2014.05.01
ふるさとのミズベ探し。蔵の街・栃木編
利根川を通して江戸と繋がっていた蔵の街・栃木市の水辺を歩く。
青春の地でミズベを探してみよう。
こんにちは。水主の糸井です。
さぁ、新年度が入りもう1ヶ月が経ちました。この1ヶ月でたっぷりいろいろな水辺にて季節の中を漕いできましたが、ふと気になった水辺がありご紹介いたします。
栃木県栃木市。普段海や運河を漕いでいる私ですが、なぜこんな内陸の街をご紹介するのか。それは、私が高校時代を過ごした地であり、すばらしいミズベがあるからです。
栃木高校。そこが私の母校。15~18歳までこの地に通っていました。
そして、10年経った現在。ちょうど故郷へ帰るタイミングだったので、高校がある街を久々に歩いてみようと、ふと思い立ちました。
栃木という街は、北関東に位置する栃木県の中でも比較的大きな都市であり、かつては江戸から利根川を経由し街の中を流れる巴波川(うずまがわ)まで舟で荷物を運ぶ商業の中心地でもありました。
また、日光まで繋がる例幣使街道の宿場町でもあります。例幣使街道というのは、徳川家康が改葬された日光の東照宮まで、毎年京都の朝廷から中仙道を経由し日光東照宮への幣物を奉納する勅使(例幣使)がつかわされた道です。
道の始まりは現在の群馬県高崎市近くの倉賀野宿。足利・佐野を経由し、栃木を通り、杉並木がある今市・日光へと繋がる道です。
母校・栃木高校のミズベ
そんなことも知らず、10年前私はのほほんとその街中を通学し、勉学や部活動に励んでいました。
私が通っていた栃木高校は、1896年に創立され、1899年に明治天皇が行幸された本館(現在では記念館)や1910年に建設され生徒たちが弁論などを交わした講堂、同じく1910年に後の大正天皇となる嘉仁親王来校を記念して建立された図書館など、シックな建物が特徴的。
木造の校舎の中で私も勉学に励んでいたのです。そのときのミズベの思い出が1つあります。実は、この栃木高校の中にもミズベが存在しています。栃木高校の中を流れる「県庁堀」。ここに明治の初頭に栃木県庁が存在し、その堀として機能していました。
この高校で私は音楽部(当時は吹奏楽部)に所属し、この県庁堀に隣接する体育館にて『Musician’s Strike』という楽曲を演奏しました。
この楽曲は、演奏開始してから徐々に「Musician」が1人1人「Strike」という形で会場から消えていくという演奏方法です。
ここで、私はどんな「Strike」を行ったかのかというと、会場にて演奏中に服を脱ぎ、水着一丁で県庁堀に飛び込むという荒業を行いました。飛び込んだ堀の中は鯉がたくさん生息し、近くに水に空気を送り込む曝気装置がブクブクしていても流れがほとんどないためヌメッとした水質と臭いで吐きそうになっていたことを、今でも思い出します。
そんな大胆で馬鹿な個性を尊重する高校で育ったものですから、現在自由奔放に活動する私を形成した高校、そして街であったわけですね。
記憶を辿り巴波川を辿る
さて、10年前と比べて現在ずっとミズベと向き合ってきた私にとって、この栃木という街は当時よりも変わって見えてくるものです。
それは、舟運の水路として機能していたこの巴波川(うずまがわ)とその河岸の存在が異常に際立って見えてしまいます。といっても10年前私が高校に通っていた景色と何ら変化はないわけですが、当時通学路の一風景としての景色が、「ミズベからの視点」を持った現在ではもっと街に対する深みというか面白さが浮かび上がってきます。
それは、このミズベが江戸と繋がっていたという事実。そしてその歴史を自分の中でイメージして当時の舟運コースを漕ぐことが可能であるという仮説を現実的に想像できること。
仮説を立てるのであれば、実証しなければなりません。しかし、今回はまず下見です。そのため、まずは10年ぶりにこの河岸を歩いてみましょう。
「たしかこの辺りに河岸があったはず」当時の記憶を辿りながら、栃木高校から南下して東に位置する例幣使街道へと歩いていく途中に巴波川があるはず。
すると、県庁堀沿いを通ると、堀に隣接していた栃木市役所はどうやら場所を移転し、私が高校時代にお世話になった福田屋というデパートの跡地に入ったようです。
変わったことはそのくらいなのか。いや、この景色はなんなんだろう。川の上に無数にたなびく鯉のぼりの群れ。
ちょうど自転車で通りがかった地元の方にお話を聞くと、「うずまの鯉のぼり」というイベントで、今年で10回目ということ。
ちょうど私が高校を卒業する前後から始まったため、初めて見る景色に圧倒されました。鯉のぼり、その数1151匹。
なぜ1151匹なのかというと、「いいこい」にかけているようです。※「うずまの鯉のぼり」
うずまの鯉のぼり:3月25日~6月1日
この河岸に江戸時代多くのべか舟が往来し、江戸だけでなく、利根川を使い千葉や茨城とも交易していた。そんなことを想像するだけでワクワクしてきませんか??
せっかくなので、そのルートを妄想してみましょう。
まずは栃木から江戸へと向かうと考えると、
巴波川→渡良瀬遊水地を横目にして渡良瀬川→谷中湖→利根川→江戸川→中川→荒川→小名木川→隅田川
というイメージでしょうか。
これをぜひ漕破してみたいという欲求を、この河岸に佇んでふつふつと妄想する水主であります。
河川の護岸・堰の追加、そしてそれに影響された流れの変化など、きっと江戸時代と異なった課題が多くあるのだろうと想像はできます。
ただ、かつての船頭たちができたことであるのなら、現代の私達でも決して不可能ではないと考えています。
ぜひこの舟運ツーリングを実現し、またこの場をお借りして皆様へご報告できるよう計画を練り始めているところです。
そう。川から海を目指していく若き魚たちのように。
この記事を書いた人
水主(櫓や櫂による舟の漕ぎ手・「かこ」と呼びます)
NPO法人 横浜シーフレンズ理事(日本レクリエーショナルカヌー協会公認校)
帆船日本丸記念財団シーカヤックインストラクター
水辺荘アドバイザー
横浜市カヌー協会理事
東京海洋大学大学院(海洋科学)在学中に、東京や横浜で海や港のフィールドワークをシーカヤックを通して学ぶ間に街中の水辺の魅力に引き込まれ現在に至ります。 大都市の水辺は、多くの旅人が行き交い賑わう場所で、また自然と対峙するアウトドアでもあります。 水辺をよく知ることが、町や歴史や国を知り旅の深みを増す契機となり、 また水辺の経験により自己を顧みる機会となります。 日本各地において水辺の最前線で活動しているプレーヤーの紹介を通して、水辺からの観光、地元の新たな魅力、 水辺のアウトドアスポットに触れる機会を作っていきたいです。 シーカヤックインストラクター(日本レクリエーショナルカヌー協会シーシニア)、一級小型船舶操縦士、自然体験活動指導者(NEALリーダー)。趣味は、シーカヤック・SUP(スタンドアップパドルボード)スキンダイビング・シュノーケリング・水中ホッケー・カヌーポロ・ドラゴンボート、そして島巡り旅。
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