2019.07.03

それでも「水辺で乾杯」をする意義とは?

九州北部豪雨災害に被災したあさくら観光協会里川径一さんに聞いてみた

みなさんは覚えていますか?

ここ2年間、「水辺で乾杯」実施日である7月7日の前後で、降雨災害が発生して多大な被害が起きてきたこと。水辺を自分ごととして取り組むことを推奨してきた「ミズベリング」であり、「水辺で乾杯」というキャンペーンなのではありますが、水辺に親しむことの一部に自然との付き合い方という深いテーマがあり、時に自然が見せる想像を超える姿に圧倒されます。そこで乾杯をするという行為が、社会的にどんな意味があることなのか、平常時ではない、非常時があるからこそ考えさせられてきました。

水辺で乾杯を実施する各地での判断こそ重要であると考え、中止も、実施もへだてないスタンスをミズベリングプロジェクト事務局はとり続けてきましたが、実際被災された方はどうお考えになるのか気になっていました。

2年前。水辺で乾杯2017の2日前。九州北部を局地的な豪雨が襲い、たくさんのエリアで発生した災害で、多くの家屋がながされ、たくさんの人的被害も発生しました。

7 月 5 日から 6 日にかけて、対馬海峡付近に停滞した梅雨前線に向かって暖かく非常に湿った空気が流れ込んだ影響等により、線状降水帯が形成・維持され、同じ場所に猛烈な雨 を継続して降らせたことから、九州北部地方で記録的な大雨となった。 九州北部地方では、7 月 5 日から 6 日までの総降水量が多いところで 500 ミリを超え、7 月の月降水量平年値を超える大雨となったところがあった。また、福岡県朝倉市や大分県 日田市等で 24 時間降水量の値が観測史上1位の値を更新するなど、これまでの観測記録を 更新する大雨となった。(気象庁の発表)

今回取材した黒川地区には、わずか9時間でで7月の月間平均降水量の2倍ものの雨が降った

この豪雨災害で、当時、水辺で乾杯を予定していた朝倉観光協会の事務局長、里川径一(さとがわみちひと)さんは、7月5日まさにその日、その切迫した状況をFACEBOOKで報告していました。

里川さんのご自宅も被災。現在は、仮設住宅での生活を余儀なくされています。

そんな里川さんは被災地でのボランティアの経験や、カンポジアでのNGOでの経験を生かし、復興に向けた有益な情報をFACEBOOKを通して発信し続けていました。

あるとき、彼がクラウドファンディング企画を立ち上げたことをFACEBOOKで知りました。それがこちら。

なんと、豪雨災害で山林から流されてきた流木や丸太を「資源」ととらえ、それを加工して「ウッドキャンドル」をつくり返礼品として返す、というプロジェクトで、話題を獲得し大ヒット。目標の12倍もの支援があつまり、さまざまなメディアでも取り上げられました。そのポジティブでクリエイティブな向き合い方におどろいたものです。

そんな里川さんが今年も水辺で乾杯を企画されている、ということなので、お話をうかがってきました。

被災から2年経った状況

まず向かったのは、里川さんが被災当時住んでおられた、黒川の集落。案内される道はどんどんと山深くなり、高度が上がっていきます。あちこちで片側通行の規制が行われていて、2年経ったいまでもまだ復旧は半ば、といったところ。

左:規制されている道路。右:災害から2年が経とうとしているが、河川護岸が家ごとなくなったまま

工事はすすんでいますが、まだ傷跡があちこちに残っています。田畑があったであろう場所は河川の復旧がまだ終わっておらず、河川位置がようやく確定し地権者利害が調整された、というような状況でした。実はこの地域は一年前の西日本豪雨の際も広島の災害ばかりがとりあげられていますが、同じように被害をうけています。2年前の被災後、いったん地権者調整が確定し河川の河道復旧がおこなわれていた途中だったのですが、また河道が変わってしまい振り出しに戻ったこともあったとのこと。

左:まさに河川改修が行われている。そこにあったであろう豊かな生物環境はごっそりなくなっている 右:河川崩壊、という言葉をはじめて見た

「自宅の目の間のこのちいさな川で、こどもと生物を採っていたのがそのすぐまえの週末のこと。それ以来、生物はこの川には戻ってきていない。生態系ごとごっそり災害でなくなってしまったのです」そのようなわかりやすく被災している場所があるかと思えば、すぐそばはまったく被災していない場所もあります。ちょっとの高低差、ちょっとの環境の差で容赦なく不公平な状況を産むのも、山地での水害の特徴です。「この集落に住んで数年経ちますが、このへんが水害に弱い、という話は聞いたことがなかった。」とまったく想像していなかったことが起こったという里川さん。

このちいさなせせらぎから想像できない濁流が地域を飲み込んだ

水害と聞いて想像する低地での水害とはまったく違う、山地での大量の土砂や倒木の堆積をともなう土砂災害をともなう水害の状況を、黒川で小学校を転用したアート施設を運営する、アートディレクターの柳和暢さんが詳しくおしえてくれました。

山里の廃校利用美術館「共星の里」(旧黒川小学校)の旧校庭部分を大量の土砂と倒木が覆った。案内してくれた里川さん。

「小学校の校庭の部分、ここに大量の土砂と倒木が押し寄せたんです」

左:倒木と土砂が校庭を覆う様子を説明する柳さん
右:7月5日15:00ごろ撮った写真で、校庭に茶色い水が流れ込み始めたところ

柳さんご自身の作品が玄関前に置いてあったことで、倒木が施設の玄関に押し寄せることを防いでくれたそうです。柳さんによると、小学校の校庭が狭かったので、となりの沢の河川改修をかつてやったことがあったということを後に知った、ということでした。

「ほんの時間の差で自分自身の身の危険もありえた。たまたま15:00ごろに撮っていた写真で、小学校の校庭に茶色い水が流れ込んでいることがわかる。これが前兆だったのではないかといまは考えている。」

復旧の現場

里川さんは、倒木や土砂が復旧していく様子を当時見ながら考えたそうです。

「だれが発注したのかわからないけど、とにかく土砂が土木工事で撤去されていく。倒木もだれから発注されたかわからない事業者が持って行き、おそらくどこかでリサイクルにかけている。そんな状況をみたとき、この倒木は、本来地域に還元されるべき資産なのではないかと考えた。

小学校の校庭に大量の倒木がある

災害前。災害ごと河道が大きく変わってしまい、田畑がごっそりなくなっていることがわかる。復旧はまず河道を決めないと進まない

地域の人々に声をかけ、こういうプロジェクトをやると説いて回りました。これまでの里川さんの人的関係資本が生きて、多くの人が賛同してくれたそうです。最初はウッドキャンドルとして製品化し、売価を3600円にして、1200円を手間代に、1200円を地域に、1200円を作業をしてくれる人々に渡すつもりだったのですが、クラウドファンディングにする、というアイデアは途中から生まれたそうです。

「クラウドファンディングを公開する直前に、東京の担当者から、コンプライアンスについて問われたのですが、インターネットはとても便利で、そのまえに倒木の財産権についての判例を調べていたので、GOとなりました」

結果は、当初の目標の12倍もの金額があつまりました。この金額は手数料を除いてすべて地域の自治会に寄付をしたそうです。

柳さんも災害の中で、残すべき地域資源を見つけたという。

「災害が起きて、赤い巨石がごろごろ転がっていることに驚いた。赤い石に惹かれたのだが、よく調べるとこの巨石は安山岩で、聞くところによると約800万年前に英彦山が火山活動をしていたとき、生成されたもので東西30kmに分布し、標高3-400mあたりに点在するようだ。土木復旧工事でいとも簡単に解体されて運び出されてしまうのだが、この石があるということがこの地の災害の可能性を後世に伝えることができるのではないかと考えている。そもそもこの石は、古墳時代の石棺に近畿地方で使われているような歴史的にも重要なもので、この黒川という地が英彦山との結びつきが非常に深い場所であることを思い出させてくれるものでもあるのだ」

山里の廃校利用美術館、共星の里

現在、旧校庭にはいくつかの巨石が置かれています。

地域資源を見る目

今回行ってみてわかったのは、ひとたび災害が起きると、これまでの秩序や経済活動の流れが止まってしまい、復旧モードに入ります。復旧モードは平常時とはまったく異なり、利害調整の場面は平常時に比べたくさん増え、あらたな平常時を模索する長い出口の見えない経験を余儀なくされます。

河道は改修されますが……

そういう場面において、妄想力や思いつき、地域への未来へのコミットメントを果たす必要がでてくるのは、復旧工事現場を見て思いました。できるだけはやく利害を調整し、はやく復旧させることを目標にしてできている土木工事は、一面的な復旧を果たすことはできますが、地域が本来持っている資源をどう生かすか、という多層的な議論や視点を経てできたものだとは思えません。復旧にあたって、どういう地域未来を思い描くのか、実はソフト的な活動がとても大切なのです。

里川さんは、別の地域で、農家の米の営農の復旧をささえる仕組みを考え、実行しています。「農家は買ってくれる消費者があって成り立ちます。ふつうは、できあがった米に対してその対価を支払うものですが、先に買ってくれる人が決まっていると、意欲が湧くのではないかと思いました。」

好評でサポーターの募集は終了している

せっかく田畑が復旧するのであれば、農家を支えて、意欲的になって持続可能な営農をしてもらいたい一心ではじまったこのプロジェクト、多くの人々の賛同を経て、サポーターになっています。個々の契約が山村の農家の助けになることもあるのです。

また、ある日里川さんは地域のおばあちゃんたちが、被災してなにもつかえないあまりに寂しくなった田畑の景色を憂い、コスモスやヒマワリの花を植え始めるのをみかけ、すばらしい活動だなと感動し、なにかできないか考えていたところ、エディブルフラワー(たべられる花)の活動があることを観光協会の会合で知り、コスモスが食べらることを知った里川さんが、いろんなひとたちをつないで巻き込んでできたのが、花ドレッシング。

乙女の花ドレ。甘木鉄道甘木駅構内にある観光協会事務所などで販売されている

販売は宮園たんぽぽの会

田んぼがつくれなくて、景観がさみしいと思ってはじめたコスモスが、収入の一助になり、6次産業化にもつながるというイノベーションを生んだのです。

このような関与のあり方は、里川さんの個人的な資質によるところだとは思いますが、どのようにしたらそうなるのかを考えることはとても大切だと思います。

川も地域の重要な資源

川も地域の重要な資源であると、里川さんは言います。

「まず河川の位置が決まらないと復旧しない。普段意識しない存在だった川がやっぱり地域の重要な部分を担っていたんだということをあらためて感じます。だからこそ、私たちがその川を単に恐れるだけでなく、自然の恩恵をうけているわけだし、そこに関わっていくためにも、みずでなんかやり返したい、巻き返したいという思いがあるのです。自分自身もあの災害の後SUPをやっていないというのもあって、心のどこかにありますが」

里川さんはそんな思いから水辺で乾杯を行います。

柳さんたちは現在、糸島の海水を取得し、アート施設内の元校庭で塩を精製しています。

塩の精製に使う木材は、解体された被災住宅の建材を使っている。

「塩は、ミネラル分が川をくだり、海に出てできたもの。その塩をつかって2年経ったこの7月7日に、お清めをするんです」そのお清めのイベントにあわせて、7月7日7時7分に乾杯をしてくれると約束してくれました。

ミズベリング仲間としてできること

里川さんたちの活動を通して、わたしたちの生活が水辺と自然にどう関わっているのかをあらためて考えさせられます。ポジティブに水辺にコミットする全国のミズベリストの交流は、ひとりひとりの水辺への関与のあり方を気づかせてくれるものでもあります。

そんなことに思いを馳せ、日本各地のそれぞれ違う状況におかれたミズベリストたちとともに水辺で乾杯をする機会がまたやってきます。

「去年も原鶴温泉周辺で水辺で乾杯するつもりだったのですが、また水害で残念でした。今年こそは、と思っております。」

それぞれ置かれた環境はちがうもの。でも同じ思いをもって乾杯をする機会が、それぞれの水辺に対する考え方を整理し、自分ごと化する機会になりうるということを感じました。みなさんも乾杯をするときに他の人々の水との関わり方を想像しながら乾杯されるといいのではないでしょうか?

 

里川 径一(さとがわみちひと)プロフィール
昭和51年生まれ4児の父

『繋がり』をキーワードに海外での自立支援活動から始まり、人と自然や人と人とのつながりを紡ぐ体験活動や講演会を企画。現在はあさくら観光協会事務局長としてあさくらのPRマンと呼ばれ、あさくら地域で人と人や人と地域資源をつなげるべく奮闘中。
神戸での震災ボランティアをきっかけに学生時代より国際協力活動に携わり、卒業後は福岡県朝倉市の山村地域にAIM国際ボランティアを育てる会を立ち上げその事務局長としてカンボジアでは適正技術を柱に活動を開始。日本での子どもへの体験活動も実施し、朝倉市では教育員会の嘱託職員として青年ボランティアの育成を手がけ、2013年3月には北部九州豪雨災害の被災地となった朝倉にて人と人をしっかり繋げ、1039人1040脚というギネス世界記録にチャレンジするイベント企画。見事世界記録を樹立。元気と気合と笑いで地域をエンパワメントする仕掛人。

現在はあさくら地域の珍しいお雑煮蒸し雑煮で地域の商店を巻き込み蒸し雑煮ムーブメントに火をつけている。

今までボランティアの立場として被災した方々を支援するようなことにたずさわることが多かったものの、2017年九州北部豪雨では自身が被災。しかし今まで経験を活かし被災者が自ら取り組むウッドキャンドルプロジェクトをいち早く立ち上げ、大きな共感と反響を生んだ。朝倉市黒川の家は全壊となり現在は家族6人で頓田の仮設住宅で暮らし。

あさくら観光協会事務局長(2015年~)

・ソロプチミスト日本財団 社会ボランティア賞~社会人の部~受賞(2010年)

・日本青年会議所九州地区福岡ブロック人間力大賞受賞(2014年)

・被災者の試み!!朝倉豪雨災害の流木をウッドキャンドルにの取り組みで
Readyfor of the year2017「Readyfor」受賞 (2017年)

 

山里の廃校利用美術館「共星の里」

豊かな自然の山里に建つ廃校利用の美術館

廃校になった小学校の校舎を利用した美術施設。国内外のアーティストの作品を気軽に楽しめる黒川INN美術館では、常設展や年間4、5回の企画展が開催され、オリジナルの現代アート作品を鑑賞できる。また、世界各国の子供の絵が飾られた世界子供美術館や、石ころ、Tシャツ、段ボールアートなどの制作体験ができるワークショップもある。100年前のエジソンの蓄音機、明治、大正、昭和の蓄音機の音を視聴できる部屋も人気だ。旧講堂は、レストランや作家の作品が気軽に購入できるギャラリーとして利用されている。

 

この記事を書いた人

ミズベリングプロジェクトディレクター/(株)水辺総研代表取締役/舟運活性化コンソーシアムTOKYO2021事務局長/水辺荘共同発起人/建築設計事務所RaasDESIGN主宰

岩本 唯史

建築家。一級建築士。ミズベリングプロジェクトのディレクターを務めるほか、全国の水辺の魅力を創出する活動を行い、和歌山市、墨田区、鉄道事業者の開発案件の水辺、エリアマネジメント組織などの水辺利活用のコンサルテーションなどを行う。横浜の水辺を使いこなすための会員組織、「水辺荘」の共同設立者。東京建築士会これからの建築士賞受賞(2017)、まちなか広場賞奨励賞(2017)グッドデザイン賞金賞(ミズベリング、2018)

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