2015.10.06
川は、そのまちを映す鏡かもしれません
ミズベリング・プロジェクト2代目の国交省アドバイザーは、
そういった。
昨年立ち上がったミスベリング・プロジェクト。この夏から初代藤井調整官に変わって担当される堂薗(どうぞの)さん。聞くところによると、堂薗さんは河川系の技術者ですが、母方の祖父は建築系、父は道路系で、三代目の国の職員とのこと。そんな堂薗さんに河やミズベリングに対する想いを伺いました。
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国土交通省 水管理・国土保全局 河川環境課
河川環境保全調整官
堂薗俊多さん
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いままでの河川のお仕事を教えてください。
ミズベリングの取材ということで、「水辺の利活用」に少しでも関係する仕事について、特に現場の事務所で関わった川の順番でお話しします。
最初は平成6年に関東で江戸川、中川、綾瀬川を担当しました。渇水の後に洪水を経験しましたが、水辺の整備案件もありました。
江戸川に取水口を持ち、250万人の飲み水を供給する金町浄水場のすぐ上流に、特に水質の悪い支川・坂川の水が流入していました。水道水源の質の向上を目的として、そこに古ヶ崎浄化施設を造ったのが平成5年です。そのテスト運転が始まった際に赴任しました。小石の表面に付着したバクテリアの力で、そこを通す水の汚れを分解する浄化方式です。せっかくきれいになった水を有効活用しようと、子供も水に触れる小水路をつくったり、改善された水環境の話題をマスコミに紹介したりしました。
澄んだ水は良く日光を通すので、瞬く間に清流に育つ水草が繁茂し、生き物の種類もガラッと変わりました。動植物の反応の早さに驚きましたね。
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次は平成9~10年の広島・太田川です。国際平和文化都市・広島の市民にとって、水辺は特別なものです。特に原爆ドーム周辺は、いわば「祈りの空間」として大切にされています。毎年8月5~6日には国内外からアーティストが訪問し、人と音楽と水辺が一体となって、特別な空間になる。それにふさわしい水辺と都市との連携はどうあるべきか、そんなことを地元の市民団体の皆さんと考えました。
灯籠流しが安全にできるよう工夫された一連の水際部は昭和50~60年代に先輩方が造ったものでした。しかし、水辺の施設ができれば終わりではなくて、周辺の町との連続性など、そこを利用する幅広い人々の知恵と手が加わって、実際に使われる中で、地域がより活性化していくんです。
今、広島は、河川区域内に民間が経営するオープンカフェが並ぶなど、全国的に見ても先駆的な水辺利用が進んでいます。今のミズベリングにもつながるヒントがあると思います。
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その次は平成20~23年の清流の国・岐阜です。木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)は近代治水発祥の地とも言われ、水害に悩まされた歴史も色濃く、長良川には1300年続いている伝統漁法の鵜飼いもあり、住民の皆さんの川に対する思いも深い地域です。
例えば、鵜匠さんは2時間ほどの漁の最中に、のどが渇くと川の水を手ですくって口にふくみます。「川のすぐそばに住み、川とともに生きてきた。日本の川文化はわしらが守る」という強い自負があるんです。含蓄のあるお話を伺うために、毎月通っては薫陶を受けました。
岐阜の川の特徴は、生き物の種類が多いことです。約1万年前の最終氷期に南北の生き物が交差する地域であったことや、今でも日本海と太平洋の両方の海から遡上する生き物が混在することがその理由です。そのようなことから、岐阜は自然に配慮した川づくりでも全国のトップランナーの県でしたし、自分が関わった川に家族で出かけては、生き物を捕まえて家族みんなで随分遊びました。思い出深い土地です。
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最後は平成24~26年、九州熊本の南部にある球磨川(最大の支川は清流川辺川)です。着任早々から地元の名人に鮎の友釣りを教えていただき、釣りをしながら川の空気を存分に吸ったり、川で徹底的にボケーっと過ごしたり、釣った魚を食べたりと川の恵みをたくさんいただきました。
また、話は変わりますが、今、熊本の2大有名人はくまモンと加藤清正です。信長、秀吉、家康公に比べれば知名度は劣りますが、清正公は八代では「せいしょこさん」と深く敬愛されている400年前の戦国武将です。熊本城をはじめ数々の名城を築城した人で治水にも優れた功績が多く「土木治水の神様」と呼ばれています。その清正公ゆかりの「八の字堰」の再生プロジェクトに着手しました。
完成まであと3年かかる予定ですが、この歴史的土木遺構の再生は、生き物のための環境の再生にも、八代の地域活性化にもつながると評判が良く、地元の県、市はもとより、商工会議所や漁協など多くの関係者が協力する形で進んでいます。
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若干脱線するかも知れませんが、平成16~19年にJICAの専門家としてフィリピンに渡り、違う文化の国でも川に関わりました。ヨーロッパやロシアの大河も見て来ましたが、フィリピンの川にも影響を受けましたね。
先方の公共事業道路省に私のデスクがあり、フィリピン人職員らと共に治水事業や災害対応の仕事をする中で、現地の川にも行くわけです。そのような中、日本ではあまり見ることのなくなった、ほとんど人の手が加わっていない大河川を見る機会もありました。
調査中に小船が故障で止まってしまい、助けが来るまで炎天下でじりじり焼かれて、ついに我慢も限界で「岸まで泳ぎましょう」と提案したところ、ガイドさんが「止めはしませんが、ところであなたはワニには強いタイプですか」と(笑)。あちらのワニは大きいものは4メートル近いんです。その日ホテルに戻り、ジープの中から敷地内の車道を見ると、大蛇がゆっくりとご通行中でして。本来人間は自然の中では極めて弱い存在で、ふと出くわせば最後、こちらが命を落とす生き物もいるわけです。当たり前のことですが、日本にずっといるとそんなことも忘れてましたね。
行政マンとして、心がけていることは何でしょう?
今の時代、行政マンは主役じゃない。関係者の一人なんだと常々思っています。地元の方々はどんな夢を描いているのか。それを実現するために、我々はどんな知恵を出せるのか、ということ。
今のポストに就いても同じ想いでいますが、全国各地にお住まいの皆さんの話をよく聞いて、それを実現するために汗をかこう、黒子に徹しよう、という感覚です。当然、川だけに関わって生活している人はいないわけで、まちの中に住んで、働いて、学んで、憩いの時間を持って、レジャーを楽しんで、という日々の生活のワンシーンとして、川で過ごす時間があり、その川が一人の個人にとっても、そのまちを訪れる人にとっても、引いては将来へ向けてのまちの活性化にとっても大切な場所になっていくように、お手伝いをするということですね。
川は公共空間ですから、真っ白なキャンパスではない。一定のルールがあります。しかし、現行制度では難しいことがあっても、とことん考え抜かないといけないと思っています。相談しやすい窓口でありたいですね。
住民や企業などとの関係づくりは、どうされていますか?
公的機関の立場として、住民と企業をつなぐ役目は大切だと思っています。NPOの方がいきなり支援を求めて企業に行っても一蹴されるという話をよく耳にします。世の中には色々な人がいますので、日本社会では飛び込み営業だと怪しまれるケースもあるわけです。しかし公的な立場にある我々が、「この皆さんは国が認めた河川協力団体さんですよ。地元の市町村とも協力して河川を美しく保つボランティア活動も熱心にされてるんですよ」などと間に立って紹介することで、企業の皆さんも話を聞いてくれる。そして話をするうちに、企業側の地域貢献したい気持ちも見えてきたりします。そんなキッカケづくりを進めたいですね。
もちろんボランタリーベースの話から一転して、水辺とまちを一体的に捉え、ビジネスチャンスの場として、いわば「身近にあるニューフロンティア」として水辺を見る機会を、もっと多くの企業に提供したいという思いもあります。これはチャレンジの部分ですが、ミズベリングの取り組みのひとつの柱になる可能性があると考えています。
今私は、住民と企業を分けて話しましたが、意外と一人で二つを兼ねている方々も多いんです。これからは少子高齢化社会になり、人口が減っていくわけですから、一人ひとりが地域でパワーを持っている人たちと有機的に連携していかないと地域の元気が維持できません。その中で、一人が2役3役を担う場面もあるでしょう。
ふだんは会社員だけど、土日は川のイベントの頼れる世話役をしていて、お祭りのときは更に重要な頭領になってはっちゃける。そんな父親を見て育ち「僕も父ちゃんみたいになりたいな。そしてこのまちが好きだ」と思うような息子さんなら、大学で都会に行っても、戻って来て地域コミュニティが存続できる。
堅い言い方をすると、国交省の仕事として「国土を適切に保全し、管理する」という目的があり、そのための基盤となる様々なインフラを整備しているわけですが、決してインフラを造ることが目的ではなくて、その基盤があればこそ、そこに人が住んで、賑わって、経済活動が回って、インフラも使われる中で更に良いものになっていって、という回り方をしていくことが大切なわけです。
そのためにミズベリングというひとつの取り組みが、市民、企業、地元市町村や河川管理者が一体となって、水辺という公共空間を活用する新しいライフスタイルを提供し、そのような新しい文化と呼べるような社会を創造していくエンジンの役割を持てればと思っています。
魅力的な水辺にするためのポイントは何でしょうか?
「多くの人に見られれば美しくなる」というのは女優さんだけの話ではなく、川の話でもあります。たとえば河川敷のイベント、草刈りからはじまって場を整えるための事前準備をする。人が川に関わるからこそ、ひと手間をかけるからこそ、川が綺麗になる訳です。ほっといても綺麗にならない。女優さんも綺麗でいるためにはほったらかしではなく、色々なさっているわけでしょう。具体的には知りませんが(笑)。
逆にきたない川とはどんなものか。ゴミに話を絞ってみましょうか。川は高いところから低いところへ、水が方々から集まってひとつに大きくなっていくものです。従って、あらゆる道路や側溝や用水路に落とされたゴミを集めに集めて海に至るんですが、でも途中で曲がりくねったり、植物が繁茂していたりして引っ掛かり易いところがあって、特定の場所ではゴミが目につく状態になります。川が悪いのではなく、川は被害者なんですね。
しかし、大切にされている水辺はそれでも美しいわけです。増水した後にせっせと河原でゴミ拾いをするボランティアの方々がいたり、BBQの後でも炭1つを残さず持って帰るなど、利用者のマナーが徹底されている。その水辺を見つめている人々の心が、美しい水辺に現れているわけです。きれいな施設を水辺に整備すれば美しくなるのではなく、それを大切に使っていく「心の運動」が伴わなければ、あっという間に汚くなってしまうんです。結局ポイントは人なんですね。
最後にまとめとして、ミズベリング・プロジェクトで目指したいことは何ですか?
先程、ミズベリングというひとつの取り組みが、市民、企業、地元市町村や河川管理者が一体となって、水辺という公共空間を活用する新しいライフスタイルを提供し、そのような新しい文化と呼べるような社会を創造していければという話をしました。
また、特に企業に着目して、水辺とまちを一体的に捉え、ビジネスチャンスの場として、いわば「身近にあるニューフロンティア」として水辺を見る機会を、もっと多くの企業に提供したいという話もしました。
私は今、前任の藤井さんからバトンを受けた現状ですので、これまで関係者の皆さんがご尽力されてきた良い流れ、その慣性力を損なうことがないように、これからミズベリングでつながっていく多くの方々と力を合わせて取り組んで行きたいと思っています。
その先にある目指すものという意味で言えば、全国各地の水辺に関係していく皆さんが川と向き合うとき、その川に畏敬の念、感謝の念が根っこにあれば、自ずと味わい深い水辺が広がっていくのではないかと思っています。
特に都市部においては、川はもはや自然物ではありません。だからこそ、より色濃く、川はそこに住む人、そこを利用する人々を映す鏡のようなものになっているのではないでしょうか。望む望まずとに関わらず、そのまま映ってしまう。これは考えようによっては恐ろしいことですね。嘘がつけないということです。
水辺への感謝の気持ちや、大切に思う気持ち、その地域が持っている品格とでもいうようなものが、映り込んでいく。その意味で、市民、企業、地元市町村、河川管理者と、様々な立場で水辺と関わっていく人の心が、そのまま将来の「日本の川」になっていく。ミズベリングの取り組みというのは、先の先まで見通せば、結局、川を通して現在から将来へ向けて日本人そのものをつくっていくという取り組みかもしれません。
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堂薗俊多(どうぞの・しゅんた)
1967年、本籍鹿児島で中学以降は福岡で育った。九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修了。92年に旧建設省に入省。主に河川畑を歩む。八代河川国道事務所長を経て今年8月より現職。
この記事を書いた人
ミズベリングとは、「水辺+リング」の造語で、 水辺好きの輪を広げていこう!という意味。 四季。界隈。下町。祭り。クリエイティブ…。 あらためて日本のコミュニティの誇りを水辺から見直すことで、 モチベーション、イノベーション、リノベーションの 機運を高めていく運動体になれば、と思います。
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