2016.04.04
伊豆大島の名港へカヤックツーリング
東京近郊の伊豆大島をカヤックで巡る。島に隠された名港を求めて。
こんばんは。水主の糸井です。
4月に入り、季節の狭間による寒暖差に漂う日々。川沿いの木々に実る柑橘類が水面へと落ち、青々しく柳が揺れ、そして桜の花筏と、彩りに水辺の目が移ろう季節。
今年も旅をするにはいい季節になってきました。
世界から見ると、独特で多様な食文化を持ち、歴史が尊重され、また治安・交通の便も良い日本国内では、多様な旅をプランニングすることができます。中でも多くの島々で構成された日本列島だからこそできる島旅というものが最近再びブームとなっているようです。
それを象徴するのが東京で毎年11月に行われる「アイランダー」という島のイベント。
物産展のように大都市にご当地グルメを集めるだけに終始せず、島に多様な人々を受け入れる発信源ともなっているイベントで、島の新たな情報を得ることができる見逃せないイベントです。
そのイベントを通じて島々の連携が強化され、島単体ではなく諸島や海域で枠組みを超えての取り組みが始められていることが、我々のような島旅好きにとってはメリットとなっています。
このようなイベントに感化されたこともあり、私は多くの島々を旅してきましたが、6852もの島で構成される日本の中で今回私が紹介する島は、首都東京から最も近い有人島である「伊豆大島」。
海路だけでなく空路でもアクセス可能な東京近郊の伊豆大島の魅力を探すべく、伊豆大島の南端に位置する差木地から波浮までを散策することになりました。
伊豆大島×カヤック
伊豆大島は、南北に連なる伊豆諸島の最北端に位置し、千葉県の房総半島先端と静岡県伊豆半島のちょうど中間に浮かび、南関東の中心の位置にある島です。
東京や大阪など穏やかな湾奥に位置する大都市と比較すると、外海に面した伊豆大島周辺の海況は、台湾や八重山諸島など南方からの暖流である黒潮(日本海流)という世界最大規模の海流の影響を受けるため、年間を通して温暖な気候と水温を保つという利点がある一方、島周辺の流れが速く天候が移ろいやすい海況という脅威が内在しているのです。
私は、2015年5月下旬にこの伊豆諸島の神津島からシーカヤック単独で漕ぎ始め、1つ1つ各島の知人を巡りながら、伊豆大島経由で東京湾を目指し、湾奥の東京まで漕ぐ計画を実行していたのですが、スタートして1週間後に利島にて北上を断念することになりました。
理由は、冷水塊により南に押しやられていた黒潮本流が冷水塊を解消したことにより北上を始め海況悪化が予測されたからです。
様々な海象の影響により、海のアクティビティは制限される傾向にあります。もちろん夏季で賑わう海水浴場という限定的な機会はありますが、地元の漁師や伊豆半島や三浦半島からヨットで来航するセイラーなどスペシャリスト以外、なかなか年間を通し日常的な水辺やその情報に触れる機会がありません。
外海に面した離島という地理的にアクションが限定された水辺でも、地の利を得れば自ら針路を選び漕ぐことができ、かつ免許や資格が不要のカヤックというアクティビティが可能ではないのか。
そんな仮説を持っていた私は、ちょうど立教大学社会学部の学生たちが伊豆大島をフィールド演習の対象に活動するという授業に参加する機会を得て、そのスピンオフ企画として2012年夏に「伊豆大島カヤッキング」にて検証することができたのです。
見知らぬ水辺を漕ぎ渡る際は事前の準備が大切です。
その中でも地図や海図を広げ、どのような潮の流れや風の動きがあるのか、出発地点やゴール地点や避難場所を予め定めておくこと。事前に空間を把握し地の利を得ることは水遊びにおいて必須事項です。
さて、周囲56㎞の伊豆大島。その地図を広げると南部は波浮という港があるようです。
他の集落と異なり、口が狭く奥深い湾で構成された波浮。
このような天然の良港こそ、カヤックやSUPにとって漕ぎやすい空間なのです。
ところがこの波浮という港は、自然発生で生まれ後に人が利用し発展した港とは異質なものだったのです。
隠された遺産。名港波浮へと舵を切る。
古代より黒潮と付随する気象・海象に翻弄されてきた伊豆諸島ですが、旧石器時代に大きく文明に寄与した黒曜石の産地の1つである神津島と伊豆半島との季節的な往来が確認され、海の道として利用されてきました。当時はコンパスや海図などは皆無のため、伊豆半島を含め本州という大きな島が視認できる島の北部や西部に集落ができ、港が生まれていったと推察できます。
一方、今回焦点を当てる伊豆大島南部の波浮港が生まれたのは、江戸時代は18世紀末。
もともと水深が深く穏やかな火山湖「波浮のお池」という閉鎖水域が存在するだけでしたが、大津波の影響により海と火山湖が偶然にも繋がった後、秋山平六という商人が波浮を港として機能させるという価値を見出したのです。
江戸時代に確立した全国レベルでの物流システムの1つ「東回り廻船」の終着点である大量消費地江戸。奥州から太平洋を南下し江戸を湾奥に持つ江戸湾へ入るには、海難事故を多発する房総半島周辺の通航を嫌い、伊豆半島南端の穏やかな下田へわざわざ遠回りし、風を待ち浦賀経由で江戸湾へ入港していました。
「その房総半島から下田への横断中、嵐に巻き込まれた際逃げ込み安全に避難できる天然の良港が波浮にあれば、避難港としてだけでなく中継港として南関東一の発展ができるのではないか。」
そんな思いで、火山湖を造り替えることで新たな波浮の価値を見出し江戸幕府に港開きを願い出た秋山平六。
湾の出口を大岩に塞がれ不完全であった「波浮のお池」を、彼が陣頭指揮を執り造り変えられ天然の良港と化した「波浮港」の出現により、仙台からの廻船は波浮で南風を待ち一気に江戸湾への入港が可能となったのです。
これ以降、波浮は関東の中継基地として大いに賑わい、昭和初期まで多くの観光客や文人が保養のためその風光明媚な港町の魅力に引き込まれていきました。
しかし、時は流れ現在では他港との連絡を断たれ、波浮は漁港として機能するのみ。
港は時代において盛衰するものですが、人が惚れ込み手を加えることで発達した価値ある港を漕ぐことは、都市の色気ある水辺をSUPで散策することと同じように大切な手法です。
伊豆大島カヤッキング~差木地から波浮港へ~
立教大のフィールド演習を契機に、伊豆大島をカヤックで遊ぶという新たな切り口に魅力を感じた私は、その後も「伊豆大島カヤッキング」の定宿となっている伊豆大島南端の差木地という集落にある「民宿mock mock」へ。
東京との連絡船「東海汽船」が到着する北部の岡田港や西部の元町港周辺から海岸沿いの大島一周道路を南下し、差木地の郵便局から山側に針路を向け廃校となった小学校沿いを抜け春日神社を左に曲がると、「民宿mock mock」へ到着。
ここでカヤックをお借りして差木地の廃港フナアから海へと出ていきます。
民宿でお借りしたカヤックは「シットオントップカヤック」という釣りやダイビングのために造られたオープンデッキのカヤック。旅向きで耐航性が高いシーカヤックと異なり、安定性は高い一方、幅があり抵抗が大きいので耐航性は低く、潮と風の影響を鑑みることが大切。
谷口さんに見送られながら差木地港を離陸すると、すぐ人智及ばぬ世界が広がります。
片道4kmの旅路といえども、ゆったりとした東風に向かい2人で協力して漕がなければなりません。
差木地で見送る谷口さんの姿が見えなくなると、トウシキという岬が見えてきました。
この周辺は隠れ家的海水浴場として夏は密かに人気のスポット。
トウシキの海水浴場を横目に、さらに東へと進みます。
ここからは断崖絶壁のダイナミックな地形が左手に現れ、右からはうねる大波がゆっくりと我々を持ち上げる。
崖から少し距離を取り、波が砕ける場所を予め確認しながら丁寧に進んでいくと波浮港の入り口。
無事波浮に入港すると、人心地がつく穏やかな湾内が広がります。
砕ける波の音も遠のき、鳥たちの囀りとパドルが水を撫でる音を聴き入りながら上陸。
ここまで1時間半の旅路。漁船用の大きなスロープがあり、ここの脇を少し利用させていただくことに。
ちょうど隣には波浮の水辺を守る「波布比咩命神社」が鎮座。
穏やかな水面で歴史もある水辺を利用する人は私や漁師以外にいないのかと辺りを見回すと、地元の高校生がカヤック実習を終えたばかりのよう。
さて、漕いで来たからには帰らねばなりません。
波浮港の穏やかさに心落ち着いているのも束の間、あたりは夕日に照らされて橙に染まる家路。
同じ海の道を柔い追い風に背中を押されながら、水の音を聴き夕凪を楽しんでいると、ウミガメがひょこひょこ顔を出していきます。
そして、1時間の家路でようやく差木地の港へと帰還。
なんと谷口さんが周辺の方々に告知されていたようで、差木地の方々が応援に集まってくださいました。
使われなくなった港も、安全を鑑みればこんな面白い使い方ができるんですよ。差木地や波浮だけでなく、全国の港も。
さぁ、無事に水遊び終えたら、食べることも旅の楽しみの1つ。
民宿mock mockに戻ると、島の食材を使った谷口さんの料理に舌鼓を打ち、ビールで渇きを潤す。たまりませんね!
こうして、カヤックを通して海から島を眺めるというアクションに成功しました。
次回は、伊豆大島の高校生とカヤック演習ご一緒して波浮港の新たな魅力に繋げることができれば、より波浮の港は深みが増します。
都市の水辺も同じですが、無関心によって失われていく水辺に様々な切り口を入れていくことで、再び港は灯ります。
まだまだ日本には多くの魅力が隠されている水辺がたくさんあり、それは決して東京や大阪など大都市に留まりません。
共通しているのは、常に魅力と危険とを表裏一体に隠し持つ島の水辺であるということ。
ほとんどの人々が住み働く本州島だけでなく、いわゆる「離島」と見なされる多くの島々が秘めた魅力を、今までにない新たな切り口で探し出す。
これが新たな島旅。
水主である私にとっては漕ぐことが最良の手段ですが、皆さんはどんな島旅をしてみたいですか。
この記事を書いた人
水主(櫓や櫂による舟の漕ぎ手・「かこ」と呼びます)
NPO法人 横浜シーフレンズ理事(日本レクリエーショナルカヌー協会公認校)
帆船日本丸記念財団シーカヤックインストラクター
水辺荘アドバイザー
横浜市カヌー協会理事
東京海洋大学大学院(海洋科学)在学中に、東京や横浜で海や港のフィールドワークをシーカヤックを通して学ぶ間に街中の水辺の魅力に引き込まれ現在に至ります。 大都市の水辺は、多くの旅人が行き交い賑わう場所で、また自然と対峙するアウトドアでもあります。 水辺をよく知ることが、町や歴史や国を知り旅の深みを増す契機となり、 また水辺の経験により自己を顧みる機会となります。 日本各地において水辺の最前線で活動しているプレーヤーの紹介を通して、水辺からの観光、地元の新たな魅力、 水辺のアウトドアスポットに触れる機会を作っていきたいです。 シーカヤックインストラクター(日本レクリエーショナルカヌー協会シーシニア)、一級小型船舶操縦士、自然体験活動指導者(NEALリーダー)。趣味は、シーカヤック・SUP(スタンドアップパドルボード)スキンダイビング・シュノーケリング・水中ホッケー・カヌーポロ・ドラゴンボート、そして島巡り旅。
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