2016.11.02
「イスダス文明」の謎に迫る
2016年、「イスダス文明」というコトバが巷で囁かれるようになった。
いったいそれはどんなものなのか? を独断と偏見で調査してみた。
そもそも「文明」とは
文明(ぶんめい)とは、人間が作り出した高度な文化あるいは社会を包括的に指す。(wikipedia)とある。
太古より文明は大河の流域で栄えた歴史があり、かの四大文明も例外ではない。
豊かな水辺には人が集まり、市場が生まれ、そこがいつしかコミュニケーションが行き交う「エリア」に変わったというのである。
川は水を運び、土や石を運ぶ。
流れの力を借り、人々は食料や物量を運ぶ。
それは、人自体もその流れに乗り移動する風景を生み出した。
なるほど。
水辺というものは無限の可能性が生まれる場所なのではなかろうか。
「イスダス文明」の発祥
では、歴史上聞いたことのなかったこの「イスダス文明」とはいかなるものなのか。
紀元後2016年。この出現をだれよりも早く発見した人物がいた。
《天気がいい日に川にイスを出す人が増えて、川の風景を味わい愛でる文化が広がるという説。》
奇しくも3月3日の「水辺の日」に、
彼は600人を超えるのミズベリストの前でこう唱えたのである。
「イスアル文明ではない、イスダス文明の時代が来た」
「イスダス人」の出現
そこから半年の月日が過ぎ、世の水辺にはそれらしき風景がみられるようになった。
彼らをここでは「イスダス人」と呼ぶことにする。
それらを観察してみると幾つかの種族に分かれることが発見された。
この種族は顔立ちや年齢、人数も様々であるが共通しているのは、みな穏やかな表情をしていることである。
今の時代に穏やかでいられるというのはどんなことなのだろうか。
『WEB制作の仕事をしています。毎日暗くなるまで働いてますよ。パソコンを相手にしていますので目薬は欠かせないですね』
と答えてくれたのは「ハラッパー族」とみられる親子連れの彼。
そんな彼は今時のラフなスタイルで穏やかな時間を過ごしている。
傍らには美人妻と母親似の子どもがいる。
この時間を独りでなく、共に過ごしたい家族がいるのが微笑ましい。
パソコンと過ごす日常から解放され、穏やかな人間味を取り戻す。
それが水辺の力なのか。
張り切ってキャンプやBBQをしなくてもいい。
ただ、イスに座ってゆったり過ごす時間があれば、家庭は安定なのである。
なんとコスパがよいことか。
こちらは川にインしている二人組。
『山登りに来たんです。1泊してこれから帰るんですけど、なんか気持ちいいな、と思って
民宿のオーナーさんにイスを借りちゃったんです。』
と語るのは清流の木陰にイス、帽子、飲み物 という3点セットを揃えた彼女たち。
本来の目的とは別に、ふと思いつき行動にでてしまったというこの現象。確かに「思わずやらずにいられない」という言葉がでてしまう気持ちいい空間である。
以上のように「イスダス人」は何処と限らず気の向くままに自らイスを出し、時間を過ごす。
という行動を取っている。
今回は水辺で見つけたが、それ以外の場所にも出現する可能性は大いにあるだろう。
きっとそこにはいつもと違う新しい風景が生み出されるに違いない。
この記事を書いた人
どんぶらこ〜どんぶらこ〜、と人生を川の流れの様に謳歌しております。 MIZSUKIでございます。 主に川に出現する人達をウォッチングしております。
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