2014.09.10

水のない水辺から ・・・「暗渠」の愉しみ方
第1回 暗渠への誘い

ちょっとマニアックな「暗渠」の楽しみ方講座はじめます。

この記事をシェアする

ちょっとマニアックな「暗渠」の楽しみ方講座はじめます。

はじめまして。今回から月1回の予定で連載開始となりました、『水のない水辺から・・・「暗渠」の愉しみ方』で番頭役を務めさせていただく髙山と申します。
この連載は東京を中心とした「暗渠」を通して、みなさんによりいっそう「水辺の楽しさ・愛おしさ」を味わっていただこうという趣旨でスタートしました。はじめの数回は「そもそも暗渠って何なのよ」といった暗渠概論的なお話になりますが、その後は私の暗渠仲間、暗渠者たちと一緒になって「水のない水辺」である暗渠を具体的にご紹介しながら、みなさんを暗渠界(なんだか怪しい文字面ですね)にいざなって参ります。どうぞよろしくお付き合いのほど、お願いいたします。

「暗渠」ってなに?

まずはそもそも「暗渠」とは、というところからお話しいたします。読み方は「あんきょ」。小学館「大辞泉」によると、「地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路」とあります。ちなみに反対語は「開渠(かいきょ)」。ふつうに水面が見える川や水路を「開渠」といい、なんらかの手が加えられて水面が見えなくなってしまった川や水路が「暗渠」、というわけです。実はこの暗渠についてさらにきっちり定義・分類しようとするとまたいろいろあるわけなのですが、それはまた後日。ここでは、「今はもうなくなってしまったけれど、もともと川や水路であったところ」全てを「暗渠」と呼んで、話を前に進めていきましょう。

mizbering用画像¥1-1

水面が見える水路は「開渠」。(杉並区・善福寺川)

mizbering用画像¥1-2

かつての川に蓋が掛けられている「暗渠」。(足立区・神領堀東堀)

mizbering用画像¥1-3

かつての川は下水道幹線となり地中へ。その上を緑道に転用している「暗渠」。(練馬区・田柄川)

かつての水辺・東京の水系

さて、都内を流れる川の主な水系といえば、①荒川水系 ②石神井川水系 ③神田川水系 ④渋谷川水系 ⑤目黒川水系 ⑥呑川水系 ⑦多摩川水系といったところが挙げられます。これらは川の水面が見える開渠区間が多く(=リアル水辺が多く)、みなさんにも明確に「川」として認識されているものばかりだと思います。
都内の主な水系を、地形を色で表して凹凸を見やすくした「陰影段彩図」の上にプロットすると下の図のようになります。

2-1

東京の「高低差」と、そこで谷を刻む水系。(東京マナイタ学会作成による陰影段彩図)

各水系の右岸・左岸にたくさんの小さな谷(支谷)が繋がっているのがおわかりでしょう。普段はあまり意識しないかもしれませんが、東京の台地は大小の谷があちこちで入り組んでいて、非常に「面白いこと」になっています。これらたくさんの支谷の殆どには水の流れが、つまり各水系の支流があったはずです。根気よくこれらの水系の支流、支支流を地図にプロットしていくと、実は東京は川だらけの街であったという事実が浮かび上がってくるではないですか。

mizbering用画像¥2-2

地図に暗渠を書き込んでいくと実感できる「水の都」、東京。(「ユニオンマップ 東京&関東・磐越・甲信の地図」国際地学協会 に筆者が加工)

詳しくは個別の暗渠をご紹介する後々の回で改めて書くことになると思うのですが、谷を這う自然河川の他に、江戸時代以降に尾根筋を使って人工開削された水路までもが入り乱れていることが、東京の街をさらに「暗渠的に」面白くしています。その代表格は、羽村市から四ツ谷まではるばる43km、多摩川の水を江戸市中に運んでいた玉川上水でしょう。玉川上水は人工水路の幹線的な役割を担い、品川用水、三田用水、千川上水等々いくつもに枝分かれして、あちこちの尾根を「水辺」に変えていました。これらに加えて現在の中央区やその周辺には、舟運のための運河が張り巡らされ、江戸時代のウォーターフロントを形成していたことはみなさんご存知の通りです。

mizbering用画像¥2-3

より遠くの江戸市中まで水を運ぶために尾根ルートを緻密に選んで開削された玉川上水。(福生市・玉川上水)

mizbering用画像¥2-4

玉川上水から分水し高輪方面に水を供給していた三田用水の遺構。二つの矩形断面が水路。(港区・三田用水)

mizbering用画像¥2-5

ウォーターフロントにあった水路は道路などに転用され、舟に代わってクルマが行き交う。(中央区・築地川)

水辺から水が見えなくなったわけ

近代から現代は、そんな水の都・東京から水が消えていく時代でした。関東大震災や終戦後の瓦礫処理で川が埋められたケースもありますが、山の手をはじめとした多くの川は東京が近代都市に生まれ変わっていくのと引き換えに水面を失くしていったのです。それは主に「下水道への転用」で、特に世紀のイベント・東京オリンピックを控え東京一丸となって都市化に邁進した昭和30年代に急ピッチで進められました。自然の川はもともと高いところから低いところに流れるようになっていることだし、これを転用すればたいへん効率的に下水道インフラが整備できるだろう、と。増え続ける工場や家庭からの排水で臭く・汚くなった川に対する住民の悲鳴もこれを後押しし、多くの東京の中小河川は「暗渠」となって土の中に埋められていきました。かつて清流を湛えた「キヨメ」の場所であったろう東京の多くの川は、排水による汚染によって「ケガレ」の場に変えられた挙句、暗渠として見た目「無かったこと」になっている、というのが現状です。
手元にあるデータを見ると、東京都のトイレの「水洗化率」は昭和38年時点ですでに82.6%となっています(「公共下水道統計 昭和37年度版」日本水道協会 より算出)。水洗トイレの普及が始まるのは高度経済成長期に入ってからのことでしょうから、昭和30年代は爆発的に「水洗化」、つまり下水道整備が進んだ時代ということがいえます。そしてそのぶん東京の中小河川は「水のない水辺」となっていったのです。
では、そんな「水のない」暗渠で、いったいどんなふうに水を感じ、愉しむことができるというのでしょうか。

「暗渠」の愉しさ Ⅰネットワーク

暗渠の愉しみ方を大きく3つ挙げるとすれば、1つはその暗渠たちが作るネットワークを辿る愉しさです。
普段ロードマップや鉄道路線図を見慣れた私たちがすぐに思い浮かべる「東京の骨格」と言えば、①山手線や環七・環八などが作る皇居を中心とした同心円、②各地に放射状に延びる主要街道・鉄道の二つで構成されているのではないでしょうか。例えば「JR線蒲田駅から田園都市線桜新町までの行程」を頭に描こうとすると、多くの方は「蒲田駅から京浜東北線で品川に北上して、山手線渋谷からは田園都市線で4つ目の駅」とか、「蒲田駅すぐそばを通る環八を用賀まで北上して、国道246号線を東に入ってすぐ左折」などとイメージすると思います。しかし、暗渠目線で見ればこの両駅は呑川という川でも繋がっている間柄。つまりかつての水辺が作ったネットワークで結ばれているのです。蒲田駅のすぐ北側に流れる呑川を遡っていくと、池上本門寺のふもとを通って東工大までは開渠で流れ、その先が暗渠となります。さらに辿ると東横線都立大駅付近で3つの支流に別れますが、一番長い流れは世田谷区深沢から一路桜新町へ、一部開渠となりながらこの川の最上流を描き出します。この川が作る道筋を、いつも頭に浮かべる「道路と線路のグリッド」に重ねてみてください。ほら、あなたの脳内地図に新しいネットワークが出来上がるのがわかるでしょう?また、基本的には川は低いところを流れますから、その呑川が描く道筋はそのまま「谷」、すなわち土地の高低を表しています。さあ、脳内地図に「地形」というレイヤーも被さってきました。いかがです?暗渠の流れを辿ることで、目の前に新しい世界が立ち現われてきますね。それはまさに、水が繋ぐ世界、なのです。

4-1

「呑川」で繋がっている、蒲田と桜新町。(Google Mapをもとにして筆者作成)

4-2

道路や鉄道を軸にした見慣れた地図に、川や地形のレイヤーが被さることで新しい世界が。

「暗渠」の愉しさ Ⅱ歴史

2つめはそれぞれの暗渠が持つ歴史、あるいは履歴に触れる愉しさです。
東京の川は、東京が海から陸となった(=陸となることでそこに川が誕生した)12万年前にまで起源を遡ることができますが、こと暗渠となると1923年の関東大震災以降がその歴史の主な舞台であると言えるでしょう。ここから現在に至る東京は“震災からの復興”“戦災からの復興”“昭和の高度成長”“バブルによる都市開発”と4回もの「街の再フォーマット化」を経ることになりますが、その都度川は暗渠へと変化を余儀なくされてきました。しかしこの間わずか90年。暗渠化にまつわる資料もちょっと頑張れば探せないことはないし、昔を知っている人たちの証言だってまだまだ聞くことができます。昔そこが川だったこと、岸辺にたくさんの花が咲いていたこと、そこに子供が落っこちてひと騒動あったことなどなど、ちょっと懐かしい小さな物語を発掘しては「見えない水辺」を感じ、愛おしい思いに浸ることができます。それは地形の高低差含む3次元座標に、時間という4番目の座標が加わって暗渠にさらに奥深い愉しみを与えてくれます。

5-1

わずか90年の間のいくつかの「インパクト」で、東京の川は様相が激変した。

「暗渠」の愉しさ Ⅲ風景

3つめは暗渠の風景を眺める愉しさです。そしてその風景はさらに、「暗渠に付帯するもの」と「暗渠そのもの」との2つに分けることができます。

mizbering用画像¥6-1

暗渠の「風景」の愉しみはさらに細分化して考えることができる。

「暗渠に付帯するもの」のことを、私たち暗渠モノは「暗渠サイン」などと呼んでいます。それが在る所は暗渠である確率が高い、という目印なのですが、これらを頼りに「かつての水辺」を探し歩くともうそれだけで「街全体をフィールドにしたパズルゲーム」をしているような愉しさを感じることができます。これら「暗渠サイン」については、一覧に整理したチャートをもとに次回もう少し詳しくお話しましょう。

mizbering用画像¥6-2

「暗渠サイン」をその「確からしさ」を軸に並べてみると…。

一方「暗渠そのもの」の風景について。これもさらに2つに分けて考えることができます。1つはその「姿のバリエーション」を愛でる愉しみであり、もう1つは「見立て」の愉しみです。
「姿のバリエーション」は、すなわち川を暗渠化したときの加工度(隠し度)の違いとも言えます。アスファルトで塗り固められすっかり普通の道路にしか見えない暗渠もあれば、緑道として生まれ変わっている暗渠もあります。前者だとかなり「水辺」を探すのが難しいのですが、後者のような「目印」があると暗渠あるきも容易です。その他には、川に蓋を掛けてあるだけの「主張の激しい」暗渠などもあり、その素朴さと川跡であることの確実さから我々暗渠者の間では「蓋暗渠」と呼ばれ珍重されています。このような暗渠の加工度の違いには暗渠化の時代・周辺の開発状況・行政区ごとの考え方などが反映されており、その多彩な姿を見て歩くのは街中で宝探しをするような愉しさがあります。

mizbering用画像¥6-3

水辺であったことをやんわり主張する緑道の暗渠。(板橋区・前谷津川)

mizbering用画像¥6-4

流れに蓋を被せるだけ、という素朴さが魅力の蓋暗渠。(杉並区・松庵川)

もう1つの「見立て」ですが、これは見る者の精神性や創造力が問われる非常に高度な(あるいは行き過ぎた)愉しみ方と言えるでしょう。見立てとは日本庭園や箱庭、盆栽などで見られる創作技法で、ある物体を以てちがう何かを見ること・見させることです。
暗渠は多くが裏路地となって人通りが少ないため、たいへん侘び寂びの溢れる、場合によってはプチ廃墟ともいえるような所になっています。そんな暗渠に水の流れを想像しながら「見立て」てみると、自分だけの不思議な風景が立ち現われてきます。例えば静かに大きくカーブを切って進む蓋暗渠はまるで北欧のフィヨルドの奥にある雄大な氷河のようです。また湿って苔生す静寂な暗渠は岩の間に清らかな水が行き交う山奥の渓流を思わせます。

mizbering用画像¥6-5

優雅にカーブして進む銀色の蓋暗渠は、極北の山間を突き抜ける大氷河の如し。(小平市・小川用水)

mizbering用画像¥6-6

静寂の中で苔生す暗渠は、転がる苔岩の間を縫って流れる木陰の渓流の如し。(練馬区・石神井川の支流)

mizbering用画像¥6-7

金木犀の散る暗渠はまるで「風の谷のナウシカ」の「その者蒼き衣を纏いて金色の…」(これは水辺とは関係ありませんね。…杉並区・桃園川の支流)。

見えずとも、見立で広がる水景色。街のちょっとした景観整備や再開発で暗渠なんてすぐになくなってしまうものです。それだけに、このようなある意味豊かな「水辺」に出会えたならば、思いっきりその儚さと美しさに浸ってみるのも一興です。

「まえがきのようなもの」はもう1回だけ続きます。次回は「暗渠サイン」を中心に、みなさんのそばで「水のない水辺」を見つけるコツをお届けします。そのあとは「地形を楽しむ東京『暗渠』散歩」(洋泉社)の著・編者でありブログ「東京の水 2009 fragments」の本田創さん、「暗渠さんぽ」の吉村生さん、「デイリーポータルZ」ライターの三土たつおさんらと交代で個別の暗渠を取り上げていきます。お楽しみに。

参考文献

「東京の自然史」貝塚爽平 講談社学術文庫
「川の地図辞典 江戸・東京23区編」菅原健二 之潮
「川の地図辞典 多摩東部編」菅原健二 之潮

この記事を書いた人

自称・中級暗渠ハンター

髙山 英男

ある日「自分の心の中の暗渠」に気が付いて以来、憑かれたように暗渠を追いかけては自ブログ「東京Peeling!」に書きなぐる毎日。そういえば小さいころから「水」が好きだったなあと最近やっと気がついた。 2015年6月、吉村生と共著で『暗渠マニアック!』(柏書房)を出版。『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編(洋泉社)にも一部執筆。本業での著書は『絵でみる広告ビジネスと業界のしくみ』(日本能率協会マネジメントセンター)等。日本地図学会所属。

過去の記事

> 過去の記事はこちら

この記事をシェアする