2016.01.07 Thu

淀川縦断40km!SUPレポーターが行く

淀川縦断40km!SUPレポーターが行く

陸から水から淀川を下り調査するHi ship! Projectに参加。
(船体バナーは初回プロジェクト時のものを使用しているため20kmと表記されていますが、今回は40kmとなります。)

ミズベリングは会議室だけに収まらず!
陸から水から淀川流域を自らの力で発信するHi ship! Project

淀川縦断40km!SUPレポーターが行く

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 あけましておめでとうございます。
 新年始まり、今年も何処の水辺を旅しようか初詣しながら考えている水主の糸井でございます。
 昨年、私は例年に増して水辺を旅してきましたが、その秋に私の宿願が1つ叶いました。

 毎年秋に大阪にて開催される水都大阪2015。その終章にミズベリング世界会議が開催され大阪を盛り上げていたことは記憶に新しいと思います。
 ちょうどその最中の10月10日、私は淀川流域で行われたあるプロジェクトに参加しながら大阪へ向かっていました。
 今年で3回目となる「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」。
 千年の都京都。その南端に位置する伏見より水都大阪へ向けて、陸から水から総勢50名近くがレポーターとして淀川を下り始めていたのです。
 新年1発目にお届けする本稿は、淀川流域を参加者自らの手で調査し発信する「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」をレポーターとして参加した紀行文です。


陸上の調査を担当するノルディックウォーキングチーム(左)と、水上の調査を担当するSUPチーム(右)がレポーターとして淀川の今を発信するプロジェクトが「Hi Ship! Project」

「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」の始まり
~川の駅駅長の強かな企み~

 
 そもそもこのプロジェクトは、淀川河口域に位置する大阪から始まりました。
 大阪の街中を流れる旧淀川沿いに「川の駅はちけんや」という水辺の拠点があります。
 2011年に大阪府より大阪水上安全協会が業務委託を受け管理運営を始めて以降、多くの人々が交流する拠点として名実共に機能を始めたのです。
 そこから「にぎわいXing」というチームが生み出されました。
 「にぎわいXing」とは、「はちけんやに集まり、広がる、ヒト・モノ・コト」をコンセプトに、川の駅はちけんやを拠点に水辺のにぎわい創りを行うチームあり、以下のような大阪の水辺を盛り立てるメンバーにより構成されています。
NPO法人大阪水上安全協会
大阪水上バス株式会社
株式会社ランド・マークジャパン
日本シティサップ協会
一般社団法人全日本ノルディック・ウォーク連盟
株式会社RETOWN
大起水産株式会社
 このように多種多様な企業や団体により構成された「にぎわいXing」が変幻自在に活動することで、「川の駅はちけんや」では年中多くの人が行き交い足を止め集う場所となっているのです。



川の駅はちけんやの中には、ノルディックウォーキングの拠点となる「Walking Station」(左上)や、軽食から結婚式の2次会なども楽しめる「Green Cafe」(右上)、今回の「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」の報告内容も展示される展示場(左下)が室内にはあり、屋外では日本シティSUP協会が基点とする雁木(右下)や水上バスなどの発着場がある。

 さて、そんな川の駅はちけんやには、若き「駅長」がいらっしゃいます。
 今回の「Hi ship! Project ~1,718万人と手を振ろう~」プロジェクトリーダーでもあるにぎわいXingスタッフの松本珠貴さんに、プロジェクトスタートの経緯をお聞きしました。

 今回のプロジェクトを主催する国土交通省と大阪府より「川の駅はちけんや」の展示室を使って「琵琶湖・淀川水系の情報発信」事業を展開するようにぎわいXingに依頼がありました。
 せっかくなので、にぎわいXingにしかできない情報発信を行おうと企画を検討していたところ、ちょうど同じ時期に日本シティSUP協会の奥谷さんより「枚方から八軒家まで漕ぎたい」という要望があり、実際に淀川を漕ぐことによって得られる情報をリアルタイムで発信できるのでは?と考え、漕ぐ行為そのものを情報発信事業に展開するべく、陸上はノルディックウォーキングチームが、水上はSUPチームが同時に淀川流域を大阪へ向けて下ることになりました。
 そして、琵琶湖・淀川水系の恩恵を受けている1,718万人の人たちに手を振り挨拶をする「Hi Ship!(手を振る)」という行為をキーアクションにすることでプロジェクトが始動し、今年で3年目となります。

主催者挨拶
「Hi Ship! Project」プロジェクトリーダーで、にぎわいXingスタッフの松本さん(写真中央)

 プロジェクト1年目の2013年では淀川中流域に位置する枚方から下流域の大阪八軒家までの20kmをコースにしたのですが、さらに思いは淀川を遡り2年目の2014年より京都伏見から大阪八軒家までの40kmというコースへと延長し、今年3年目を迎えました。
Hi Ship!プロジェクト
プロジェクトの変遷内容。常に新しいものを取り入れ進化していく大阪ならではのスタイルが見て取れる。

淀川流域
~日本史上最も注目されてきた水辺へ~

 
 さぁ、これより水辺最前線へと降り立つのですが、実際に淀川とはどんな水辺なのでしょうか。


淀川流域の河岸位置図(左)、琵琶湖湖畔の膳所城跡より畿内の水瓶である琵琶湖を臨む(右)

 淀川は、畿内の水瓶であり日本最大の面積と貯水量を誇る琵琶湖から始まり、瀬田川、宇治川と名前を変え、京都と大阪の県境付近で三重から奈良を流れてくる木津川、そして丹波亀岡から京都嵐山を流れてくる桂川と合流し、大阪平野を西進し大阪の街中へと流れていきます。


琵琶湖の南端より始まる瀬田川。
南郷洗堰より北側は近隣大学スプリントカヌー部の練習場や、住民の釣りの場として機能、河川敷はサイクリングやジョギングのコースに(左)
南郷洗堰より南側は大河川の上流部のように川へのアクセスルートは地形的に制限され流れは急流へと姿を変え宇治へと流れる。ラフティングツアーなども行われる瀬田川(右)

 京都と大阪という今も昔も多様な人々が行き交い住まう大都市同士を結ぶ川で、淀川以上のものは日本にはないでしょう。平時のときは洗濯や水汲み、漁など日常生活の延長で、また水の道として利用され、一方戦時においては天下分け目の大戦の火蓋が切られる場所となり、そして敗者の血が流れ去く場所となりました。そのため歴史も深く日本史上最も注目されてきた水辺と言えるでしょう。
 少しだけその歴史を遡ってみます。
 その昔、淀川水系の流れと共に上流から運ばれてくる土砂により、河内潟という浅い大きな湾が徐々に埋められ島々が形成され、現在の大阪のルーツとなる浪速(難波)が浮上してきました。両岸に挟まれた美しい河口であった難波という水辺は瀬戸内海の東端に位置し、国内だけでなく朝鮮からの移民も多く流れ着き活気ある難波津という大和政権の玄関口となっていきます。


淀川本流、大阪の北側から見た現在の大阪(左)、難波に置かれた都のシンボルとなる6世紀末に造立された四天王寺(右)

 朝鮮から渡来した人々が伝えた仏教に続き政治機能も徐々に淀川を遡り、8世紀末に平安京という都に凝縮。ここから首都平安京と港湾都市難波との直接的な往来が多くの人々により淀川水系を通じて行われてきたのでしょう。そして大坂を拠点とした太閤秀吉の時代を経て、江戸時代に淀川が幹線として完成します。
 江戸時代に大坂の水辺の拠点となった場所が、今回のプロジェクトのゴールとなる川の駅はちけんやが位置する八軒家浜です。そこから京の都までは朝早くに三十石船という長さ約17mの客船に乗り込み、淀川を遡り夕刻には京都の南端の伏見港に到着したようです。
 その伏見港が今回のプロジェクトのスタート地点。
 ここから北へ開削された高瀬川を高瀬舟に乗り換えて遡ると京都の中心へと入っていくのですが、その機会はまた次回にして、パドルを持ちここ伏見から川の流れに身を委ね現在の大阪へと漕ぎ出します。


伏見から京都へと開削された高瀬川(左)、高瀬舟などの活躍により繁華街となった京都先斗町(右)

旅の始まり
~伏見港から宇治川へ~

 
 京都伏見。
 この港町の酒屋の軒先にて吊るされた杉玉が、人々が水運と治水という水と向き合ってきた歴史を象徴しています。
 戦国時代末期に淀川の中流域である宇治川の改修と伏見城下確立を受け大坂~伏見間が、次いで江戸時代に嵯峨の豪商角倉氏の手で開削された高瀬川により伏見~京都間が定期航路となり、大坂~京都間が淀川水系を通じて結ばれました。
 明治時代に琵琶湖から京都へ直接運河を通す琵琶湖疏水が産み出され、その下流部分となる伏見周辺に至るまでインクラインや閘門などが建設されました。その影響で宇治川本流へと流れ出る伏見の三栖に閘門が設置され、現在は伏見港公園として保存され三栖閘門もその中に眠っています。


坂本龍馬の定宿である寺田屋のすぐ表に位置する伏見港(左)、京都内から南下する運河群の出口に設置された三栖閘門(右)

 その三栖閘門前が今回淀川縦断という旅の始まり。
 朝7時、続々と参加者が集まってきました。
 これから陸路はノルディックウォーキングチーム、水路はSUPチームとに分かれ、淀川流域を「Hi Ship!(手を振る)」しながら淀川を散策し発信するレポーターとして大阪を目指していきます。
準備運動16
スタート前にノルディックチーム主導での準備体操。身体のどの部分を使用するのかきちんと考えられたストレッチであるため、非常に勉強になる。
 空気膨張式のボードを膨らまし、ノルディックウォーキングチームを見送ると、我々水上チームは宇治川へと浮かび始めます。


スタート地点すぐ前を流れる宇治川。河川の増水の程度により河川敷が消失し出発が困難なこともあるとか(左)、
三栖閘門の華麗な門扉を背にして宇治川へ浮かびだすレポーターたち(右)

 さて、浮かんで早々上流から下流へ向かって流れがあります。
 なにぶん大河の中流域。下っていくのは楽なのですが、いきなり難所が待ち構えております。
 流れが激しい河川上流部や潮流の影響を受けやすい海峡など一定方向から水流がある場所では、瀬という流れが速い場所、そして瀞という流れが穏やかな場所が生まれます。
 同じ川でも通る場所によっては瀬と瀞の組み合わせにより難易度が異なるため、水の微妙な変化を目先を捉えながらコースを選んでいくことが大切です。

最初の瀬16
前回のプロジェクトの際は、河川増水のため落水者続出した宇治川の瀬。ざわめく水面に慎重に対応していくレポーター。

 無事に瀬を抜けると、宇治川は穏やかに我々を運んでくれます。
 一昔前、宇治川は暴れ川として猛威を振るってきました。
 治水を重ねるにあたり、古来よりこの周辺に存在していた巨椋池という大きな水域を埋立、かつ本来の宇治川の流れを挿げ替えて現在の宇治川から淀川へと名前が変わる淀という一帯が成り立っています。

山城国天保国絵図_Fotor
江戸時代の京都(左手)から伏見(中央)、現在は治水埋立により消失した巨椋池と三川合流が描かれている。山城国天保国絵図より抜粋。

 ところで、旅というと荷物が必要です。電車や車で移動するならば大荷物でも問題ありませんが、水路を自らA地点からB地点まで異なる水辺まで移動するとなると頭を悩ませます。
 1週間分の荷物を積載できると言われるシーカヤックで水路や海の旅をたまにしてきた私ですが、荷室皆無のSUPで40kmもの行程を漕ぐことは初めて。
 さて何を準備していけばいいのかと試行錯誤して東京から京都まで持参した結果、このように大荷物となってしまいました。
糸井写真16
ライフジャケット(PFD)着用後、背中に貴重品や着替えなどを入れた防水ザックと滋賀県南郷にて入れた水道水3リットルを背負う。ボードの上にはすぐ使用する可能性がある防寒着や行動食を入れた防水バッグ、ボードを膨らますポンプやボードバッグ、そしてヘルメットと準備万端の状態で臨むも、その半分も使用せずに大阪まで到達することに…
 私が背負った防水リュックのベルトが荷物の重さで肩に食い込み身動きがあまり取れない中、みなさんはゆったりと流れに身を委ねてスイスイと進んでいきます。こうして宇治川に架かる橋がいくつか見える場所までやってきました。
最初の橋
宇治川に多くの橋が架けられている。赤い京阪本線の鉄橋の向こうには高速道路が架橋
他の方と比較すると自らが持参した荷物の多さに気がつくわけですが、これもまた旅の醍醐味、ということで。

 ここまで、この宇治川では人っ子一人見当たりません。そのため「Hi Ship!」回数ゼロという状況。
 やはり大河の中流域では河岸や川沿いの散歩道やサイクリングロードが整備されていなければ人気はありません。唯一出会えるとしたら、釣り糸を垂れている釣り人でしょうか。ただ、釣りに没頭しているためアクション次第では怒られることになるので注意。
 そのため橋周辺が唯一誰かに会える可能性が少しは出てくるのでしょうが、さてこれからどれだけ「Hi Ship!」できるのでしょうか。
電車橋脚16
京阪本線の鉄橋を潜る。やはり水上から見る電車の鉄橋は美しい。

圧巻の三川合流、そして淀川へ
~山崎から枚方~

 京阪本線と京滋バイパスの架橋を抜けると、宇治川は左岸に男山、そして右岸に天王山ゆったりと鎮座するなだらかな渓谷の中を進むことになります。
 この周辺位置する山崎や淀も交通の要衝として発展しましたが、現在では古戦場跡としてのほうが有名。
 要衝ほど権力者が欲し、そのため多くの血が流れ、その多くが水辺に位置しているのです。
 そのまま歴史の中をゆっくりと流れていくと面白い景色が見えてきます。


最後尾16
高速道路の架橋を潜ると宇治川に汚水が流れ込み嗅覚が一時麻痺する(左上)、旧京阪国道の脇から宇治川に降りられるためカヌーの老舗アオキカヌーワークスの淀川ツアーが展開されている模様(右上)、山々の間を流れる宇治川に身を委ね最後尾から歴史を眺める(下)

 なだらかな渓谷を抜けると、景色が徐々に開けてきました。
 ここは、三川合流地点。
 つまり、この宇治川に南からは木津川、次いで北から桂川が合流する川の結節点です。
 木津川を遡ると奈良の北で東へ折れ三重県が源流。一方、桂川は京都嵐山より保津峡を遡り亀岡から丹後へと向かいます。
 この周辺の淀津(与渡津)と言われた港も、各河川に合わせた舟の往来で栄えたのだろうと思いに耽るのも束の間、3つの異なる流れが合流するので流れが乱れバランスを崩す恐れがあるので、再び慎重に流れを見つめましょうか。

三川合流16


写真左手奥から木津川、右手奥から桂川が宇治川へと流れ込む三川合流は圧巻(上)、木津川を遡ると泉木津を経て東大寺を代表する古都奈良へと繋がる(左下)、桂川を遡ると京都の西を通り嵐山から保津川となり、ラフティングの場や保津川下りができる(右下)

 三川を呑みこみ淀川と名を変えた大河をこれから下流へと漕ぎ進めていきます。
 大河となり流れが緩やかになるのと比例し川幅が広くなり、大きな中洲が幾つか産み出されてきます。


中洲出現のためコース取りを誤ると浅瀬で行き止まりとなるちょっとした迷路となる淀川(左)、中洲などを上手く利用することで半閉鎖的空間な釣り場も出現(右)

 淀川に多くの小さな支流が導かれるにつれ、河川敷や川岸周辺にはいくつか施設が目立つ景色となってきました。そして中継地点の枚方が姿を現します。

枚方到着
川幅が大きく広がった淀川に架かる京阪間の要所「枚方大橋」が見え少し安堵する。ここで休憩。

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