2019.04.02

「染物の街」の未来を、東京の水辺でつくる

新宿区中井ではじまった「護岸アートギャラリー」が面白そうなので作業を見学しに行ってみた

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Facebookでの情報を頼りに、面白そうなことが起こりそうだと直感した私は、新宿区にある、西武新宿線中井駅へと向かった。私がここの駅を降り立ったのは、20年ぶりのことである。以前筆者が学生時代に住んでいたアパートがあったこの街を、都市河川の代表のような、妙正寺川が流れていた。三面張の護岸の眼下かなたに普段は深さ10センチもあるかどうかの水のせせらぎが、私の上京生活を癒してくれていた。一方で大雨が降ると護岸の縁に迫らんとする水量がものの数十分で襲ってくる恐ろしい川。そのような、身近であり、また縁遠くもあるあの川で、なにか面白いことが起きている。

ミズベリングでは以前この当事者たちによる取り組みをご紹介したことがある。『川が育んだ日本の伝統工芸・染色の祭典「染の小道」』治水対策のため河床をさげられる以前の、もっと浅い場所を流れる川だったころ、このまちは、染物の街として発展した。その”街の記憶”を蘇らせる祭典「染の小道」が毎年行われている。
取材した時点で、7年目の開催で、今年の2月には11回目の開催を無事終えていた。

「染の小道」2019の様子。河川の上に反物を展示する。染の小道実行委員会提供

今年の開催の様子。たくさんの人々が見学に訪れた。染の小道実行委員会提供

そんな彼らが、2019年3月16日に、2月のイベントの河川利用に関する新宿区との協定のなかで抱き合わせで盛り込んでおいたのが、今回の試みである「護岸アートギャラリー」である。

氷雨が降る中、大人たちがヘルメットとウェーダーを着て、川の中に入っていた

建物の給水栓からホースで繋がれていたのは、高圧洗浄機。高圧洗浄機から長い黒いホースが伸びた先には、川の底をごそごそと動き回る男女がいた。

川のなかで作業する人々。一瞬、革命家たちがまだ生き残っていたかと身構えた。

水位や気象情報とにらめっこしながらの作業

「水平?」
「右をちょっとあげて!」と川のなかと護岸の上の人々とのやりとりがあったあと、ホースの先のノズルをもった人が、護岸に人々が抑えるボードをめがけて、高圧水を噴射する。

噴射した水は、跳ね返り、3月の気温10度に満たない川の中で必死にボードを抑える男たちの顔面に容赦なく降りかかっている。

「まだ?」
「もうちょっと」

ボードには穴が開いており、その穴をめがけて高圧水は噴射されている。ボードにいくつか開けられた穴をすべて高圧水で噴射しなければならないらしく、漏れがないか確認しながらも、手早く作業をおこなっている。

「もういいよ」
という掛け声とともに、高圧洗浄機は唸り音を止めた。

気温10度を下回るなか、水しぶきを浴びながらも作業を行う人々は、全員ボランティア

ボードをもった男たちがボードを護岸から離すと、そこには、紋様が描かれていた。
それは、江戸時代の紋様の、「七宝」柄であった。


コンクリートを「洗浄」することであらわれる江戸の紋様

「護岸アートギャラリー」の始動

「染の小道」が毎年行う祭典は順調に成長し、多くの人々が中井を目指して来訪し、たくさんの賑わいを育むイベントになった。一方で、このイベントが年に3日しか開催されないことを「3日で終わるのはもったいない」とおっしゃっていたのは、この地で染色工房を営む、小林元文さんである。

染の小道の代表経験者であり、染の里二葉苑を運営する株式会社二葉代表取締役小林元文さん
「3日のイベントを通して、たくさんの人々が染物の街であることを認識してくれるようになったのはとてもいいことなのだが、どうにか年間を通して、染物の街であることを発信し続けられるようなものはないのか?」と考えていたそうで、ある時、染物をつくる工程のなかで、型紙でのりをつけ、柄を出す染物の技法をヒントに、高圧洗浄で護岸のコンクリートを”洗う“ことを思いついたのだという。

「最初は自社の屋上のコンクリートで実験してみたんだ」

屋上に案内してもらうと、たしかに実験の跡が。

「最初につかったビニールは高圧洗浄機の圧力の強さでビリビリになっちゃったよ(笑)」と楽しそうに言う小林さんは、底抜けに明るく、前向きだ。

みんなでホームセンターに行き、素材を探す中でたどり着いたのが、ポリカーボネートでできたダンボールのような構造の中空の素材。加工しやすく、軽く、硬くて形態の安定性があるこの素材を使うことになった。

今年の実施にあたり、最初の実験から数えて、二年越しの計画がようやく実現したのが、この日の作業なのである。

長年の信頼関係

染の小道はこれまで10年にわたって開催してきた歴史がある。今回の企画を実現するにあたっても、地元の自治体である新宿区と調整があった。この川は常に土嚢がどの位置にあるかを心配しなければならないような氾濫のおそれがある川だった。それが、上流の貯水池の整備をきっかけに、新宿区としても河川のアピールのニーズがあったことが、これまでの10年の官民連携の歴史を支えている。

染の小道には現在新宿区の職員も職務を離れれば趣旨に賛同し個人的に参加している者もいる。染物の街をアピールすることで、特徴ある街にしたいという公共マインドへの共感が10年を経て広がっていることは間違いない。

その官民の信頼があったからこそ、今回の「護岸アートギャラリー」は実現したのである。

イベントを超えた、まちの未来への思い

「川の姿は、本当はこうじゃないと思って、染の小道をやってきたんです。」小林さんは言う。「せせらぎを復活させて、いまの掘込河川の上に蓋をして人工の河川をつくってでも、反物を洗うという過去の風景を復活させることが、この街のためになると考えていたんです。そのためにも染の小道をやってきた。結果、現在なお残る染物産業の工場に対するイメージが上がっている。イベントによって集客に繋がって、地元の人々も喜んでくれるようになった。近隣の学校でも染物に関する授業を盛んに行ってくれるようになった。工房がまちに支えられて残っていくことができるんじゃないか、という期待も生まれ始めました。


川に入って糊を落とす工程「水元」を復元している様子。新宿区のwebサイトからの引用

将来、工場の誘致や、工房の誘致をこのまちにしていくことも必要かもしれません。工場と言っても、仕立屋や染み抜きなどアパートの一室程度の規模でできる作業もあって、そういう作業をそうやってさらにこのまちを染物の街の未来を描いていけるような気がするんです。」
水辺のまちづくりが、産業育成になっている。小林さんは、もう蓋をしたりせせらぎの復活させることそのものにそんなにこだわらなくなったそうだ。

ポジティブな巻き込み力

染の小道のメンバーは多様である。
まず商店街会長がメンバーである。撮影、記録ができるメンバーがいる。染物に関わる、染色の職人や、のれんの作家もいる。実際に河川占用の手続きを行うのは、建築家のメンバーである。グラフィックデザイナーもいる。「デザインは重要で、巻き込むためにとても大切」と小林さん。巻き込まれているメンバーたちは、本業での活躍もありつつ、だれかにお願いされたわけではないのに、主体的意思として参加している。「染物は産業として内向きになりがちなんです。工程の一部を担っている職人は、どういうひとが次の工程を担うのか、それがどういう人々に使われるのか。染の小道の祭典がなかったら知ることもなかった。そして巻き込まれてきたたくさんの人々の関与を通して、染物が外に向かって開いていくのを実感しているんです。」

夜になってあらためて眺める自分たちの成果に思わず笑みがこぼれるメンバーたち

作業のあいまあいまに、さまざまなアイデアが生まれてきてシェアされている様子

「護岸アートギャラリーの今後」

護岸アートギャラリーは、今回中井駅のそばの河川の護岸10mにわたって、「七宝」柄の護岸アートを整備した。毎年10-15m程度の護岸アートを整備していくことを染の小道では計画している。


「一年一紋。毎年柄が変わっていくことを考えています。今年は「七宝」柄。来年はオリンピックのロゴにちなんで「市松」柄。そうやって年代で柄がちがうことが、地域の歴史になって積み重なっていけばいいなと。ガウディの建築のように、いつまでも続いていく。今後も新しいメンバーが増えていくでしょう。そのメンバーの参加年によって柄がちがうことが、このプロジェクトが年に3日の機会から、年間通して染物の街としてのなにかがずっとありつづける、そういう新しい挑戦なんです」

作業の慰労で乾杯。お疲れさまでした。この場で関わる人々が税理畑のかたや自動車業界ではたらくひとなど多様な人々が関わっていることがわかった。

都会の三面張の護岸でも、川があらたな表現の場となることで、人々が巻き込まれていき、まちづくりにつながっていく。
20年ぶりに訪れた中井のまちは、当時とはまったく違う街に見えた。

「殺風景な中井がこの活動によって温かくなる」というのは、中井の居酒屋の名店「錦山」の店長

この記事を書いた人

株式会社水辺総研代表取締役、RaasDESIGN代表、BOAT PEOPLE Association理事、水辺荘発起人 、一級建築士

岩本 唯史

公共空間としての水辺がよくなることで、社会がよくなると考える。建築家として建物のリノベーションを主に設計の仕事をしている傍ら、都市をリノベーションするのであれば、公共空間である水辺を外して考えることはできないと考え活動している。BOAT PEOPLE Associationのメンバーとして、いままでさまざまな水辺のトライアンドエラーを繰り返して社会に水辺の空間のあり方とつきあい方を提案してきた。 2005年横浜トリエンナーレ出展作品「Life on Board II」「内閣府都市再生モデル調査事業、FLOATING EMERGENCY PLATFORM」「地震EXPO09(BankART)」「東京アートポイント LOB09-10」など。最近は横浜の水辺を「使い倒す」ことを目的に、水辺のソーシャルスペース「水辺荘」を日ノ出町たちあげ、都市に新しい風景をつくる試みをたくさん行っている。

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