2016.01.19

ベルリンの川を「泳げる川」に変える市民からのプロジェクト

使われていない運河を"Flussbad" 「川のプール」としてプレゼンテーション

西ドイツのケルンに生まれ、メンヒェングラートバッハに住んでいたヤンが、兄ティムの住むベルリンへとやって来たのは1996年のことだった。ベルリンの壁が崩壊してから間もない当時、建築家であるヤンとティムのエドラー兄弟は、ベルリンの中心部を流れるシュプレー川沿いにKunst und Technic [芸術と技術]と名付けたアトリエ兼クラブを作り、美術展示スペースを併設した非合法バーをオープンした。2000年頃に絶頂を迎えたというこのクラブは、典型的なベルリンの「壁以降」のプロジェクトとして、ベルリン子の間で人気を博した。

151210_Flussbad-New____0001

このクラブは、世界遺産として知られる博物館島の北西、すなわち南北に分岐したシュプレー川が再度合流する地点のすぐ北側に位置していた。その時兄弟は、南北に分岐するシュプレー川の南側の運河には観光船などの船が一切走っておらず、完全に使われていないことに気がついた。

そこで兄弟は、この船が通らない運河の部分を、いっそのこと人が泳げるプールに改装しまってはどうだろう?と思い立ち、1998年に初めてFlussbad [川のプール]のプレゼンテーションを行った。そしてヤンとティムのエドラー兄弟は、この場所にアートと建築、テクノロジーの融合を目指したスタジオRealities: Unitedを作った。

「当時は誰も川に興味を持っていなかったんだ。このプロジェクトを話しても、実現可能性が無いと返されるだけで、一切相手にしてもあらえなかった」と、ヤンさんは当時の様子を振り返る。そこから、Flussbad実現に向けて兄弟二人の歩みが始まった。

シュプレー川とベルリンの記憶

全長約400キロのシュプレー川は、チェコとポーランド国境近くのラウジッツ山地から始まり、ベルリン中心部を流れた後にエルベ川の支流ハーフェル川と合流し、黒海へと流れ出る。冷戦期に東西を壁で隔てられていたベルリンでは、シュプレー川も天然の要塞として、壁に沿う形でベルリンを東西分断していた。

この博物館島を囲む運河誕生の背景には、ベルリン市の記憶が刻まれている。

151210_Flussbad-New__30__0001
1680年のベルリンは城壁で覆われており、その周りを掘が囲んでいた。この掘が発達する形で生まれたのが、シュプレー運河と博物館島である。

1830年になると、プロイセンの建築家カール・フリードリッヒ・シンケルは、ベルリン最大の目抜き通りウンター・デン・リンデン通りをまたいてベルリン王宮に向かい合う形で、旧博物館(Altes Museum)を設計した。その後5つの博物館・美術館が次々と立てられることで、この運河で隔てられた中洲地域が、現在はユネスコ世界遺産として知られる「博物館島」へと変貌を遂げた。さらに、1908年になると、この城壁の北側に沿う形でSバーンと呼ばれる電車が走る様になった。

151210_Flussbad-New__33__0001

この博物館島の南側を流れる運河(Spree Canal)は、多くの観光船が走る北側と比べると狭く、既に100年以上も運河としての機能を果たしていない。1894年頃までは水車を使った製粉所が川の両脇を占めており、水上交通があったものの、市が北側の運河を整備して以降、使い勝手の悪い南側の運河は一切使われなくなってしまった。そうであるにも関わらず、ベルリン市はこの使われていない運河の維持に年間数億円の予算を投じているのが現状だ。

151210_Flussbad-New__42__0001

100年以上前にはここで水泳をする人もいたが、ベルリンの東西分断さらに70年〜80年代にかけての水質汚染以降、ここで泳ぐ人はいなくなってしまった。ヤンとティムの兄弟たちも、かつて人が泳いでいた場所で今誰も泳いでいないのはおかしい、と疑問に思ったという。

自然の恵みを生かしたエコロジカルな公共スペースを

Flussbadこと「川のプール」は、シュプレー川の船舶が通らない南側運河(Spree Canal)の水を自然の力で浄化して、人間が泳げる川にする、という至ってシンプルなプロジェクトだ。

151210_Flussbad-New__40__0001

川の水を利用してプールにする先行例として、ニューヨーク市の「+プール」が挙げられる。しかし「+プール」は、イーストリバーの水を電力を使って人工的にフィルタリングしたフローティングプールであり、とてもエコロジカルなものとは言えない。

Lageplan des Flussbad Berlin

Lageplan des Flussbad Berlin

しかしFlussbadは、自然の力だけで、川自体を変更してしまうというプロジェクトである。Flussbadは上流(写真では右側)から順に、魚や野生動物の住む「自然ゾーン」、川の水をろ過して水質を上げる「ろ過ゾーン」、さらに840メートルに及ぶ「水泳ゾーン」の3つのセクションで構成される。

自然ゾーン

151210_Flussbad-New.key

まず最上流には、様々な植物が実を結ぶ「自然ゾーン」が作られる予定である。現在この場所に動植物はほとんど見られないが、調査の結果、ここにウナギや鯉などの魚類や、トンボなどの昆虫の住む「自然ゾーン」を作ることが十分に可能であることが判明した。

Perspektive_FIlter_Friedrichsgracht_2012

そこには川に沿う形で人工桟橋、鑑賞スポットや自転車専用道路が設置され、市民の憩いの場になる予定である。

ろ過ゾーン

このプロジェクトの肝になるのが、Reedbed Filterと呼ばれる、植物と砂を使ったろ過装置である。

Filter_Schnitt_Schema
まず川の底に穴を掘り、水を透過する性質のある砂を設置する。砂の上部には葦が植えられ、この葦の根が、砂を規定の位置に保つことを助ける。この草と砂で浄化したシステムの下に溜まった綺麗な水だけを、パイプを通して水泳ゾーンに流すという仕組みだ。

典型的なろ過装置は、巨大なコーヒーフィルターのようなもので、定期的な清掃や交換を必要とするが、この植物と砂を使ったろ過システムは、完全に自然の恵みだけによるものであり、何のエネルギーも必要としない。これが水を継続的に浄化し下流に放って行くという開いたシステムであり、このバクテリアを含んだ周囲の砂のマイクロフィルムは、毎秒132ガロンの汚染水をろ過できるという。

水泳ゾーン

ろ過ゾーンで浄化された川の水は、その下流に位置するオリンピックサイズプール17個分の規模を誇る「水泳ゾーン」へと流れる。エリアとしては、現在再建中のベルリン王宮からボーデ美術館までであり、ベルリンで最も観光客の多い地域と重なる。

このゾーンには、地上から水にアクセスするための大階段、着替え部屋、シャワー、ロッカーなどが設置される予定だ。夏はもちろんのこと、1年を通じて川遊びができる場所になるという。なお藻や毒素を放出する細菌の発生を防ぐために、一日一回、プールの水を洗い流すことになるという。

プロジェクト実現に向けて

プロジェクトが大きく動き始めたのは、Flussbadのプロジェクトを立ち上げてから13年目のこと。兄弟の提案するFlussbadが、2011年にHolcim Awards for Sustainable Construction金賞を受賞したことに端を発する。

151210_Flussbad-New__50__0001

2012年のFlussbad立ち上げの時。中央の赤いシャツの男性が兄ティム・エドラー。その右側に見えるのが弟のヤン・エドラー

持続可能な建築プロジェクトに与えられる、スイスのプリツカー賞とも呼ばれるこの称号に、約6000件ある候補の中からFlussbadが選ばれたことで、一気に風向きが変わったと言う。
151210_Flussbad-New__51__0001

この金賞賞金100,000 Euro、さらに次年の2012年銅賞賞金50,000 Euroを得た兄弟は、2012年、15人のメンバーと共に団体Flussbadを立ち上げた。それまで、兄弟は政治的な団体とは一切関わりを持っていなかったと言う。

その後ベルリンの宝くじ財団から110,000ユーロの調査費を獲得し、大規模な調査を行った。それをベースに今年11月、エドラー兄弟はシュプレー川が安全に泳げるようにする方法を99ページにまとめた調査研究結果を発表した。

なおドイツ連邦政府は、2014年から2018年までの都市開発の国家プロジェクト(Nationale Projekte des Stadtebaus)として、彼らのろ過装置をテストすべく260万ユーロの資金を提供し、さらにベルリン市が140万ユーロを提供した。なおこの資金はプロジェクト実現資金ではなく、プロジェクト実現のための精査やPRなど、コミュニケーションのための予算だという。

Flussbadのメンバーたち

2012年に立ち上げたFlussbadの会は、今では年間30ユーロの会費を払う有料会員200人を抱える団体へと成長した。 また今年の7月には企画のPRも兼ねて、会のメンバーと共に予定地で実際に水泳競技を行い、シュプレー川で泳ぐことが可能であることを証明した。

1 . BERLINER FLUSSBAD POKAL 2015 from Flussbad Berlin e.V. on Vimeo.

Flussbadのメンバーたちが集まるラウンドテーブルに、私もお邪魔した。

DSC_0566

会場は、シュプレー川沿いのレストランRio Grande。川に面した広々とした空間が心地良い。

DSC_0546

ヤン・エドラー(左から2人目)を中心に水辺談義が進む

Stammtisch [常連テーブル]と呼ばれるレストランでの会合では、Flussbadに関する現状の報告や意見交換が、和やかな雰囲気の中で行われた。メンバーの背景は多岐に渡るが、その多くは建築やアート関係者たちである。

メンバーたちは、東西に分断されていたベルリンが依然として川と切り離された状態にあること、さらに建物がシュプレー川に背を向けていることを残念に思っている人たちで、この分断を繋いてストックホルムやハンブルグ、ベニスみたいな運河の街になってもらいたい、と期待をかけていた。

DSC_0551

立ち上げ当初からのメンバー、シャルロッテさん(左)

ベルリン大聖堂で働く建築家のシャルロッテさんは、2012年立ち上げ当時からのメンバーだ。何故Flussbadに参加したのかを訪ねると、「シンプルで素晴らしいプロジェクト。しかし同時に環境問題や移民との関係など、複雑な社会的問いを投げかけている。ヨーロッパの文化のあり方は美術館だけではないはず。これは一つの社会的提案であり、インターネットの影響で都市の機能が変わった今、建築を新たに建てるのではなく、Flussbadの様なオープンな空間を都市に作るべきだ」と語ってくれた。

実現に向けて

151210_Flussbad-New__46__0001

シンケルの旧美術館の前で太極拳に興じる人たち

Flussbad職員のバーバラさんによると、ぜひ2020年までにFlussbadを実現したい!と意気込みを語っていたが、ヤンさんに言わせると、実現が何時になるかは分からないとのこと。実現に向けての最大の障壁は、政治的なレベルで実現可能かどうかが不明瞭な点だ。

ベルリンの博物館島はユネスコの世界遺産に登録されており、プロイセン最大の建築家カール・フリードリヒ・シンケルによる建物である。川に下りていく大階段のプランは、シンケルによってデザインされた運河の壁を切り崩すということで、専門家からも非難を受けている。若いベルリン市民たちはプロジェクトを歓迎しているように思えるが、高齢者たちの理解を得るのには時間がかかりそうだ。

さらにシュプレー川はベルリン市ではなく、ドイツ連邦共和国の所有物であるため、国政を動かす必要が出てきた。今後は、もしかしたら国民投票にかけて審議を問う可能性さえあるとのこと。文化財保護と資金調達の双方がテーマと言えそうだ。

ヤンさんは「2018年までに技術的な問題も含めて全てクリアにしたい。現状では、より多くの人の理解を得られるよう、働きかけて行きたい」と語ってくれた。Flussbadが実現できるかどうか、あとはベルリン市民にかかっていると言えるだろう。世界遺産の博物館島の周りを、ドイツ人のみならず多種多様な人々が泳ぐ様子を、ぜひ私は見てみたい。

この記事を書いた人

渡辺真也

インディペンデントキュレーター。映画監督。ベルリン工科経済大学講師。ニューヨーク大学大学院修士課程修了後、イーサン・コーヘン・ファインアートのギャラリー・マネージャー、東京都歴史文化財団 東京文化発信プロジェクト室勤務を経て、2011年に渡独。現在ベルリン芸術大学博士課程にて、『ヨーゼフ・ボイスとナムジュン・パイクのユーラシア』論を執筆中。2016年には初監督となる映画『Soul Odyssey - ユーラシアを探して』を公開予定。 profile Photo: 金瑞姫 http://www.shinyawatanabe.net/

過去の記事

> 過去の記事はこちら

この記事をシェアする