2016.02.29

渋谷区長・長谷部健さんインタビュー”ソーシャル・ムーブメントのつくり方”

水辺は様々な人が参加することによって、にぎわいが生まれ、街の価値を向上させるプレイスとなります。では、どのようにすれば、一般の人びとが水辺の活動に参加しやすくなるのでしょう。
オシャレで気軽に参加できるゴミ拾い団体・NPO法人グリーンバードを立ち上げ、全国に広げ、また、渋谷区区議を経て渋谷区長となられた長谷部健さんに、ソーシャルムーブメントのつくり方のヒントを伺いました。

渋谷区のプロデューサーになってくれ。

――長谷部さんは、「ソーシャル・プロデューサー」とも呼ばれていますが、どのような経緯でそうなったのでしょう?

もともとは広告会社にいました。営業職でしたが、プロデューサーという意識を強く持っていました。僕らの世代は独立をポジティブに考える若手が多くて、僕も、その当時から、いつか独立したいなと思っていたんです。
ちょうどそのころは、ソーシャル系のクリエイティブ・エージェンシーを作りたいという思いがありまして。当時、90年代のカンヌ国際広告祭などでは、社会メッセージ性のある広告がどんどんできていたんです。たとえば、トスカニーニのベネトンのエイズの広告とか、すごいなと。車が出るとか、新製品が出るとかいうより、生活に近い広告の方がどきっとする。エモーショナルなものがあるんです。でも、日本の公共広告ってどうしても保守的な壁があって、どきっとする強さは感じていなかった。逆に、これからはそこだなあと思っていました。そういった中、社会貢献とかCSRといった考え方が出てきてプロデューサーとしてやるつもりでいたんです。
そんなときに、表参道の欅会(商店街振興組合)の方々から選挙に出ないかといわれました。ただ、当時27歳だった僕は、ありえない、政治家ってカッコ悪いと思っていたんですね。にもかかわらず、家の近所だから事あるごとに言われまして。で、あるとき、「表参道、渋谷区のプロデューサーになってくれ」と言われたんですよ。なるほどなと。「政治はソーシャルなプロデュースだ」といわれて。かっこいいかもと。そういう経験を積むのもいいかなと思いました。こんなに、人からお願いされることもなかなかないですし。それでいろいろ考えて区議に立候補しました。
そこから、自分でもソーシャルプロデュースということを一層強く意識するようになりました。区議時代も区長になってからも、僕が提案しているのは、基本的には企画。法律や条例だけだと「街の空気」までは作れず、だからいろんな仕掛けが必要で、そういうジャンルでは自分のアドバンテージがあるかなと。それと、政治はサイレント・マジョリティのマーケティングができていない印象がありました。自分は広告会社にいたので、消費者の気持ちが人よりは分かっているんじゃないかと自負してやってきています。

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――ソーシャルプロジェクトとして、グリーンバードはどのように立ち上げられたのでしょうか?

当初、街に関わることは特にはやっていなかったんです。そんな中、欅会の青年部の5人ぐらいが、僕が参加する3ヶ月ほど前から表参道の掃除を始めていました。会社を辞めて選挙まで一年ほど時間があったので自分もやってみようと思ったのが一番最初のきっかけ。いざやってみたら、これが結構楽しくて。掃除は面倒くさいと思ってたけど、実はそんなに面倒くさくなく、むしろハッピーなんじゃないかと。後ろを向くと公共の場所がきれいになっていたり、街を行く人がおはよう偉いわねと、声をかけてくれたり。
正直なところ、高校生まで家の前に親に掃除やらされていたけど、いやでいやでたまらなかった。大げさかもしれないけど、こんな姿を友達に見られたら生きていけないとまで思っていました。なのに同じ掃除でもこうも違うのかと。やらされているのか自主的なのかの違いですね。その頃、20、30代に聞いた、ボランティアしたことあるかというアンケートが新聞に載ってました。2割がしたことある、2割が偽善だ興味ない、6割がチャンスあったらやってみたいとのこと。この6割って要注目じゃないか、このひとたちが共感する掃除キャンペーンができたら面白いんじゃないか。広告会社時代から企画をつくることを刷り込まれていたので、さっそくキャンペーンの企画書を書きました。いま思うと、それが自分のソーシャルプロデュースのプロジェクトの一号となりました。

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リーダーになる人は、6割のひとを振り向かせる面白いことを次々に考えられる人。

――グリーンバードは、企画としてどういうところが優れていたから、成功したのでしょう?

チャンスがあったらボランティアをやってみたいという6割の人をターゲットにしたことですかね。そのひとたちの共感を取り込めれば、ハードルは下がる。ボランティアって本当は手軽なものなんだよね。手ぶらでいいよって、全部用意しているからって、ゆるい感じで。できるやつができるかぎりでやればいいっていうのを宣言に入れたりとか。
自分もいろいろ体験しながら、ハードルが低くて誰でも簡単に参加しやすくするにはどうしたらいいかとずっと考えてました。そうすると当然、デザインの力も必要だし、名前も大事。最初ちょっとイメージしたのは、ラブ&ピースの時にスマイルマークがあったでしょ。それをTシャツとかに付けるのは、自分はラブ&ピースだよってアピールしてるわけじゃないですか。それと同じようにゴミのポイ捨てしないよっていうマークをつくれたら、いいんじゃないかと。それがユニフォームになってたり、アイデンティティになっていけばいい。それで、友達のコピーライターに相談してマークの名前を考えました。名前の候補には、ゴミコップとか表参道清掃隊とかあったんですが、マークにし易いってことで、グリーンバードを選び、デザイナーと一緒にマークをいじって、ああいうかたちになった。6割にどう受け入れられるかというのと、みんなが簡単に描ける、子どもにも描けるということは視野に入れていました。
活動しているうちにスポンサーが集まってきて、そのうちある企業から法人格を持ってくれと言われました。有限でもないし、株式でもないし、NPOっていいかなって。それでNPO法人を選びました。そんな感じで、グリーンバードは、止まらずに走りながら考えていったわけですが、それを続けているうちにああいう形になっていったんです。

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グリーンバードwebサイト

――表参道でやられていたものが、全国に広がっていったのはきっかけがあったのですか?

ニュースに取り上げられたり、新聞に出たり、パブリシティが非常にいい循環になりまして。タレントが来るようになったり、ソーシャルメディアで拡散されたり。そうすると自分の街でもやってみたいという人たちがでてきましてね。でもコンビニやフランチャイズみたいにはやりたくなくて、店でいうと味の継承ができた弟子じゃないと暖簾分けはしないつもりでゆっくりやりました。2年目にふたつ増えて、10年で50近くまでいったけど、増え方はゆっくりでした。
広がり方で面白かったのは、福岡につくったとき。あそこは九州の中心地だから九州中に広がるきっかけになりました。東京はぼくがいてやってるから関東にひろがり、それをみた関西にも広がったり。神奈川も川崎に強烈なリーダーが現れたことで大いに盛り上がりました。

――ミズベリング札幌のイベントで、札幌の大通り公園でまちづくり会社をされている方が、グリーンバードの活動が、まちづくり会社をつくったきっかけになったと聞きました。

それは嬉しいですね。グリーンバードはコミュニティリーダー育成のような成果もうみました。リーダーになる人は、サークルのリーダーとか、合コンを仕切れるとか、そういう人がいい。6割のひとを振り向かせる面白いことを次々に考えられる人。鎌倉でライフセーバーをしながら海岸でバーベキューを企画する人とか。掃除以外のエンタテインメントを上手につくれるひとがコミュニティリーダーに置き換わっている。それぞれのエリアで化学反応が起こっていて面白いなあと思っています。

――コミュニティのリーダーが育つためのゆりかごの箱をつくられたのかなと。

そういう箱を造るのはイメージしていました。場を用意するのも仕事だなと。あとは、そこにリーダーを選ぶということで。「テキ屋式」って呼んでいて、「このシマはお前にあずけた、稼いでこい」みたいな(笑)。基本は、独立採算制だし、そんな感じでやってました。

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大きいビルができるなら、ストリートカルチャーも復活しないといけない。

――まちづくりにおいて、多様性というキーワードをどう捉えればいいのでしょうか?

この街がどうなっていくのかということをずっと考えています。どんな街がいいだろうと。僕が子どもの頃と既にこの街はぜんぜん違う。景色も違う。それは先輩方がいい感じに導いてくれたというのがあります。でも上海とかシンガポールに行ってみると、「ドラえもん」で見た21世紀の風景はあっちにありました。確かに、東京はクールだねといわれ、僕もホームなのでシティプライドは持っているけど、このままではマズいとも思ったのです。
クリエィティビティとかイノベーションとか、クールな感じをもっと突き詰めたい。ロンドン、ニューヨーク、パリ、渋谷区と呼ばれるようになるためにチャンスはあります。僕から見ていいなと思う世界の都市は、ダイバーシティ化していて、性別も世代も国籍も越えてチャンスもある。日本の都市にも、そういう時代がくる。その速度を渋谷なら速めることができると思っています。
また、人権の問題も当然あります。広告会社にいたから自分の周りにもLGBTのひとはたくさんいました。カムアウトしていたひともいたし、優秀なひとが多いなあという感覚がある。LGBTの方たちは人口の5%いるともいわれていて、これは田中とか鈴木とか、そういう苗字の人と同じぐらいいるってことです。でも、そういうLGBTのひとたちがなんでこんなに悩む環境なんだろうと思って。むしろ、成熟したクリエィティブ都市のダイバーシティでは、LGBTのひとは普通に主人公の一人だと思ってます。そういうことを渋谷区議会の本会議で提案したところ前の区長が受け止めてくれて、いろいろなLGBTの方たちに会ってもらっているうちに理解を深めていっていただきました。つまるところ、大事なのは「慣れ」。彼ら彼女らの存在が当たり前になることが大事。渋谷は成熟した国際都市だし、ダイバーシティはとても大事なキーワードだと思っています。

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――長谷部さんが掲げられた、歩道を復活させる、ホコ天の復活についてお聞かせください

大きいビルができる開発、これは否定するものでもなく、いいと思っています。だけど、文化とかカウンターカルチャーは大きいビルから生まれるのではなくて、ビルとビル、街と街をつなぐ道から生まれるとも思っています。
この街に生まれて、原宿、渋谷区って、いいないいなと言われてきました。中学時代もスポーツの大会で他の中学の生徒から原宿中のハチマキが盗まれたり(笑)。高校生、大学生の時に、表参道のホコ天でデートすると自慢できました。フレラたこともあるけど(笑)。これブランドだなって思います。そんなうれしい気持ちがきっかけになってシティプライドが高まり、いまの仕事につながっているんです。原宿や渋谷の何がいいなと言われるかというと、その時のカルチャーなんじゃないかと思います。小学校の時はロカビリーで竹の子族とかがはやっていて、中学の時はDCブランドブーム、高校の時は、渋カジ、アメカジがでてきて、音楽も渋谷系がはじまってイカ天ブームがあったり、そのあとギャル、コギャルが出てきて。結局全部ストリートカルチャーなんです。それを大切にしようとおもったら、ホコ天復活しかないでしょうって思います。さらに、地元のお年寄りの方たちが、土日は観光客が多く歩道も歩けないと言っています。だったら歩道を広げようとも思います。大きいビルができるなら、ストリートカルチャーも復活しないといけない。要はバランスだなって思うんです。

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1980年代の原宿のホコ天・竹の子族
――ミズベリングに期待が集まってきている理由にも、水辺という、街と街のあいだ、都市の隙間で起こることが、まちの魅力を引き出すということがあるように思います。

行政の仕事は、道路のホコ天といったような場を用意すること。そこで起こる化学反応に期待したい。
ちなみにオリンピック・パラリンピックにおいて、パラリンピックを成功させることが成熟した都市の条件だと考えています。その準備として、宮益坂から道玄坂にかけて通っている旧大山街道をホコ天にして、中心部のスクランブル交差点で車椅子ラクビーのデモンストレーションの試合をしてみたい。スクランブル交差点は渋谷の大事な資産。あそこでパラリンピックのアピールをすれば、YouTubeとかで日本中、世界中に拡散していく力があるんじゃないかと思っています。
ハロゥインも排除するのではなく、一定のルールの中でやればいい。あれも渋谷の魅力。ホームレスも同様。区も排除するのではなく、徹底した自立の支援を行なっていきます。
宮下公園も老朽化していて、世界に誇れるような空中型の都市公園にしていきたい。ニューヨークのハイラインとか、パリの屋上公園とか、ああいいうのが、都市の新しいデザイン公園だなあと。
今後、いろいろと変化していく中で、いろんなカルチャーがうまれる仕掛けをしていきます。それによって、僕の子どもの時のように、周囲からいいなと言われる街、住みたい、働きたいと言われる街にしていく責任を持ったなと思っています。

――そのような新たなまちづくりには、行政だけではなく、民間企業からの投資も考えておられるのでしょうか?

渋谷のリソースをみんなでシェアしようという方向がフェアかなと。どうしても税金は使途が生活者、有権者向けになってしまいがち。でも、この街はそういった方たちだけで成り立っていないのも事実です。たとえば、ビットバレー。あれは、税金を投入してもっと支えればもっと発展していたかもしれない。でも日本の行政はなかなか起業に支援を向けにくく、どうしても教育、福祉、土木がメインになってしまう。だったら、民間のお金で民間に回していけばいいじゃないかと。この街はメディアとしての価値があるから、民間の力をもっと活用できると信じています。
ホコ天だって、運営費がかかります。だったら、スポンサーのお金でやったほうがフェアかもとか。ハロウインだって、入場料取るわけにはいかないから、メリットを享受するひとに負担していただく、といった考えです。

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都市には、潤いが大事なんです。

――ミズベリングを渋谷区でやるということで、渋谷川についてお聞かせください。

渋谷川は子どもの時から暗渠だったけど、父親が子どもの時は川にイタチ、タヌキがいたと聞いてます。でもいまさらキャットストリートの蓋を開けるわけにもいかないですしね。消防車も入れなくなるし、人もたくさん歩いていますし。あとは渋谷から代官山方面に向かって、新しいリバーサイドをつくろうという話もあります。いま工事をしている渋谷駅の地下には、渋谷川が通るんだけど、もっとそれが伝わればいいなとも思っていて。たとえば、広場で、川のところだけ色が変わっているとかいいじゃないですか。

――渋谷区には、湧水も多いですね。

そう、谷の地形には基本的に水が流れていくわけだし、大昔の渋谷は海だったですしね。

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区長室に展示されていた建築家・内藤廣氏による渋谷の谷と都市スケッチ
――ミズベリング・ジャパンに向けてメッセージをお願いします。

単純に水辺は気持ちいいと思うし、散歩したりジョギングしたりするにもいいし、都市にとって必須の要素だと思っています。行政として、できることできないことがあるけど、できないことはバーチャルで、リアルと補完し合ってもいいですね。たとえば、スクランブル交差点に水辺をということだったら、プロジェクション・マッピングでやれる気がします。

――そこから何かが始まるかもですね。

新しいカルチャーがうまれるかもしれない。都市には、潤いが大事なんです。

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長谷部健(はせべけん)
長谷部健(渋谷区長/NPO法人グリーンバード代表理事)
1972年東京都渋谷区生まれ。大学卒業後、株式会社博報堂に入社。2002年に博報堂を退社。2003年1月、ゴミ問題に関するNPO法人グリーンバードを設立。原宿・表参道を中心にゴミのポイ捨て対策プロモーション活動を開始。同年4月、渋谷区議会議員選挙でトップ当選を果たし、計3期区議をつとめる。2015年4月に渋谷区長に就任した。

この記事を書いた人

ミズベリング

ミズベリングとは、「水辺+リング」の造語で、 水辺好きの輪を広げていこう!という意味。 四季。界隈。下町。祭り。クリエイティブ…。 あらためて日本のコミュニティの誇りを水辺から見直すことで、 モチベーション、イノベーション、リノベーションの 機運を高めていく運動体になれば、と思います。

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