2016.01.07

淀川縦断40km!SUPレポーターが行く

ミズベリングは会議室だけに収まらず!
陸から水から淀川流域を自らの力で発信するHi ship! Project

あけましておめでとうございます。
新年始まり、今年も何処の水辺を旅しようか初詣しながら考えている水主の糸井でございます。
昨年、私は例年に増して水辺を旅してきましたが、その秋に私の宿願が1つ叶いました。

毎年秋に大阪にて開催される水都大阪2015。その終章にミズベリング世界会議が開催され大阪を盛り上げていたことは記憶に新しいと思います。
ちょうどその最中の10月10日、私は淀川流域で行われたあるプロジェクトに参加しながら大阪へ向かっていました。
今年で3回目となる「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」。
千年の都京都。その南端に位置する伏見より水都大阪へ向けて、陸から水から総勢50名近くがレポーターとして淀川を下り始めていたのです。
新年1発目にお届けする本稿は、淀川流域を参加者自らの手で調査し発信する「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」をレポーターとして参加した紀行文です。

陸上の調査を担当するノルディックウォーキングチーム(左)と、水上の調査を担当するSUPチーム(右)がレポーターとして淀川の今を発信するプロジェクトが「Hi Ship! Project」

「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」の始まり
~川の駅駅長の強かな企み~

そもそもこのプロジェクトは、淀川河口域に位置する大阪から始まりました。
大阪の街中を流れる旧淀川沿いに「川の駅はちけんや」という水辺の拠点があります。
2011年に大阪府より大阪水上安全協会が業務委託を受け管理運営を始めて以降、多くの人々が交流する拠点として名実共に機能を始めたのです。
そこから「にぎわいXing」というチームが生み出されました。
にぎわいXing」とは、「はちけんやに集まり、広がる、ヒト・モノ・コト」をコンセプトに、川の駅はちけんやを拠点に水辺のにぎわい創りを行うチームあり、以下のような大阪の水辺を盛り立てるメンバーにより構成されています。
NPO法人大阪水上安全協会
大阪水上バス株式会社
株式会社ランド・マークジャパン
日本シティサップ協会
一般社団法人全日本ノルディック・ウォーク連盟
株式会社RETOWN
大起水産株式会社
このように多種多様な企業や団体により構成された「にぎわいXing」が変幻自在に活動することで、「川の駅はちけんや」では年中多くの人が行き交い足を止め集う場所となっているのです。

川の駅はちけんやの中には、ノルディックウォーキングの拠点となる「Walking Station」(左上)や、軽食から結婚式の2次会なども楽しめる「Green Cafe」(右上)、今回の「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」の報告内容も展示される展示場(左下)が室内にはあり、屋外では日本シティSUP協会が基点とする雁木(右下)や水上バスなどの発着場がある。

さて、そんな川の駅はちけんやには、若き「駅長」がいらっしゃいます。
今回の「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」プロジェクトリーダーでもあるにぎわいXingスタッフの松本珠貴さんに、プロジェクトスタートの経緯をお聞きしました。

今回のプロジェクトを主催する国土交通省と大阪府より「川の駅はちけんや」の展示室を使って「琵琶湖・淀川水系の情報発信」事業を展開するようにぎわいXingに依頼がありました。
せっかくなので、にぎわいXingにしかできない情報発信を行おうと企画を検討していたところ、ちょうど同じ時期に日本シティSUP協会の奥谷さんより「枚方から八軒家まで漕ぎたい」という要望があり、実際に淀川を漕ぐことによって得られる情報をリアルタイムで発信できるのでは?と考え、漕ぐ行為そのものを情報発信事業に展開するべく、陸上はノルディックウォーキングチームが、水上はSUPチームが同時に淀川流域を大阪へ向けて下ることになりました。
そして、琵琶湖・淀川水系の恩恵を受けている1,718万人の人たちに手を振り挨拶をする「Hi Ship!(手を振る)」という行為をキーアクションにすることでプロジェクトが始動し、今年で3年目となります。

「Hi Ship! Project」プロジェクトリーダーで、にぎわいXingスタッフの松本さん(写真中央)

プロジェクト1年目の2013年では淀川中流域に位置する枚方から下流域の大阪八軒家までの20kmをコースにしたのですが、さらに思いは淀川を遡り2年目の2014年より京都伏見から大阪八軒家までの40kmというコースへと延長し、今年3年目を迎えました。

Hi Ship!プロジェクト

プロジェクトの変遷内容。常に新しいものを取り入れ進化していく大阪ならではのスタイルが見て取れる。

淀川流域
~日本史上最も注目されてきた水辺へ~

さぁ、これより水辺最前線へと降り立つのですが、実際に淀川とはどんな水辺なのでしょうか。

淀川流域の河岸位置図(左)、琵琶湖湖畔の膳所城跡より畿内の水瓶である琵琶湖を臨む(右)

淀川は、畿内の水瓶であり日本最大の面積と貯水量を誇る琵琶湖から始まり、瀬田川、宇治川と名前を変え、京都と大阪の県境付近で三重から奈良を流れてくる木津川、そして丹波亀岡から京都嵐山を流れてくる桂川と合流し、大阪平野を西進し大阪の街中へと流れていきます。

琵琶湖の南端より始まる瀬田川。
南郷洗堰より北側は近隣大学スプリントカヌー部の練習場や、住民の釣りの場として機能、河川敷はサイクリングやジョギングのコースに(左)
南郷洗堰より南側は大河川の上流部のように川へのアクセスルートは地形的に制限され流れは急流へと姿を変え宇治へと流れる。ラフティングツアーなども行われる瀬田川(右)

京都と大阪という今も昔も多様な人々が行き交い住まう大都市同士を結ぶ川で、淀川以上のものは日本にはないでしょう。平時のときは洗濯や水汲み、漁など日常生活の延長で、また水の道として利用され、一方戦時においては天下分け目の大戦の火蓋が切られる場所となり、そして敗者の血が流れ去く場所となりました。そのため歴史も深く日本史上最も注目されてきた水辺と言えるでしょう。
少しだけその歴史を遡ってみます。
その昔、淀川水系の流れと共に上流から運ばれてくる土砂により、河内潟という浅い大きな湾が徐々に埋められ島々が形成され、現在の大阪のルーツとなる浪速(難波)が浮上してきました。両岸に挟まれた美しい河口であった難波という水辺は瀬戸内海の東端に位置し、国内だけでなく朝鮮からの移民も多く流れ着き活気ある難波津という大和政権の玄関口となっていきます。

淀川本流、大阪の北側から見た現在の大阪(左)、難波に置かれた都のシンボルとなる6世紀末に造立された四天王寺(右)

朝鮮から渡来した人々が伝えた仏教に続き政治機能も徐々に淀川を遡り、8世紀末に平安京という都に凝縮。ここから首都平安京と港湾都市難波との直接的な往来が多くの人々により淀川水系を通じて行われてきたのでしょう。そして大坂を拠点とした太閤秀吉の時代を経て、江戸時代に淀川が幹線として完成します。
江戸時代に大坂の水辺の拠点となった場所が、今回のプロジェクトのゴールとなる川の駅はちけんやが位置する八軒家浜です。そこから京の都までは朝早くに三十石船という長さ約17mの客船に乗り込み、淀川を遡り夕刻には京都の南端の伏見港に到着したようです。
その伏見港が今回のプロジェクトのスタート地点。
ここから北へ開削された高瀬川を高瀬舟に乗り換えて遡ると京都の中心へと入っていくのですが、その機会はまた次回にして、パドルを持ちここ伏見から川の流れに身を委ね現在の大阪へと漕ぎ出します。

伏見から京都へと開削された高瀬川(左)、高瀬舟などの活躍により繁華街となった京都先斗町(右)

旅の始まり
~伏見港から宇治川へ~

京都伏見。
この港町の酒屋の軒先にて吊るされた杉玉が、人々が水運と治水という水と向き合ってきた歴史を象徴しています。
戦国時代末期に淀川の中流域である宇治川の改修と伏見城下確立を受け大坂~伏見間が、次いで江戸時代に嵯峨の豪商角倉氏の手で開削された高瀬川により伏見~京都間が定期航路となり、大坂~京都間が淀川水系を通じて結ばれました。
明治時代に琵琶湖から京都へ直接運河を通す琵琶湖疏水が産み出され、その下流部分となる伏見周辺に至るまでインクラインや閘門などが建設されました。その影響で宇治川本流へと流れ出る伏見の三栖に閘門が設置され、現在は伏見港公園として保存され三栖閘門もその中に眠っています。

坂本龍馬の定宿である寺田屋のすぐ表に位置する伏見港(左)、京都内から南下する運河群の出口に設置された三栖閘門(右)

その三栖閘門前が今回淀川縦断という旅の始まり。
朝7時、続々と参加者が集まってきました。
これから陸路はノルディックウォーキングチーム、水路はSUPチームとに分かれ、淀川流域を「Hi Ship!(手を振る)」しながら淀川を散策し発信するレポーターとして大阪を目指していきます。

スタート前にノルディックチーム主導での準備体操。身体のどの部分を使用するのかきちんと考えられたストレッチであるため、非常に勉強になる。

空気膨張式のボードを膨らまし、ノルディックウォーキングチームを見送ると、我々水上チームは宇治川へと浮かび始めます。

スタート地点すぐ前を流れる宇治川。河川の増水の程度により河川敷が消失し出発が困難なこともあるとか(左)、
三栖閘門の華麗な門扉を背にして宇治川へ浮かびだすレポーターたち(右)

さて、浮かんで早々上流から下流へ向かって流れがあります。
なにぶん大河の中流域。下っていくのは楽なのですが、いきなり難所が待ち構えております。
流れが激しい河川上流部や潮流の影響を受けやすい海峡など一定方向から水流がある場所では、瀬という流れが速い場所、そして瀞という流れが穏やかな場所が生まれます。
同じ川でも通る場所によっては瀬と瀞の組み合わせにより難易度が異なるため、水の微妙な変化を目先を捉えながらコースを選んでいくことが大切です。

前回のプロジェクトの際は、河川増水のため落水者続出した宇治川の瀬。ざわめく水面に慎重に対応していくレポーター。

無事に瀬を抜けると、宇治川は穏やかに我々を運んでくれます。
一昔前、宇治川は暴れ川として猛威を振るってきました。
治水を重ねるにあたり、古来よりこの周辺に存在していた巨椋池という大きな水域を埋立、かつ本来の宇治川の流れを挿げ替えて現在の宇治川から淀川へと名前が変わる淀という一帯が成り立っています。

江戸時代の京都(左手)から伏見(中央)、現在は治水埋立により消失した巨椋池と三川合流が描かれている。山城国天保国絵図より抜粋。

ところで、旅というと荷物が必要です。電車や車で移動するならば大荷物でも問題ありませんが、水路を自らA地点からB地点まで異なる水辺まで移動するとなると頭を悩ませます。
1週間分の荷物を積載できると言われるシーカヤックで水路や海の旅をたまにしてきた私ですが、荷室皆無のSUPで40kmもの行程を漕ぐことは初めて。
さて何を準備していけばいいのかと試行錯誤して東京から京都まで持参した結果、このように大荷物となってしまいました。

ライフジャケット(PFD)着用後、背中に貴重品や着替えなどを入れた防水ザックと滋賀県南郷にて入れた水道水3リットルを背負う。ボードの上にはすぐ使用する可能性がある防寒着や行動食を入れた防水バッグ、ボードを膨らますポンプやボードバッグ、そしてヘルメットと準備万端の状態で臨むも、その半分も使用せずに大阪まで到達することに…

私が背負った防水リュックのベルトが荷物の重さで肩に食い込み身動きがあまり取れない中、みなさんはゆったりと流れに身を委ねてスイスイと進んでいきます。こうして宇治川に架かる橋がいくつか見える場所までやってきました。

宇治川に多くの橋が架けられている。赤い京阪本線の鉄橋の向こうには高速道路が架橋
他の方と比較すると自らが持参した荷物の多さに気がつくわけですが、これもまた旅の醍醐味、ということで。

ここまで、この宇治川では人っ子一人見当たりません。そのため「Hi Ship!」回数ゼロという状況。
やはり大河の中流域では河岸や川沿いの散歩道やサイクリングロードが整備されていなければ人気はありません。唯一出会えるとしたら、釣り糸を垂れている釣り人でしょうか。ただ、釣りに没頭しているためアクション次第では怒られることになるので注意。
そのため橋周辺が唯一誰かに会える可能性が少しは出てくるのでしょうが、さてこれからどれだけ「Hi Ship!」できるのでしょうか。

京阪本線の鉄橋を潜る。やはり水上から見る電車の鉄橋は美しい。

圧巻の三川合流、そして淀川へ
~山崎から枚方~

京阪本線と京滋バイパスの架橋を抜けると、宇治川は左岸に男山、そして右岸に天王山ゆったりと鎮座するなだらかな渓谷の中を進むことになります。
この周辺位置する山崎や淀も交通の要衝として発展しましたが、現在では古戦場跡としてのほうが有名。
要衝ほど権力者が欲し、そのため多くの血が流れ、その多くが水辺に位置しているのです。
そのまま歴史の中をゆっくりと流れていくと面白い景色が見えてきます。

高速道路の架橋を潜ると宇治川に汚水が流れ込み嗅覚が一時麻痺する(左上)、旧京阪国道の脇から宇治川に降りられるためカヌーの老舗アオキカヌーワークスの淀川ツアーが展開されている模様(右上)、山々の間を流れる宇治川に身を委ね最後尾から歴史を眺める(下)

なだらかな渓谷を抜けると、景色が徐々に開けてきました。
ここは、三川合流地点。
つまり、この宇治川に南からは木津川、次いで北から桂川が合流する川の結節点です。
木津川を遡ると奈良の北で東へ折れ三重県が源流。一方、桂川は京都嵐山より保津峡を遡り亀岡から丹後へと向かいます。
この周辺の淀津(与渡津)と言われた港も、各河川に合わせた舟の往来で栄えたのだろうと思いに耽るのも束の間、3つの異なる流れが合流するので流れが乱れバランスを崩す恐れがあるので、再び慎重に流れを見つめましょうか。

写真左手奥から木津川、右手奥から桂川が宇治川へと流れ込む三川合流は圧巻(上)、木津川を遡ると泉木津を経て東大寺を代表する古都奈良へと繋がる(左下)、桂川を遡ると京都の西を通り嵐山から保津川となり、ラフティングの場や保津川下りができる(右下)

三川を呑みこみ淀川と名を変えた大河をこれから下流へと漕ぎ進めていきます。
大河となり流れが緩やかになるのと比例し川幅が広くなり、大きな中洲が幾つか産み出されてきます。

中洲出現のためコース取りを誤ると浅瀬で行き止まりとなるちょっとした迷路となる淀川(左)、中洲などを上手く利用することで半閉鎖的空間な釣り場も出現(右)

淀川に多くの小さな支流が導かれるにつれ、河川敷や川岸周辺にはいくつか施設が目立つ景色となってきました。そして中継地点の枚方が姿を現します。

川幅が大きく広がった淀川に架かる京阪間の要所「枚方大橋」が見え少し安堵する。ここで休憩。

淀川最前線
~枚方から大阪毛馬~

江戸時代の淀川流域枚方周辺の位置図。図右下が大坂方面。摂津国および河内国天保国絵図より抜粋。

この旅の昼休憩する場所は、ちょうど淀川水運の中継港として、そして京街道の宿場町として栄えた枚方。
ここで陸上のノルディックチームと合流します。
江戸時代に30名近い乗客を載せた三十石船がこの枚方周辺に至ると、「餅くらわんか~」と食べ物を売りに漕ぎ寄せるくらわんか舟が行き交じったそうで、彼らに倣って我々もここで昼食としましょう。
枚方の河岸にて荷物を降ろし強張った身体を伸ばして、広い河岸で美味しいお弁当を頬張ります。

枚方での休憩。階段護岸があり上陸しやすい環境で、大阪~枚方を結ぶ定期航路の船着場もある(左)。
枚方の街中への入り口。宿場町として栄えた町並みを鍵屋資料館など一部保存している(右)

北東寄り追い風で曇天という非常に漕ぎやすい天候に恵まれた午前中と異なり、午後太陽が現れるにつれ南西寄りの向かい風となる天気予報。流れが非常に緩やかになる淀川下流域の後半戦が難所となると予想していましたが、未だ天候は少し肌寒い曇天。風が変わる前に枚方を発ちます。

枚方出発。後半戦残り約20kmに臨むレポーターたち。

午前より18kmちょっとを漕ぎ1時間の休憩を経て後半戦へと臨みますが、後半戦淀川は協力な助っ人たちが参戦してくれます。
水上チームをまとめる日本シティSUP協会の奥谷さんが教鞭をとる専門学校の学生たちが、数人乗りが可能なSUPに乗って大阪はちけんやまで三十石船にも負けない若き力で先頭を牽引してくれます。
そして何より有難いことに大坂八軒家からサポート船の登場です。デッキが平たく安定した造りの三胴船は、SUPでの旅には最適な援軍です。
こうして私含め荷物をサポート船に預けた水上チームは、余裕持ってHi Ship!できます。

多くの家族や子供達が憩う枚方の河川敷にHi Ship!(手を振る)参加者たち。

荷物を預けたことで非常に身軽になり解き放たれた私は、レポーターたちと一緒に淀川を五感全部を使って調査を開始。
草木生い茂る川辺ギリギリを漕ぐと眼下には多種な魚が蠢く淀川に、漕いで熱く火照った身体を冷やすべく飛び込む。水の味は意外と臭みなく塩分少ないもので、ちょっと泳いだみたり、縦横無尽に淀川を堪能するのです。これが私の調査方法。

yodogawa

淀川川辺での生物調査、SUPは自分のペースで上から観察できるのでいろいろな生き物が蠢くのがよく観察できる(左上)。後半戦から参加した数人乗りのSUPに乗った学生たちと交流(右上)。漕ぎ方のレクチャーや撮影などレポーターは思い思いに淀川を調査する(下)。

たっぷり水遊びをしていると、水上チーム最前線が遠く彼方になってしまいました。
そういえばミズベリング世界会議との中継が始まる頃だと、ふと思い出す私。当日大阪で開催されていたミズベリング世界会議の会場と中継で「Hi Ship! Project」の模様をお伝えするというイベントがあったのですが、担当していたのは2馬力エンジンのゴムボートで水上チームを牽引している先頭の奥谷さん。
最前線まで全力で漕ぎ無事中継放送に間に合い、若者2人で水上JUMPを披露し、会議に一花添えました。

気づくと、淀川流域はガラリと都会の薫り。
淀川上空には大阪モノレールや伊丹空港から飛び立つ飛行機、阪神淡路大震災後に造られた防災桟橋が徐々に見え隠れする川辺。水上バイクや枚方から大阪までを結ぶ観光船が往来し水上の交通量も多くなってきたようですが、大都市大阪の陸上交通の音からは少し遠いからか非常に居心地がいい淀川下流域を流れて去きます。
もうすぐ水都大阪の入り口、毛馬が見えてきます。

淀川に架かる貨物列車専用の鉄橋。もうすぐ大阪の入り口だ。

帰還。水都大阪へ
~毛馬閘門から八軒屋浜~

江戸時代の大坂の位置図。いくつもの洲により構成されていることが分かる。
図左上が枚方方面。摂津国天保国絵図より抜粋。

今も昔も水辺から成る大都市はその土地柄「水」という事象に左右されてきました。水運で発展する一方、裏には水害が否応なしに潜んでいるのが水辺から成る大都市。そのどちらも影響を受けやすい大都市がこの大阪でしょうか。
海抜ゼロメートル地帯という海より低い都市であり、幾度と無く水害に悩まされてきた大阪が採った予防策の1つが、防潮堤や堤防などで水害による越水や浸水を防ぐという手法です。
このため、淀川を下り大阪の北側までやってくると、まるで中国の王城のように囲まれた都市であるということが理解できます。

淀川本流から毛馬閘門を目指すレポーターたち。大阪を北から眺めると水の中に佇む王城のような都市であることが分かる。

ただどんな王城も門がないと出入りができません。
そこで、水位差を是正しながら通船が可能な閘門が毛馬には設置されています。
それが淀川と大阪街中を流れる旧淀川(大川)を繋げる毛馬閘門ですが、手漕ぎで通過できるのは1年の間でこの「Hi Ship! Project」のみ。そのため非常に貴重な体験です。
普段船舶しか通航しない閘室でもバラバラにならず安全に体制を取るため、水上チームは閘室へと漕ぎ出す前の休憩で、閘室待機フォーメーションを練習します。

最後の休憩で、閘室内でのフォーメーションの練習をするレポーターたち。

一息ついて、いざ毛馬閘門の閘室へと漕ぎ出していきます。

毛馬閘門へ

毛馬閘門入室前。ローラーゲート式の門扉にはご丁寧に閘門とふりがなで書いてあり読みやすい限り。
青信号なので入室可能のため続々と閘室へ向けて漕ぎ出す。

閘門が通れるとのことで、全国の閘門だけでなく世界中の閘門を漕破したい野望を募らせる私は、興奮のあまりずっと閘門の話をだらだら話す中、水上チームは待機フォーメーションへと移ります。

閘室待機

閘室の中へと進入。フォーメーションを取るレポーターたち。

今まで漕いで下ってきた淀川よりも、この閘門の先から始まる大川は1段低い位置にあるのです。
通航の際この水位差を是正するため、この「水のエレベーター」に乗りこみ、1つ下の階「水都大阪」へと移っていきます。
漕いで潜ってきた門扉が閉まり、水位が下がってきました。水上チームは大盛りあがり!

閘門開門

水位が下がった閘室で門扉が開くのを待つレポーターたち

水位の動きが止まり、目の前の重い門扉が上に開いていき、扉の下から光が。
大量の水が滴り落ちる扉の先には水都大阪が待ち構えています。
閘門の先に待っているのは常に水辺の新世界なのです。
さぁ、大阪の街中を流れる大川に乗り、ゴールの八軒屋浜を目指しましょう。

旧淀川ハイシップ16

大川でのHi Ship!風景。船団で八軒屋へと向かう。10月に行ったため徐々に桜の葉が赤く色づいていくのが印象的。

流石に街中だけあって、多くの人が水辺に集い行き交います。SUPが船団で大川を下るのを目撃した人々は足を止め、我々を通じて川面へと目を向けるのです。子供は我々よりも先に手を振り、お互い挨拶を交わす。そんなありふれた光景に懐かしさを覚えるそんな企画です。

JRの環状線に向かってHi Ship!をするレポーター(左)、帝国ホテルの前で船から下りてきた乗客に挨拶をするレポーター(右)

小さな造船所が残る毛馬から南下し、人工の浜がある桜ノ宮を通り、徐々に通航量が多くなる船舶たちを眺めながら西へ進むと、八軒屋浜近くに架かる天満橋が見てきました。

ゴール前16

天満橋の先に八軒屋浜の後背地「大阪キャッスルホテル」が見える。

こうして八軒屋浜に上陸し、無事水上チームはゴール。淀川流域をノルディックウォーキングで調査してきた陸上チームと合流し、無事に調査終了です。
伏見より漕いだ距離は40km近く。漕いだ時間は7時間半と、江戸時代に半日で下ったという客船三十石船と同じペースではないでしょうか。
ただし、今回はただ漕ぐことが目的ではありません。自分の力で淀川流域を調査するというインプット後、イベントのために用意された「調査報告書」で自ら五感で得た情報をアウトプットするという行程を経て、各々の調査報告書が展示されるのです。

上陸後、最後の力を振り絞り調査報告書を書くレポーター(左)、前回のプロジェクトの調査内容をマッピングした淀川のリバーMAP(右)、今季の「Hi ship!project調査報告展」は、2015年11月21日~2016年1月11日。

このように1つ1つのアクションが数珠繋ぎのように連携して1つの大きなうねりとなって次のアクションを産み出して行くのがタイムリーに実感できる街がこの水辺の街・大阪です。
その夜、川の駅はちけんや前の雁木にて行われたプロジェクトの打ち上げで「にぎわいXing」のキーマンたちとの交流の中で、

最初は自分たちや自分のお客さんのために活動していた。
でも今は大阪のために自ら何ができるのかを考えてアクションを起こしている。それがこうしてお
もろいように上手く繋がっていっているんだ。

と同時に皆さん話されていたことが、今回のプロジェクトで最も印象的だったことです。
このしっかりとした土台の上に自ら萌芽していくように若者が活躍できる環境が、まさに淀川の力により浪速が産み出されたようで、これが本来の水辺のあり方なのだと深く理解しました。
次回のHi Ship! Projectもどう進化していくか、目が離せませんよ!

大阪訪問の際、まずはにぎわいXingが活動する川の駅はちけんやに足を運んでみましょう。きっと皆さんが求める水辺が見つかるはずです。

川の駅はちけんやアクセス
〒540-0031 大阪府大阪市中央区北浜東1-2
地下鉄谷町線 天満橋駅 徒歩2分
京阪本線 天満橋駅 徒歩2分

ハイシップ~八軒家16

ゴール地点である川の駅はちけんや前での集合写真。約40kmを自らの身体で漕ぎきったレポーターたちは素晴らしい表情。
ポーズは「ハイシップ~」で撮影する。

この記事を書いた人

水主(櫓や櫂による舟の漕ぎ手・「かこ」と呼びます)

NPO法人 横浜シーフレンズ理事(日本レクリエーショナルカヌー協会公認校)
帆船日本丸記念財団シーカヤックインストラクター
水辺荘アドバイザー
横浜市カヌー協会理事

糸井 孔帥

東京海洋大学大学院(海洋科学)在学中に、東京や横浜で海や港のフィールドワークをシーカヤックを通して学ぶ間に街中の水辺の魅力に引き込まれ現在に至ります。 大都市の水辺は、多くの旅人が行き交い賑わう場所で、また自然と対峙するアウトドアでもあります。 水辺をよく知ることが、町や歴史や国を知り旅の深みを増す契機となり、 また水辺の経験により自己を顧みる機会となります。 日本各地において水辺の最前線で活動しているプレーヤーの紹介を通して、水辺からの観光、地元の新たな魅力、 水辺のアウトドアスポットに触れる機会を作っていきたいです。 シーカヤックインストラクター(日本レクリエーショナルカヌー協会シーシニア)、一級小型船舶操縦士、自然体験活動指導者(NEALリーダー)。趣味は、シーカヤック・SUP(スタンドアップパドルボード)スキンダイビング・シュノーケリング・水中ホッケー・カヌーポロ・ドラゴンボート、そして島巡り旅。

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