2015.01.27

「水のない水辺から・・・「暗渠」の愉しみ方」第5回「暗渠こそがメインストリート。藍染川をたどる。」

暗渠との出会い

ぼくにとって、暗渠とは出会うものです。街を歩いていて、おや、なんかおかしいぞと思う違和感。そんなところに暗渠との出会いがあります。たとえば、この交差点。

北区の「しもふり商店街」の入口ですが、交差点の名前は「霜降橋」となっています。でも周りには橋なんかありません。ただ商店街と道があるだけ。なにかおかしいですね。

それから文京区のこの道はどうでしょう。なんかくねくねしてます。

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上から見てみましょうか。やっぱりくねくねしてます。

あまりにくねくねしてるので「へび道」と呼ばれてる道ですが、いったい道がこんなに曲がりくねる必要があるでしょうか。これもなにかおかしい。

この2つの違和感には、実は共通点があります。両方の地点とも、かつて同じ川の流路だったんです。藍染川と呼ばれていました。その名のとおり、布地の藍染めに使うようなきれいな川だったそうです。

いったん全体図を見てみましょう。

水源は、巣鴨のあたり。そこから南に流れて、不忍池に注いでいました。実はそこから先も神田川まで続く流れがありましたが、その川にはまた別の名前がついていましたので、ここでは紹介しません。

とにかく、こんな川がかつてありました。今では、交差点の名前とか、道のくねりといったところに痕跡を残しているだけですが、それでも、なんかおかしいぞという違和感はあります。もしも街を歩いていてそういう違和感を感じたら、ぜひその先を辿ってみてほしいと思います。そこは、普段歩いている表通りとは何か違う、街の無意識のようなところに違いありません。こんな場所があったなんて、という発見がきっとあるはずです。

暗渠を歩く

などと言いましたが、藍染川暗渠の場合、他の場所では裏通りになっていることの多い暗渠が、実はメインストリートになっていることが多いという点がユニークなのです。実際に歩いて確認してみましょう。

まずは川の始まり、水源からです。水源はいくつかあったようですが、江戸時代の地図にもはっきりと描かれているのは、ここ染井霊園です。

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ちょっと崖というか窪地のようになっていますが、ここが昔は長池という池だったんですね。そしてここを水源として川の流れが始まっていました。こんなふうに細くて曲がりくねった道が続いています。

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ザ・ロング・アンド・ワインディングロードというビートルズの歌がありますが、あれは暗渠のことなのかもしれないなあなどと思います。まあとにかくそんな感じの道です。

その先にあるこれ。何でしょう。

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これは、かつての橋の親柱ですね。不染橋(ふぜんばし)と書かれています。よく注意しないと気づかない、かすかな川の痕跡です。この橋は慈眼寺(じげんじ)というお寺が明治の終わりにここに移ってきたときにお寺の前に新しくかけられたんだそうです。

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その後、昭和の始めには川が暗渠になってしまい、橋は無用になりましたから、橋としてちゃんと使われていた期間はたったの20年ちょっとです。なんだか橋の無念のようなものを感じますが、こうやってお寺の前で供養してもらっているのでさすがに成仏できたかもしれません。

先へ進みましょう。裏通りのようになっているのはさっきのところまでで、ここから先は、暗渠はメインストリートになっています。染井銀座・霜降銀座という商店街は、まさに暗渠に沿って続いているんです。

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川沿いにはもともと商店街はありませんでした。昭和の始めにこのあたりが暗渠化された後、新しくできた道にぽつぽつと商店が立ち始め、昭和の中頃になって霜降銀座商店街としてデビューしました。暗渠ができたからこそ商店街になったんです。

そして霜降銀座の出口が、冒頭でも見た霜降橋ですね。

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昔は木の橋だったんですが、丈夫な土の橋にしたところ寒い朝は霜が降りるようになったので今の名前になった、という話があるようです。

さらに下ると、暗渠は谷田川通りという広い道の下を通るようになります。まだ言ってなかったんですが、じつはこの川は上流のほうでは谷田川と呼ばれていました。根津のほうに行くと藍染川と名を変えて呼ばれていたんですね。

ちょうど下水管の工事をやっていたので、話を聞いてみました。

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いま、この道の下には谷田川幹線という下水管が通っているそうです。横幅は約4メートル、高さは約2.5メートル。結構大きいです。道幅いっぱいですね。谷田川幹線とほぼ同じような大きさの幹線の写真がこれだよと教えてもらいました。

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すごいですね。かつての谷田川は、いまは地下でこんなふうに流れています。いまやっている工事が終わると、内部がプラスチックで覆われてこんなふうになるそうです。

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どんどんサイボーグみたいになりますね。川には情緒を求めたくなりますが、しかしこれが都市化ということなんでしょう。
さらに千駄木のほうまで下ると、暗渠は「よみせ通り」という商店街になります。

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ここも暗渠化した後に商店街ができて、夜には露店が立ち並んで客がぎゅうぎゅうになるほどの盛況だったそうです。まさに暗渠がメインストリートだったんですね。今ではよみせ通りから入る谷中銀座商店街がいつも盛況で、かつてのよみせ通りのにぎわいを見せているようです。

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谷中銀座の中ほどに、南へ向かう細い道があります。ここをちょっと入ってみましょう。

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入ってみるとこんな具合です。

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とっても細くて、ほんとに続いてるか不安になるような道です。この先なんか行き止まりなんじゃないかな?と思うんですが、ちゃんと左に続いてます。

ここは、よみせ通りの本流から離れたところにある支流です。支流の暗渠は、細くて秘密の抜け道みたいなので発見する喜びも大きいです。ちょっとマニアックになっちゃいますが、支流探索こそ暗渠歩きの喜びといっても過言ではないかもしれません。

その先、くねくねのへび道をすぎると、根津の丁子屋さんがあります。

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明治の中頃から藍染川沿いで染物屋をやっているという、まさに藍染川の生き証人のようなお店です。最近建て替えたので新築になったんですが、「創業明治二十八年」の看板は以前と変わりません。いつまでも長く続いてほしいお店です。

根津をすぎて池之端まで来ると、暗渠は急に細くなります。こんな具合。

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いかにも暗渠らしい暗渠。本流がこんなふうに細い道になるのは最上流と最下流のここだけです。今この道を通ってるのはぼくだけだろうと自信をもって言えるようなひっそりとした道。

そこを抜けると残念ながら道は途絶えてしまいますが、ちょっと回り道をして辿り着いたここ不忍池が川の終点となります。

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ちょうど鳥が飛んでいて、なんだかゴールを祝福してくれたような気分になりました。

藍染川の魅力

振り返ってみましょう。藍染川がユニークなのは、暗渠化した後にそこがメインストリートとなって商店街が栄えたというところ。よその暗渠でみかける、住宅街の裏手でひっそりとした緑道になってしまうパターンとは違います。

そしてその魅力は、暗渠から横に入るなにげない路地や支流の雰囲気にあると思っています。いくつか見てみましょう。

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ね、いいでしょう。

これは、最下流部分の本流ですね。ここも雰囲気があります。

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みなさん、東京にこんな場所があるって知ってました?

ぼくは知りませんでした。ある日、暗渠に出会って、その先を辿るうちに初めて気がついたんです。昔この場所に川が流れていたんだということに。暗渠の入口は「なんかおかしいぞ」という違和感です。そしてそこを辿った先には、きっと発見があると思います。

この記事を書いた人

三土たつお

1976年、東京・霜降銀座の近くの西ヶ原で生まれる。『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(共に洋泉社)などに寄稿。「@nifty:デイリーポータルZ」で街ネタをよく書いてます。

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