2019.03.05

【開催レポート】6時間に渡って熱気むんむん。 「川ろうぜ、街がえようぜ大賞」、決定!

2019年2月28日。こけら落としに欅坂46がライブをおこなうなど、華やかな人たちが集まると話題の渋谷ストリームホールに集まったのは水辺に関心のある川った人、街がった人約350人。実際には後方で立ち見の人、会場に入りきれなかった人もいたほどで、一体、何人が集まったのか、正確な数字は分からない。北は北海道から、下は高校生までという多彩な顔ぶれで14時のオープニングから、交流会、水辺で乾杯in渋谷川までを経ての20時までを盛り上がったまま終えた。その充実した時間のうちから、面白かった点だけを以下、厳選してお伝えしよう。


川と街が繋がった日

当日の総合司会はミズベリングプロジェクトのプロデューサー・山名清隆氏と国土交通省都市局まちづくり推進課官民連携室の橋口真依氏。この時点で驚いたのはこれまで川と街づくりが繋がっていなかったということ。ミズベリングは国土交通省の水管理・国土保全局と共に進められており、そこに今回から都市局が加わるのだという。以前から使われてきた「川ろうぜ」の言葉に加え、「街がえようぜ」の一言が加わったのはそのため。「間違いをいとわず社会実験的にトライアンドエラーを繰り返していくさま」を想起させる標語で全国各地で挑戦している人々へのエールだという。

塚原、青木両局長ががっちり手を組む

会議冒頭で塚原浩一国土交通省水管理・国土保全局長、青木由行国土交通省都市局長が揃っての挨拶があったが、公の場で異なるジャンルのトップが一緒に挨拶することは珍しいのだとか。だが、長らく渋谷のまちづくりに関わってきた青木氏はこの場で今後、水の世界と一緒にまちづくりに取り組むことになったのは「街がえたではなく、街(待ち)かねたと言いたい」とコメント。この日は水辺とまちづくりが繋がった、歴史的な日ともなったわけである。

「バックキャスト・エフェクト」に頷く人多数

会議のメインは昨年12月に33組の中からファイナリストとして選ばれた水辺で活動する11組の事例紹介なのだが、当日はそれ以外にもトーク、中継などと様々な人が登場した。中でも会場の多くの人達が頷き、メモをしていたのがデジタル創造集団ライゾマティクス代表の齋藤精一氏のパート。

齋藤精一さんによる講演

リオオリンピックの閉会式を手がけるなど一見華やかに見える同社だが、実は迷路のように絡まった糸がごとくの行政調整も多く、しかも、それが嫌いではないと齋藤氏。人ができないならやってみよう、大好物だとも。とはいえ、「使われていない場所を使えるようにするために開けなくてはいけない鍵が多すぎる」。同意する人の多い言葉だったのではなかろうか。

もうひとつ、失敗も含めた様々な事例紹介の最後に出てきたのが「バックキャストエフェクト」という言葉。齋藤氏の代表作として知られるもののひとつ、2012年にオンエアされた渋谷スクランブル交差点を舞台に、スマホで街が変わっていく様子のテレビコマーシャルがあるが、映像自体はすべてCGだったという。屋外広告の景観条例や道交法、セキュリティその他が厳しく許可が出ないためで、映画などで使われるスクランブル交差点の映像も同様。

だが、こうあったら楽しいよねというリアルな映像が生まれたことで、それもありじゃないかと思う人が生まれ、その後、実際に車を停めて、交差点でのフェスが行われた。実現したい夢を提示したことで「現実がついてきた」のである。夢を描かなければ現実は変わらないとでも言えば良いのだろうか。勇気づけられた言葉だった。

大阪の舟運、山口の温泉、仙台の公園など面白い人たちが受賞

さて、会議の本題に入ろう。といっても11事例を全部紹介するにはスペースが足りない。そこでここでは3名のコメンテーターがそれぞれ選んだ賞に加え、コメンテーター全員が選んだ賞、当日の来場者が選んだオーディエンス賞を紹介、最後にそれとは関係なく、会場が湧いた名言をいくつか紹介したい。

ひとりだけ、登場曲がゴッドファーザーのテーマで笑いを誘う。「はじめたときは、ほんまにこういう世界やったんや!」と当時の大阪の船業界を振り返る大江氏
法政大学特任教授の陣内秀信氏が選んだのは大坂シティクルーズ推進協議会事務局長の大江幸路氏。水都再生を目指して大阪市が2009年にシンボルイベントを開催した時点では船会社は複数あったものの、互いの関係はあまり良いとは言えない状況。それを連携させることでパイを増やし、大阪市の舟運を盛んにすることに寄与してきたのが大江氏である。10年前には10社ほどだった水運会社は現在30社ほどにもなり、桜の時期恒例の「大川さくらクルーズ」では10~30分おきに船が出ており、予約無しで気軽に利用できるまでに。


陣内氏はその状況を羨ましく思ったようで「東京をご指導ください」。東京でも船会社はそれなりに出てきているものの、連携がされていないと指摘した。個性的な、一国一城の主たちを説き伏せ、協力を取り付けるまでには様々な苦労があったはずだが、大江氏は飄々とした雰囲気で経緯を語り、会場を笑わせた。

ぶっ飛び行政マンの名を恥じぬ、登壇の姿で会場を沸かせた、松岡氏。長門市役所の職員である。
その大阪を水都に変えた立役者、忽那裕樹氏が選んだのは山口県長門市の「ぶっ飛び行政マン」松岡裕史氏。頭に鶏のとさかを模したらしい帽子をかぶり、大きな名刺から顔を出して登場した松岡氏は音信川(おとずれがわ)沿いにある長門湯本温泉の再生を手がけた人。11軒しかなかった温泉旅館街で老舗が1軒倒産。以降じり貧だった温泉街を再生するため、行政が跡地を3憶円で買収、星野リゾートを誘致、川沿いの立地を生かして川床を作る計画を立て……。

だが、彼の真骨頂は行政、星野リゾートがやってくれると思い込み、地域の再生を他人事として考えていた地元の人たちを巻き込み、さらに空き家活用などへ活動を広げて行った点にある。

その時の転機になった言葉を忽那氏が復唱した。「ええ加減にせいよ、3憶やぞ」。行政にとっても3憶円は大きな投資。それなのに行政、星野リゾートがなんとかしてくれると行動を起こそうとしない地元の人たちに松岡氏がぶつけたという。大胆な発言だが、それを受け止め、動き始めた人たちがいたことに感動する。行政、住民が一体になれたから変化が起き始めているのだろう、一度、見に行ってみたいものである。

仙台にゆかりのある羽生結弦選手の格好で登場した豊島さん。言われないとわからないが地元愛にあふれていることは確か

全国で建物や公共建築物など多様な場をリノベーションしているオープンAの馬場正尊氏が選んだのは仙台の広瀬川州域の「せんだいセントラルパーク構想」を描き、それに基づいて川辺での活動を続けてきた都市デザインワークスの豊嶋純一氏。鉄道が通って以降、人が近寄らなくなった広瀬川沿いを自分たちが使える空間にしようと2004年から地域紹介の冊子を作ったり、ガイドツアーを行うなどの活動を行ってきており、2017年には期間限定で川床を作ったりも。ただ、構想と言いながらも行政は未公認。言ってみれば船橋市の非公認キャラクターのようなものだが、活動している人たちは真剣だ。


その熱さに馬場氏は「一緒にプロジェクトをやろう」と提案した。馬場氏は仙台市の仕事も手掛けていることからセントラルパ―ク構想は知っており、「勝手に政策提言、勝手に行動する姿に民主主義の根幹を見ていた」という。そもそも、仙台市内で行われているグリーンループ(同日に市内の各所でマルシェなどを開催、回遊して楽しむイベント)も勝手に進めたものとも。近いうちに広瀬川沿いで面白いことが起きたら、それはきっとこの2人が何か、仕掛けたということだろう。

さまざまなアーティスト、表現者に寄り添い、実現に奔走してきた裏方の萩原氏への賛辞がやまなかった
コメンテーター全員が相談して決めた特別賞は東京の隅田川を舞台にしたアートプロジェクト・隅田川森羅万象墨に夢事務局の萩原康子氏。同プロジェクトは、すみだ北斎美術館の開設を契機として2016年に始まったもので、芸術文化に限らず、森羅万象あらゆる表現を行っている人たちがつながりながら、この地を賑やかに彩っていくことを目指しているという。いくつか、過去のプロジェクトの写真が披露されたのだが、そのいずれもがぶっ飛んでおり、アートの破壊力を見せつけられた。


たとえば、川の上に吊るされたミラーボールならぬミラーカーを囲んでのディスコ、都市の境界である川を開いていくファスナーの形の舟、浮かぶ風呂「湯船」などなど、いずれも劣らぬ面白さ。陣内氏は大阪に比べていまひとつの東京で頑張っている点を評価したとし、「よくぞ頑張ってくださって」と感情を込めた一言。両国祭、月見、花見に花火とかつて東京の文化を生んできた隅田川が新しい形で文化を生む場になっているようだ。

仲がよさそうに見える、MAKITA BOYSだが、全員所属はバラバラ。でも思いは同じ。
そして、最後の参加者によるオーディエンス賞は岡崎市のMAKITA BOYS。これは市内を流れる乙川(おとがわ)に架かる殿橋の欄干に出現した野外カフェ・殿橋テラスを撤去するためのグループで、使っている電動工具のメーカー名から名付けられた。殿橋テラスは河川区域内の橋台下流側に足場を組み、ウッドデッキを敷いた上に、店舗の躯体が乗った仮設工作物で台風などで水位の上昇が予想される場合には招集がかかり、MAKITA BOYSがウッドデッキより上部の撤去を担当する(ウッドデッキ以下は市の担当)。


当然だが、撤去している間は営業はできず、営業開始には再度組み立てる必要がある。誰にとってもうれしくはない作業だが、川にはそうした危険がある。それを踏まえた上で利用しているのである、本来は楽しくない作業でも楽しもうというのが彼らの姿勢だ。

この話に来場者の多くが川を使う際に心得ておかなくてはいけないことを再考したのだと思う。いつもは穏やかで楽しい遊び場であるとしても、年のうち何日かは恐ろしい存在に変わることがある。それが川であり、自然だ。多くの人が彼らの行動に水辺の本質を見たからだろう、来場者による投票ではMAKITA BOYSが断トツの1位だったそうである。

ちなみに昨年の撤去は4回。そうした手間を省くため、常設にするという案もあるそうだが、そうなるとBOYSの出番が無くなる。残念なような、めでたいような、微妙である。

「ギリギリ、アウト」を目指す楽観主義者たち?

三線をもって現れた、筋原氏。「ギリギリアウト」、「行政の敵は行政」など印象的な言葉に会場が驚く。最後はオリジナル曲「大正リバーサイド」を歌い、これまでの歴史を思い涙ぐむ場面も
最後に6時間に及ぶ取材の中で心に響いた言葉をいくつか。ひとつは大阪市のミズベリスト首長・筋原章博氏の「目指す着地点はギリギリ、アウト」。大正区長として推進したプロジェクト・大正リバービレッジの最初の失敗について語った中で出てきた言葉だが、必ず大丈夫な場所だけを狙っていては変化は起こらないという意味と受け止めた。ほんの少し、アウトな場所を狙っていくことで社会やまちは変わる。なるほどと思うと同時に、そんなことを考えている、変化を良しとする行政の人がいることも心強く思えた。

もうひとつは会場からの声、「今日は楽観主義者の祭典でしたね」。会議冒頭で水辺総研の滝澤恭平氏がミズベリングの5年間を振り返ったのだが、初年度の活動を語る部分では「こんなことをしたら怒られるんじゃないかと思った」。

それからすると、ずいぶん水辺は変わったはずだが、それでもまだ途上。明るい未来を描ける楽観主義者であり続けることで楽しく物事が変わっていくと良いなあと楽観的に思ったものである。

ミズベリングイノベーターアワード
「川ろうぜ、街がえようぜ大賞」受賞者

賞タイトル
受賞者
大賞
福岡水辺先導サラリーマン〜山本 憲司
大賞
あたっても砕けない熊本代表〜ジェイソン・モーガン
大賞・審査員特別賞
隅田川アートマネージャー〜荻原 康子
大賞・馬場正尊賞
仙台の水辺は任せろ〜豊嶋 純一
大賞
美濃加茂の水辺の情熱家〜大塚雅之 with 水口晶+末永三樹
大賞・陣内秀信賞
水都大阪のクルーズ船親分〜大江幸路
大賞
和歌山水辺芸人〜わんだーらんど
大賞
豊田のHEART&SOUL〜神崎勝
大賞・忽那裕樹賞
長門のぶっとび行政マン〜松岡裕史
大賞
豊田のHEART&SOUL〜神崎勝
大賞・忽那裕樹賞
長門のぶっとび行政マン〜松岡裕史
大賞・オーディエンス賞
僕らの治水対応〜MAKITA BOYS
大賞
ミズベリスト首長〜筋原章博

この記事を書いた人

中川寛子

住まいと街の解説者。(株)東京情報堂代表取締役。オールアバウト「住みやすい街選び(首都圏)」ガイド。30数年不動産を中心にした編集業務に携わり、近年は地盤、行政サービス、空き家、まちづくりその他まちをテーマにした取材、原稿が多い。主な著書に「この街に住んではいけない」(マガジンハウス)「解決!空き家問題」(ちくま新書)等。宅地建物取引士、行政書士有資格者。日本地理学会、日本地形学連合、東京スリバチ学会会員。

過去の記事

> 過去の記事はこちら

この記事をシェアする