2014.10.03
水のない水辺から ・・・「暗渠」の愉しみ方第2回 暗渠の見つけ方 髙山英男
ちょっとマニアックな「暗渠」の話、今回は暗渠の見つけ方を中心に。
連載初回である前回は、そもそも「暗渠(あんきょ)」とは何でありどんなところが愉しいのか、ということを書かせていただきました。そもそも「暗渠(あんきょ)」とは何でありどんなところが愉しいのか、ということを書かせていただきました。第2回目である今回は、そんな暗渠の「見つけ方」についてお話しますので、ぜひみなさんご自身で身近な暗渠に触れながら、「水のない水辺」を感じていただければと思います。
暗渠で目にする特定の「しるし」
「…いつも銭湯の煙突を見かけるな…」。暗渠を歩き始めた頃に、そう思ったのです。もともと銭湯は好きだったので、煙突やのれんがあれば自然と目に入ってくるだけなのかもしれない…。しかしそれにしても多すぎる…。そこである日試みに、こんなことをしてみたのです。
図の真ん中の水色の線は品川用水の川跡です。品川用水とは、江戸時代に玉川上水からの分水を受けて武蔵野市、世田谷区を通り大田区・品川区周辺の村に水を配給していた人工の水路で、現在は殆どが道路に転用されています。この流路に近いところにある銭湯を「平成19年度版 東京銭湯お遍路MAP」をもとに赤いピンでマッピングしてみたところ、流路上に位置する銭湯のなんと多いことか。ちなみに世田谷区だけでカウントしてみると、同資料に載っていた48軒の銭湯のうち半分の24軒が、なんらかの川沿い・暗渠沿いに位置していたのです。
思い返せば銭湯以外にもそんな「暗渠でよく出会う」物件はたくさんありました。クリーニング屋さん、豆腐屋さん、氷室、プール、バスターミナル、ゴルフ練習場、井戸…。これらは暗渠の存在を示唆する「暗渠サイン」と名付けることができるし、暗渠を見つける際の手掛かりにもなりそうです。
またこれら「暗渠サイン」を並べてみると、それがあれば「もう絶対ここに川があったはず!」という非常に相関の強いものもあれば、「他でもよく見るけどまあ暗渠沿でも多いよね」といったユルいものまで、それらの「確からしさ」がずいぶんとバラバラであることもわかりました。そこで、川があった・暗渠があるという確からしさを「暗渠指数」と呼び、これらの高低(当社比)によって並べ替えて整理してみたのが次の図です。
では、これらのうちの主なものを上から解説して参りましょう。
目に見える「川の名残」はもっとも確実な暗渠サイン
一番上には橋の欄干や親柱、床などの「橋跡」、その他「水門」「水車跡」「護岸」をプロットしました。もともと直接川の付帯設備であったこれらが残っているならば、そこは川跡だったに違いありません。すなわち「暗渠指数」は最大。これらは都内にも何か所か残っており、暗渠者の間では「名所中の名所」として珍重されています。しかし興味のない人から見ると、あまりに日常に溶け込みすぎて目に入らないケースも多いかと思います。
「橋跡」や「護岸」はあまり邪魔にならないためか比較的今でも残っているものが多くみられますが、嵩張る「水門」が残っているのは稀で、さらに大規模物件である「水車」となると都内では殆ど見ることはできません。その代りその大きさや役割から歴史的価値は認められているようで、実物は残っていずとも地域の文献や古地図に記載されているケースが多くあります。
個性が光る「車止め」は暗渠者の人気アイテム
暗渠指数が次に高いのは「車止め」です。暗渠は川を埋めた・蓋をした状態であることが多いので、重量の大きな車両が乗り入れてこないよう「車止め」を置いていることが多くあります。歩行者の安全確保や防犯防災など様々な理由で設置されることも多いので「車止め=暗渠」とは限りませんが、都内を歩いた経験上かなり「暗渠指数」は高いはずです。それだけにこれも、見るだけで暗渠者をアガらせる重要な暗渠サインとなっています。
またこの車止めの最もチャーミングなところは、時代や場所によって素材や形のバリエーションが楽しめるところでしょう。管轄する自治体によって特徴的なものもあり、その代表例が杉並区の車止めで、金太郎が書かれたプレートが備え付けられています。設置年や由来などはこちらの杉並区HPを参照ください。
「川があったからこうなった」状況証拠たち
次いで「暗渠指数」が高いのは「付近の家並み」でしょう。川があった頃にその沿岸に建てられた家並みには特徴があり、それは今でも静かに水辺を主張しています。一例は次の写真のようなもの。かつての川がある程度の幅を持った道(暗渠)となっているにも関わらず、未だ家並みはこれに「そっぽを向いて」建っています。私はこのような「誰の役にも立ってていないけど、誰に見向きもされないけど確かにそこに存在している」暗渠に対し、何とも言えない寂寥感を抱くとともに、強く心惹かれてしまうのです。
また川だった時代に物理的にあった「川までの高低差」が観察できたり、その段差を昇降するための小さな階段が設けられているケースも見られます。
そしてこれらに近いところに位置付けているのは「下水道設備」です。前回でも触れたとおり現在は地下で下水道として第二の人生(川生)を送っている川も多く、密集するマンホールや家々からの排水パイプなどはその川の化身としての下水道の存在を示唆するものでもあります。そんな場所に行ったなら、ぜひ耳を澄ましてみてください。マンホールから響いてくるせせらぎに、リアルな水辺が感じられるはずです。
それぞれに意味や歴史がある「暗渠サイン」施設
冒頭で銭湯について触れましたが、他にもたくさんの暗渠サインとなる施設が挙げられます。ここではそれらを「水場関連・排水排電関連」「スペース要因」「川関連産業」の3つに分けています。
まず「水場関連・排水排電関連」ですが、基本的に大量の排水を流す便が必要なため川のそばに建てられた、というもので、銭湯もまさにこの分類となります。
続く「スペース要因」は要するにバスターミナルのような、「都心でありながらも広大な敷地を必要とする施設」を指します。これらが暗渠沿いに多く見られるわけは、湿地など開発が後回しにされた川の流域は、高度成長期以降であっても土地の確保がしやすかったからだと考えています。
そして最後の「川関連産業」ですが、これらは川を使って材木を運ぶ、水車を使って精米・製粉する、川で反物を洗って染める等々そもそも川をビジネスに使っていたと推測できる施設たちです。なぜか暗渠沿いでテント店を見ることも多いような気がするのですが、おそらく旗など大きな反物を扱う染物店が業態を変化させてテント店に至っているのでは、と私は思っています。
その他の暗渠サインたち
「暗渠指数」は低くなってしまいますが、その他「井戸」「境界」「寺社」なども暗渠サインとして位置付けます。
「井戸」はもちろん尾根であっても存在しますが、川のある谷底では地下水脈にアクセスしやすいエリアも多いようです。また暗渠沿いでは比較的「昔のままの景色」が残っていることが多いので目にする機会も多いのでしょう。。
「境界」ですが、昔から川は物理的に左岸と右岸を分かち、川が無くなった今も区境や町境など行政境界の一部として名残を留めているものもあります。また川は、ウチとソト、ハレとケなど「概念上での境界」をも作ってきたのではないでしょうか。かつての遊郭・吉原や洲崎などは、外(日常)と内(非日常)を分かつように周囲に堀が設けられていました。
最後に「寺社」ですが、敷地内に湧水を持っていたり川が流れていたりというケースもよく見ることができます。これは、大切な水という利権を握ることで周辺共同体からの求心力を高めようという側面もあったのではないかと私は考えています。また寺社の中でも「厳島神社」「市杵島神社」など水の神様である弁天様を祀る寺社は別格で、弁天様があればどこかに必ず水の匂いがするはずです。
以上、水のない水辺である暗渠を探す方法としての「暗渠サイン」についてお話しました。それでは次回からは予定通り、「東京の水 2009 fragments」の本田創さん、「暗渠さんぽ」の吉村生さん、「デイリーポータルZ」ライターの三土たつおさんらと交代で、個別の「水辺」を取り上げてくことにしましょう。
参考文献
「川の地図辞典 江戸・東京23区編」菅原健二 之潮
「東京銭湯お遍路MAP」平成19年版 草隆社
ある日「自分の心の中の暗渠」に気が付いて以来、憑かれたように暗渠を追いかけては自ブログ「東京Peeling!」に書きなぐる毎日。そういえば小さいころから「水」が好きだったなあと最近やっと気がついた。 2015年6月、吉村生と共著で『暗渠マニアック!』(柏書房)を出版。『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編(洋泉社)にも一部執筆。本業での著書は『絵でみる広告ビジネスと業界のしくみ』(日本能率協会マネジメントセンター)等。日本地図学会所属。
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