2015.08.21
脱サラして船業界に飛び込んだ!江戸文化と水辺カルチャーを伝える小舟「みづは」の物語(その2)
「江戸の文化を伝えていきたい」佐藤さんご夫婦、起業までの道のり
会社勤めの立場から一歩踏み出し、一艘の小舟を所有し船業界へ乗り出した佐藤さんご夫婦。小さいながらもオーダーメイドの旅客船「みづは」には、水辺やまちの魅力を考え尽くしたからこその発想がちりばめられています。リポート2回目では、「舟あそび みづは」を創業して2年の佐藤さんに、その一歩をどう踏み出したのか、水辺で事業を興すにあたっての課題やその解決法など、起業までの道のりを伺いました。
- 船業界にのりだすきっかけはなんだったのですか
- 最初から船でやろうと思っていた訳ではないのです。夫の仕事でアメリカで暮らしていたときに、日本の文化を伝えることの大切さに気づきました。江戸の文化の奥深さを伝えたいと思ったのです。もともと定年までサラリーマンを続けるイメージもなかったので、そろそろ自分で何かをしたいと思っていました。じゃあ、江戸の文化を伝える仕事はどうかなと思ったのです。邦楽のライブハウスでもいいし、江戸文化を伝えるセミナーを開催してもいいなと思っていました。
- 船はどうやって発想したんですか?
- 当初は船もいいな、くらいだったんです。なぜなら、船の事業は新規参入できなさそうなイメージがあるでしょう?だから、きっとはじめるのは難しいのだろうなと思っていました。でも友人と話す中で、「船があれば、その上でライブもセミナーもできるよね、船があればお店を構えるのと同じことができるよ」といわれて、それもそうだなと思いました。もともと私自身遊覧船が好きで、旅先では必ず乗っているくらいだったので、船の心地よさもなんとなく感じていました。「江戸の水路に行ける船っていいのかも」とひらめきました。業界に入りにくいイメージがあるからこそ、参入者は少ないだろうし、入ってしまえば逆に生き残れるのかもと思いました。
- 起業にあたりクルージング会社で修業したと聞いていますが、その修業先とはどうアクセスしたのですか?
- 本当に運と縁でつながっていったので、みんなの参考になるとも思えませんが(笑)、もともと、起業するにあたり、起業スクールには通っていました。電気動力船でやりたいという気持ちがあり、東京海洋大学が電気推進船の研究をしていると知り、問い合わせをしました。その窓口であった、海洋大学の産学・地域連携推進機構の川名准教授から「船の仕事をするなら地元のNPOや活動団体とつながった方がよい」とアドバイスされ、江東区の水辺に親しむ会の須永さんを紹介されました。
須永さんに会いに行って、舟で起業したい等お話ししたところ、「明日船の試乗会があるからいらっしゃいよ。」と言われ、翌日行ったら、その船が東京湾クルージングの新造船ナノワン号で、そこで須永さんから、東京湾クルージングの島田社長を紹介されました。そのときに島田社長も脱サラ組でクルージング会社を始めたと聞き、東京湾クルージングで修業をさせて頂きたいと思いました。
NPO法人 江東区の水辺に親しむ会
東京湾クルージング
- どうやってお願いしたのですか?
- 連絡先をお聞きして、履歴書をもって押し掛けたんですよ。無料でいいから、学ぶために働かせてくれって。それが2011年のことで、ちょうど新造船ナノワン号もデビューしたところでした。
そんなときに震災があり、チャリティクルーズの提案が通り、取り組むことになりました。そうやって現場に張りついていると、いろんな水路に行くのが楽しみになってきました。「東京にはたくさんの個性あふれる水路がある」「知られていない川の魅力を伝えたい」「水辺から江戸の文化を伝えたい」という思いを固めました。
- もともと飛び込みでお願いするというのが得意な方なのですか?
- サラリーマン時代は、全然、そんなことしたことありませんでした。振り返れば本当に無謀だったなと思います(笑)。運がよかったんです。東京湾クルージングの島田さんに会えたことも、日本橋船着場がその年にオープンするなどのタイミングも、本当に良かったです。日本橋船着場では受付も経験しました。一日中同じ場所で川を見ていると、潮位のことなどもわかってきました。社長には「船を持つなんて本当に大変だからやめておけ。うちで働けばいいじゃないか」と反対されましたが、江戸の文化を伝えたいという気持ちなど、自分のやりたいことを貫き通すために、初志貫徹して独立することにしたのです。夫は1級、私は2級の小型船舶免許を取りました。
- 水辺には、一般人には見えないルールのようなものがあって、駐艇場所にも困るというイメージがあるのですが、そのあたりはどうですか?
- —そうですね、船を所有するために一番最初に手配しなければならないのは、停泊できる場所の確保です。船を造ったもののとめておける場所がないというのが一番困りますから。これも東京湾クルージングの船をまかせてもらっている中で、東京湾マリーナに空きがあり、業務船も契約できるという情報が得られたのが大きかったです。船を建造するのと同時進行で駐艇場の契約をして、場所を確保しておいてもらいました。営業する川の近くにとめられた方が便利ではありますが、新規参入者には入り込むことの難しい問題もあり、また台風など天候不良の際にもマリーナ停泊の方が安心なので、マリーナに駐艇場所を確保することに決めました。
- 定員が12人と少人数なのはどうしてですか?
- 旅客定員12人以下で行う事業は「人の運送をする内航不定期航路事業」といい、届け出をすれば、事業をすることが可能です。定員を13人以上とすると「旅客不定期航路事業」となり、事業を行うため許可を取らなくてはなりません。提出する資料も比較的少なく届け出で済むということもあり、新規参入者にとってハードルが低いと感じ、12人以下の「人の運送をする内航不定期航路事業」で始めることにしました。それに、大きな舟はすでにたくさんあるので、小舟がいいなと思いました。
- もっと大勢乗せて、乗船料を安く設けるなどのやり方もあるのではないですか?
- 「大勢乗せた方が稼ぎになる」、よくそうアドバイスされます。でも、大勢乗せている船は他にたくさんあるので、そこで価格競争をしたら勝ちはないと判断しました。多少価格が高くても、「居心地がいいから」「コンテンツが充実しているから」「清潔で広いトイレがあるから」と選んでもらえる船にしないと生き残れないと感じました。お客さんに目が届きやすく、きめ細かいサービスができるということで定員12人に決めました。
- 他との差異化はどうしていますか?
- 快適性はとことん追求したいと思っています。だから、舟桟敷だったり、内装に凝った船を建造する発想に至りました。やるからにはやりたいことをとことんやりたい。「江戸文化を伝えたい」「センスよく、色などは和の色彩で統一したい」ということにはこだわっていきたいと思っています。そして少人数で貸切ができる舟なので、大切な仲間や家族と過ごす水上での時間が思い出深いものとなるよう、備品の準備、お食事手配など、きめ細かいサポートを、手間を惜しまずやりたいですね。
日本橋では同時に他業者と受付をしていますので、価格の安いほかの船と値段だけで比べられるケースも多いです。だから、なるべく事前予約を受け付けて営業していきたいと考えています。そのためにWEBを充実させることにしました。インターネットで予約までできること、しっかり自分たちの取り組みや思い、他社と何が違うのかを紹介することに、こだわってホームページを作っています。外国からの観光客からの需要も見込んで英語も併記しました。ホームページは大切なツールだと考えています。
- 面白い企画も開催していますよね
- 企画の柱は大きく3種類あります。一つが、あまり遊覧船が行かない川を巡ること。最近では、舟の遠足と称して、遊覧船がほとんど行かない綾瀬川や新芝川にいくという探検舟遊びを企画しました。水門をくぐって。これは満員でしたね。
- ふたつ目は、季節の移ろいや行事を舟で楽しむこと。お花見はもちろん、「ひな祭りアフタヌーンティー&流しびな」や「お月見」なども行っています。
- 三番目は舟で気持ちいい事をする、というものです。朝シャン(亀島川のベーカリーでパンを受け取りシャンパン飲み放題)とか、三味線ライブとか、様々な発想で企画をしています。
- どの企画もベースになっているのが、舟で遊山をしたり、季節を感じたり、寛いだり、といった「舟遊び」の文化です。
もちろん定番コースとして、レインボーブリッジや東京スカイツリーなどの東京を代表するランドマークを水の上から見て行く「ランドマーク舟遊び」や「神田川舟遊び」なども行っています。こうした定番コースを運航するときには、水上で過ごす時間の豊かさとか、歴史や景観も含めた東京の川の面白さをまず知って頂きたいという気持ちで取り組んでいます。ただ定番のコースは他社もやっているし、水上バスや、大手と価格競争しても負けるので、差別化できるのは企画だと思いますし、そこに舟遊びの文化のエッセンスを感じて頂きたいというのはありますね。
- 水辺で事業を興すにあたり障壁となることは何だと感じていますか?
- なにより、乗り降りできる場所が少ないということです。そして一度自分のマリーナを出発すると今度は舟をとめておける場所がないというのが悩みです。乗り降りできる桟橋はいまだにファックスで予約をするんですよ。桟橋によりますが、使用届を出すのに3日—7日前には手配が必要なので、「天気がいいからきょうは増便したい」などと自由に増便することはできません。
また、マリーナをでたらお客さんの乗り降りの時間以外桟橋につけることもできず、ずっと川に浮いているか動き続けておかなくてはなりません。とめておけないと疲れるし危ないし、この点は何とかならないかなと思いますね。
また桟橋の利用料なども大型船の料金設定はあっても小舟用の料金はないところもあります。
- 今後はどう取り組んでいきたいですか?
- 外国人はもちろんなのですが、正直言って、まずは日本人に伝えたいですね
いまや日本人でも舟遊びのイメージを持っている人が少ないでしょう?水の上にゆられているだ
けで気持ちいいんですよね。それから自然を感じられます。毎日船に乗っていると、船から見える空の色、鳥の姿、潮位の変化、空気の流れ、咲いている花、四季や時間の移り変わりを身体で感じることができます。これはオフィスに勤めているとわからないことかもしれません。でも東京は都会に見えるけれど、自然に囲まれたすばらしい環境であることを気づいてほしい。そういう意味では、うちの船のデッキは最高です。
- これからの目標を教えてください
- 開業して2年。やりたいことができて、まだギリギリですが、なんとか食べていくことができる。本当に幸せな状態です。イベントにはリピーターのお客さんもいますし、順調な方なのかな?と思います。今後は規制緩和が進んで、たとえばタクシー代わりに水路を使えるとか、もっともっとできることが増えていったらいいですね。
水辺で過ごし、江戸の文化を伝える暮らし。あくせくするわけでなく、「したいこと」を形にした佐藤さんご夫婦の姿は、水辺稼業に転職したというよりは水辺で暮らすことをライフワークと決め、新しい人生を歩んでいるというものでした。
水辺アクティビティが好きな人の中には、定年後、ヨットの所有やクルーズ旅行の夢を見る人もいると思います。そういう夢もいいのですが、佐藤さんたちが得たのは、一過性の楽しみではありませんでした。定年が見えてきたサラリーマン人生を脱し、安定収入の代わりに得たものは、水辺で生きるライフスタイル。もちろん事業だから緊張感があります。妥協がないことで生き残りをはかる、創意工夫も必要です。知恵や関係性やこまごまとした配慮も必要でしょう。
様々なハードルと投資を経て、達成した水辺ライフを過ごす佐藤さんたちは、生き生きと働いていました。こんなに生き生きと働ける大人の姿、正直うらやましく思いました。佐藤さんたちが惹かれた水辺の魔力に、もっと気づきたい、もっと近づいてみたいと思えた取材でした。
大阪出身横浜在住。実家は大阪で海運業を営む。 BankARTスクール「これからどうなるヨコハマ」に水辺班メンバーとして参加。放送局キャスターを経て、現在は二児の育児のかたわら「ヨコハマ経済新聞」「子育て情報紙ベイ★キッズ」などでライターとして活動中。
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