないか。ふと、そんなことを思ったのはなぜでしょうか。
それは、商売っ気ある関西の気質だからというわけではなく、岸本さんが真摯に水辺と人と街と向き合い、コツコツと積み重ねていったからだと実感したイベントとなりました。
そんな岸本さんに尼崎市からある作戦への参加要請があったのです。
Shall we love river?
尼崎運河の北部に広がる尼崎の市街地に床下川(しょうげがわ)があります。
その床下川も含め尼崎市内を流れる川は、防潮堤を築いたことでの河口部分を締め切られています。
川は上流から河口、そして海まで流れてこそその清流を保つというのに、ここに来て河口封鎖。
この尼崎市街地が最も低い土地となるため、市街地付近の川に最も汚物が蓄積されるという防災の代償です。
その汚物代表が「ヘドロ」です。
ヘドロは、本来水中の生物にとって栄養となる有機物なのですが、過度な栄養供給や沈殿滞積による酸素不足によって腐敗してしまった有機物です。
特に流れがないところで発生しますが、特に人工的に封鎖されてしまった都市の水路や河川下流域で多く見受けられます。
私も日本の大都市のいろいろな水路を探索してきましたが、今回の床下川のヘドロも空前絶後なほどの臭いがしました。
その水辺を尼崎市が主導して水辺をきれいにしていこうという「ラブリバー床下川作戦」に、今回初めてパドルボードでの参戦となったので同行させていただきました。
今回尼崎市にパドルボードでの協力要請され、初めてこの床下川でスタンドアップとなります。
ボードの中央にゴミ置き場となる駕籠を取り付け、右手にパドル、左手にトングといった具合でゴミ拾いスタート。
パドルボートの優位性は、水面に立つようにして辺りを見渡せることと、姿勢を変えてゴミに対応できることです。
立って漂流しているゴミを探し、膝立ちになりゴミをトングで回収。
このイベントに参加する他の方は、床下川沿いを通る歩道のゴミ拾いや、手漕ぎボートでのゴミ回収、Eボートを使ったゴミ拾いなどをしていますが、
最も驚いたことは川に浸かって川底のゴミを拾っている人々の姿が…
思わず近づいてお話を聞くと、尼崎市職員の方だそうです。
私も幾多の水辺を漕ぎ、たまに都市河川でも飛び込んで参りましたが、この床下川はちょいと勘弁と思うほど、ヘドロで黒く濁っています。
そんなゴミ拾い時間も終わり、パドルボードでのデモンストレーション漕ぎで多くの観客の声援を受けながら、そのまま床下川を下流へと少し漕いでいきます。
200mくらい下流へと下ると、床下川上空には駅前の大きな歩道橋がら見えてきました。
すると、滝が歩道橋脇から噴射されているのです。
話によると、噴水と同じでこの床下川の水を循環させて射出されているようですが、普段は全く噴水機能を使っていないようで、このラブリバー床下川作戦に合わせて作動させたようです。
ヘドロの存在を気にかけ少し迷いましたが、なかなか機会がないのであれば滝を浴びるしかない!
覚悟を決めて滝へと突っ込む私。
滝は冷たく私の半身を濡らし、ボードの惰性で滝つぼへと進入。
岸本さんも滝の脇から合流し、滝を見つめます。
戻ると、桟橋には「船だんじり」の文字が。
どうやら江戸時代には、船を山車にしてこの床下川で祭りを行ったようです。
近年復活して5月5日に水上を盛り上げているようです。
次回はこの「船だんじり」も注目してみましょう。
このようにして、「ラブリバー床下川作戦」はパドルボードの認知度も上げ無事終了しました。
市内を流れる川が注目され、より多くの方がゴミ拾いのため利活用するのが、1番優れた管理の仕方なんですよね。
ゴミ拾いという定期的なイベントで市民が水辺に目を向ける。まずはそこから水辺の復権がスタートします。
横浜や大阪のも水辺でもゴミ拾いをする方も多くいらっしゃいます。
そんな多くの人が行き交う場所でなくても、まずは、ご自分の身の回りからゴミ拾いを心がけてみましょう。
Amagasaki Canal SUP Facebookページ
NPO法人 尼崎21世紀の森
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この記事を書いた人
水主(櫓や櫂による舟の漕ぎ手・「かこ」と呼びます)
NPO法人 横浜シーフレンズ理事(日本レクリエーショナルカヌー協会公認校)
帆船日本丸記念財団シーカヤックインストラクター
水辺荘アドバイザー
横浜市カヌー協会理事
東京海洋大学大学院(海洋科学)在学中に、東京や横浜で海や港のフィールドワークをシーカヤックを通して学ぶ間に街中の水辺の魅力に引き込まれ現在に至ります。 大都市の水辺は、多くの旅人が行き交い賑わう場所で、また自然と対峙するアウトドアでもあります。 水辺をよく知ることが、町や歴史や国を知り旅の深みを増す契機となり、 また水辺の経験により自己を顧みる機会となります。 日本各地において水辺の最前線で活動しているプレーヤーの紹介を通して、水辺からの観光、地元の新たな魅力、 水辺のアウトドアスポットに触れる機会を作っていきたいです。 シーカヤックインストラクター(日本レクリエーショナルカヌー協会シーシニア)、一級小型船舶操縦士、自然体験活動指導者(NEALリーダー)。趣味は、シーカヤック・SUP(スタンドアップパドルボード)スキンダイビング・シュノーケリング・水中ホッケー・カヌーポロ・ドラゴンボート、そして島巡り旅。
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