2017.06.23 Fri

「川とは非常にダイナミックなものであり、動的平衡の象徴」 河川法改正20年インスパイアプログラムに分子生物学者 福岡伸一博士が登壇

「川とは非常にダイナミックなものであり、動的平衡の象徴」 河川法改正20年インスパイアプログラムに分子生物学者 福岡伸一博士が登壇

昆虫少年から分子生物学者へ。自身の幼少期に芽生えた好奇心をきっかけに、生命体のミクロの世界への研究に没頭された […]

6月4日、快晴。日曜日の昼下がり。大手町サンケイプラザにて、河川法改正20年インスパイアプログラム(主催:国土交通省)が開催された。

「川とは非常にダイナミックなものであり、動的平衡の象徴」 河川法改正20年インスパイアプログラムに分子生物学者 福岡伸一博士が登壇

昆虫少年から分子生物学者へ。自身の幼少期に芽生えた好奇心をきっかけに、生命体のミクロの世界への研究に没頭された福岡博士。提唱される「動的平衡」を、シンポジウム独自のテーマ「生命の岸辺について」に沿い、分子生物学の領域から生命と環境の関係性について、語っていただいた。
「果たして機械論的に生命を見る事は正しいか」と問いかける福岡博士。
清冽な水の流れのようによどみのない、分かりやすく聞き手に深く考える機会を投じた、生命への愛情溢れるスピーチを抜粋して紹介する。

機械論的に傾きすぎたこの世界観、生命観というのを、この動的平衡の世界観、生命観に戻していかなきゃいけないのでは

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福岡伸一氏…青山学院大学総合文化政策学部 教授・ロックフェラー大学 客員教授、分子生物学専攻

子どもの頃は虫ばかり追いかけている昆虫少年でした。

住んだ場所はいずれも水辺で川の近く。子どもの頃は江戸川、今は二子玉川という多摩川のほとりに住んでいます。大学は京都でしたので鴨川、NYの留学中はイーストリバーが堂々と流れていました。その流れをみながら、いろんな事を考えて来たわけです。

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現在私たちは、体を作っている細胞のひとつひとつにしまわれている、DNAのゲノムを全て読み尽くし、書き込まれた情報を明らかにしています。その遺伝子というのは、細胞の中で使われている2万3000種類ぐらいの部品の設計図。分子生物学者はこの細胞を見ると、生命は一つのメカニズムというふうに、コンピューターの中に入っている基盤と同じように見ています。この21世紀の生命観を一言でいうと、機械論的な見方で生命を観ているのです。

わたし自身も生物学者になるトレーニングを受け、研究の現場で研究をしている過程でずっと、もうすっぽりと機械論的な生命観にたって生命をみてきました。今日、みなさんに、改めて問いかけたいのは、果たして機械論的に生命を観ることが本当に正しいのか、この見方によって科学は様々な進歩を遂げてきましたが、本当にこの見方だけで、生命の様々なことがわかるのか?ということを、もう一度問いかけ直すべきでは、と私自身が思うようになったからです。

昆虫少年だったときの私の夢は、新種の蝶々を捕まえて、それに名前をつけてその蝶を図鑑にのせることだった。細胞の森の中に分け入ってみると、当時はまだ新種の遺伝子やたんぱく質がたくさんあったんです。ですから私は虫取りしてる場合じゃないということで、虫取り網をミクロな研究機器に持ち替えて、細胞の中に分けいって、いろんな遺伝子を探し始めました。

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このマウスは、なかなか賢い動物で、写真撮るよってカメラを向けると、ちゃんとカメラ目線で私を見てくれるという可愛い奴なんです。実はマウス1匹はポルシェの新車3台くらいは買えるくらいの研究費がかかっています

新しい遺伝子を発見、その名はGP2(グリコプロテイン2型の略称)

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このGP2が何をしているのかを一生懸命突き止めようと、研究を進めていったのです。このマウスはそんじょそこらのマウスと違って、GP2遺伝子ノックアウトマウスという、GP2という部品を作れなくしてしまった、特別な遺伝子操作を施された動物です。壊れ方を調べることによって捨てた部品が何をしているかというのを明らかにしようという実験法でした。

マウスは無事に生まれてきたんです。すくすく育っていきましたが、どこにも異常がない。私はこれだけの研究費を投与して、これだけの時間を投入したのに、全く結果があらわれないという研究上の非常に大きな壁に、ぶつかってしまったのです。

1900年代前半に研究をしていた科学者、ルドルフ・シェーンハイマーの「生命は機械ではない。生命というのは流れだ」に大きく影響された

このシェーンハイマーが明らかにしたことを、もう一度、現代の光を当てて再評価してみると、むしろその機械論的ではない、機械論的な生命観に対するアンチテーゼとして、シェーンハイマーが見出したような生命観というものに立脚して、もう一度生命、あるいは環境、我々が生きているということを捉え直すということは、非常に大きなパラダイムシフトをもたらすのでは、というふうに私は思うようになったんです。

遺伝子ノックアウトマウスが、五体満足で生きていけることをもう一度説明しなおせるヒントがこのシェーンハイマーから学びなおせるんじゃないか、というふうに考えるようになりました。

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「当時は、もう機械論的な生命観が、生物学のあるいは科学の主流で、どんな科学者も食べ物を食べるなんていうのは簡単に説明することができるというふうに思っていました。
シェーンハイマーはドイツから一つだけアイデアを持っていたのです。

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我々生命体は、酸素とか炭素とか窒素といった原子からできてるんで、つぶつぶのあつまりだ、というふうにみなすことができるのですが、インプットとアウトプットを正確にはかるために、ちょっとだけ質量が違う同位体の炭素を用い、原子の一粒一粒に標識をつけることで、実際食べたものが、いつどこに、どういうふうにいって消費されて、抜け出ていくのかっていうのを実際測ってみたのです。

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そのことから、シェーンハイマーはこの実験をつぎのように解釈しました。食べ物を食べるっていうのは、エネルギーを単に補給してるだけではなくて、自分自身の体を作り変えるということでした。

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1年前の私と今日の私は別人。

私たちの体の中で一番早く更新(分解と合成)されている臓器は、消化管の細胞。だいたい2〜3日で分解されて捨てられていきます。
実は、ウンチの主成分の半分以上は、自分自身の消化管の細胞が捨てられてるその残骸がどんどん流れ出てるわけです。そして、新しい細胞がどんどん作られています。私たちの体っていうのは、実は絶え間のない流れの中にあって、どんどんどんどん更新されている。

ですから、久しぶりに会った人に、みなさんよく「ああどうもどうも、お久しぶりですね。全然、おかわりありませんね」、なんて言ってますけれども、それは生物学的には間違っていまして、おかわりありまくりですね、と言わないといけない。

絶え間なく環境からさまざまなものが入っていく、それがまた抜け出ていく。この流れを生み出しているものは何かというと、水なわけです。すべての栄養素やすべての情報、すべてのエネルギーは、水に溶けた形で我々の体の中にやってきます。そして、それがまた水に溶けた形で、捨てられていきます。
ですから、比喩ではなく、まさに生命というのは流れの中にあるわけなんです。

方丈記の冒頭には、「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」

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シェーンハイマーが明らかにしたこととは、ここにネズミの形があるように見えるけれども、これは個体でもない、実体でもない、流体であって、その流れの一部だということなのです。
方丈記は中世の時代のものですが、シェーンハイマーの実験というのはこれを、現代の分子の言葉で言い直して、再発見しているにすぎないというふうにもいえるわけです。

生命は、ダイナミックステイトにある、つまり動的な状態にある。私はこのコンセプトをもう一度光を当てて、もう一度生命観の中心に据えて、この世界のあり方というのを考え直したほうがいいと思い、シェーンハイマーのコンセプトを日本語では、動的平衡というふうに呼びたいと提唱しています。

動的はダイナミックということ。平衡の意味はパラレルではなく、バランス。絶え間なく動きながらも、ある種のバランスを取っているのが生命体で、その中をエネルギーの流れ、情報の流れ、物質の流れがすべて水という媒体によって流れ込み、出ていくというふうに生命を捉えていくことができるのです。

我々が生きているということが密接に環境とつながっているということ。動的平衡というのはその生命観のキーワード

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細胞と細胞、あるいは分子と分子は相補性がある関係。ジグソーパズル全体で同時多発的にピースの更新が起こっても、この相補性の関係が保たれている限りにおいてそれほどかわらない、というふうに、私たちの生命体は維持されている

サステナビリティ(持続可能性)という言葉も、頑丈に長持ちするようなものを求めるのではなく、むしろ生命に学び、やわらかくゆるやかにつくってその中にものが流れていくってことを考えながら、環境問題、あるいは生命の問題を捉えなおさなければいけないのでは

動的平衡の要素というのは絶え間なく流れているということ。
しかしその都度我々の生命体の中では、平衡、バランスが求められている、つまり、いつも動的な状態にあるわけです。この動的な状態にあるがゆえに、我々の生命体の体というのは柔軟であって、可変的である。病気になれば、回復するし、異常があれば修復できます。

仮にGP2遺伝子がなくとも、何か代償的な補償的な仕組みが立ち上がり、欠損を欠損でなくするようにして生命を新しい平衡状態を立ち上げ、なんとかやっていく。これによって38億年もの長きの間、生命は存続してきたのです。だから、生命は持続するために、堅牢頑丈、しっかり自分の体を作るんじゃなくて、もともと“ゆるゆるやわやわ”につくられています。ゆるゆるやわやわにつくっておいて、絶え間なく壊しながら絶え間なくつくるということを選び取ったがゆえに、持続してきたわけです。

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我々生命体というのは、なぜそんなにも一生懸命自らを壊し、自らを作り変えているのか?

どんな仕組みでもこの宇宙にあるものは、すべて秩序がある方向から秩序がない方向へ進んでいってしまいます。どんなに堅牢な、頑丈な建物でも、だんだんだんだん風化してダメになるように。これはすべてエントロピー増大の法則という宇宙の大原則。

だからむしろ、ゆるゆるやわやわにつくって、どんどん自ら壊して作り変える、そのことによってその内部に溜まるエントロピー(乱雑さ、ゴミ、老廃物)を汲み出すために、自らを壊しながら作り変えるっていう流れの中に自分を置くという方法によって、サステナビリティを見出したわけです。

動的平衡の観点から生命を観るのと、機械論的な観点から生命を観るのでは、どういうふうに生命の見方が違って見えるのか?

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例えば、私が花粉症を恐れるあまり抗ヒスタミン剤をいつもいつも飲み続けていると、動的平衡がシフトして新しい状態を作り出そうとします。この状態のところに花粉が来ると、大量のヒスタミンが出て、それが大量のヒスタミンレセプターに結合して、私はもっと激しいくしゃみや涙や鼻水にさいなまれるような、花粉症に敏感な体質を自ら導いてしまうという逆説が起こるのです。

これは生命の問題、環境の問題どの問題にもいくらでも起こっています。防ごうとするとその場はうまく行くけれども、長い時間が経つとむしろもっと悪いことがおきてしまう、ということ。
なぜなら、生命と環境が動的平衡であるから起こる事なのです。

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私たちは機械論的に傾きすぎたこの世界観、生命観というのをこの動的平衡の世界観、生命観に戻していくべきではないか

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みなさんぜひ、この世界を解くキーワードとして、この動的平衡というパラダイムを、ちょっと頭のどっかにとめておいていただければと思います

Writer's Profile
ミズベリング

ミズベリングとは、「水辺+リング」の造語で、
水辺好きの輪を広げていこう!という意味。

四季。界隈。下町。祭り。クリエイティブ…。
あらためて日本のコミュニティの誇りを水辺から見直すことで、
モチベーション、イノベーション、リノベーションの
機運を高めていく運動体になれば、と思います。

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