2015.03.31

水のない水辺から・・・「暗渠」の愉しみ方」第7回 水のない水辺に残る水ー渋谷川水系ー

暗渠化された渋谷川水系

シリーズ「水のない水辺から・・・「暗渠」の愉しみ方」では、ここ4回にわたって私、高山さん、三土さん、吉村さんと、失われてしまった「水のない川」を追ってきましたが、今回は趣向を変えて「いまもある水」を探ってみましょう。
東京の都心部や山の手を流れていた小川の大部分は、主に関東大震災後の帝都復興期(1920〜30年代)と高度経済成長期(1960年代)という都市の集中・拡大の波の中で、暗渠化されその姿を消してしまいました。そのほとんどは、蓋をされただけではなく下水道に転用されてしまっており、自然河川としての実体は失われています。しかしそんな中でも、暗渠化された川の源のいくつかは、現在でもかろうじて生き残り、かつての東京の水環境の面影を伝えています。今回は渋谷川の水系を例に、そのような”水のない水辺に残る水”をいくつか紹介します。

いまや東京の暗渠化された川の代名詞ともなり、数多くの書籍、テレビ番組、あるいはネット上で目にすることも多い渋谷川。その流れは1960年代半ばにJR渋谷駅以北の上流部が暗渠化されています。また、最大の支流である宇田川の水系など、川に集まっていた支流の数々も、いずれも暗渠化されたり埋め立てられてしまっている状態です。

00_渋谷川暗渠出口

下の地図は渋谷川の水系をプロットしたものです。水色のラインが現在も川として流れている中・下流の区間。青のラインは暗渠化されたかつての川のルートです。なお、赤色のラインは飲用/灌漑用の水路として、玉川上水や三田用水から分水され渋谷川の水系に接続されていた用水路となります(現在はすべて消失)。

さて、地図を眺めてみるとあることに気が付かないでしょうか。新宿区、渋谷区、港区と都会のど真ん中を流れる渋谷川ですが、その流域には公園などのかたちで大小の緑地が残っています。上流から新宿御苑、明治神宮、有栖川宮記念公園、白金自然教育園・・・実はこれらはいずれもかつての渋谷川の水源に位置します。そしてそこには今でも水源となっていた池や湧水が残っています。スペースの都合上すべては紹介できませんが、いくつか代表的なものを見てみましょう。

新宿御苑の池と湧水

まずは渋谷川の本流を遡ってみます。渋谷駅の北側からずっと北に続いている渋谷川の暗渠をさかのぼっていくと、JR千駄ヶ谷駅の北側で新宿御苑に行き着きます。そう、最近ではだいぶ知られてきましたが、渋谷川の源流は新宿御苑なのです。江戸時代、一帯は信州高遠藩内藤家屋敷の敷地で、その南側の境目は、東西にのびる「千駄ヶ谷」と呼ばれる浅い谷戸でした。この谷戸の西端、谷頭に位置する天龍寺境内にあった「弁天池」が、渋谷川のもともとの水源だといわれています。池は明治初期に埋め立てられましたが、内藤家屋敷の敷地が新宿御苑になると、千駄ヶ谷の谷戸には湧水や雨水を集めるいくつかの池がつくられ、それらが渋谷川の水源となりました(さらに御苑の東側では江戸期以来、玉川上水の余水や、余水を利用した庭園「玉川園」内の「玉藻池」からの水も受けていました)。

01_御苑上の池

現在、新宿御苑には千駄ヶ谷の谷戸に「上の池」、日本庭園の池、「中の池」「下の池」が連なっており、いちばん東側の「下の池」から渋谷川が流れだしています。また少し離れた「玉藻池」からも水が流れ出し、暗渠へと落ちています。写真は「下の池」で、手前の小さな堰のようなところで、池からの水が流れ出しています。ここがまさに渋谷川のはじまりの地点です。

02_御苑下の池

「下の池」から渋谷川が流れ出す地点には日本最古の擬木橋(コンクリートで木を模した橋)が架かっています。1905年(明治38年)にフランスから購入され、3人の技師が来日して組み立てた橋の下を潜って、渋谷川のせせらぎが110年前と同じように流れています。

03_御苑渋谷川最上流

橋の下付近では、川底から湧き出す水を確認することができます。下の写真と動画は、2011年の秋のもので、このときは橋の手前、池から川が始まって数mの地点の川底から勢い良く水が湧き出していました。1991年と少し古い調査となりますが、新宿御苑内には5箇所の湧水が確認されています。これらの湧水がどこなのか、そしてすべてが現存しているのかは不明ですが、ここもそのひとつでしょうか。

04_渋谷川湧水

今年2月末に確認した際には、橋の真下、橋の付け根のところからやはりかなりの量の水が湧き出していました。地下水位の上下によって湧出地点はずれるのでしょう。池から流れ出した渋谷川は森のなかを曲がって流れていきますが、起点から僅か数十m先、御苑から出るところで暗渠に吸い込まれていきます。せっかくの水もそのすべては下水へと落ちていってしまい、下流の開渠にその水が届くことはありません。

明治神宮御苑

渋谷川の始まりから南西におよそ1.5km離れたこちらは山手線の原宿駅近く、竹下通りの裏手に平行して通る「ブラームスの小径」。この路地は、かつての渋谷川の支流の暗渠です。

05_原宿暗渠

この小川は、下流部の流れは1960年代半ばに暗渠化されて失われてしまいました。しかし原宿駅の反対側、明治神宮の敷地内に入ると、ちょうど暗渠の延長線上に美しい渓谷が現れます。配置された石こそ人の手によるものですが、谷や川自体はもともと自然にあったものです。そう、さきほどの暗渠の上流部がこの川なのです。

06_神宮渓谷

さらに辿っていくと、最終的に行き着くのは、明治神宮御苑の「清正の井」。数年前、なぜか「パワースポット」として急に注目を浴びることとなった井戸(湧水)が、ブラームスの小径となった暗渠の川の源流です。

07_清正井

井戸は谷戸の谷頭、三方を囲まれた凹地にあり、水が湧き出して流れを作っています。湧水地点には円筒型の木枠がはめられて井戸風になっていますが、実際には横井戸で、木枠の横に穴が開いています。この水は、井戸の北側の台地上にある明治神宮本殿近辺の浅い地下水脈から湧き出す水で。もともとあった谷頭型の湧水に手を加え井戸として整えたと推定されています。

08_清正井遠景

「清正の井」を流れ出した水は谷戸を下っていきます。谷戸の谷底は菖蒲田となっていて、水は田の両側に分かれて流れています。菖蒲を稲に置き換えれば、それはまさにかつての都内の谷戸の風景となります。明治神宮の森は大正時代に人工的に植生されたものですが、この谷戸を囲む「明治神宮御苑」は、そのはるか以前、一帯が加藤家の下屋敷だった江戸初期につくられており、周りの森もここだけは自然林となっています。駅周辺の喧騒から僅か数分の距離に、かつての武蔵野の田園風景が残っているとは、知らなければまったく想像もつかないでしょう。菖蒲田を潤した川は「南池」にいったん注いだ後、さきほどの渓谷となってJR原宿駅下を潜り、暗渠へと至ります。

09_菖蒲田

白金自然教育園

こんどは原宿から南東に3.5kmほど、港区白金付近の、渋谷川の名前が古川と変わる辺りまで下っていきます。こちらにも、渋谷川の支流が暗渠となって痕跡を残しています。この支流は「三田用水白金分水」と呼ばれ、玉川上水の分水である三田用水から更に灌漑用に水を分け、もともとあった自然河川に接続された用水路でした。川は昭和初期に暗渠化され、部分的に残る蛇行した路地にその面影を残すのみです。

10_白金暗渠

この川も、自然河川の源流部は今でも残っています。暗渠を上流方向に少し遡って行くと、目の前に白金自然教育園の森が現れます。その塀の向こう側には、雑木林に囲まれた谷戸の底の湿地に、自然のままのせせらぎが流れています。

11_白金小川

白金自然教育園はJR目黒駅の北東に位置する、国立科学博物館付属の庭園です。隣接の都立庭園美術館とあわせた一帯は室町時代の豪族「白金長者」の館跡といわれており、江戸時代には高松藩松平家下屋敷、明治期には陸海軍弾薬庫となりました。大正時代には火薬庫が廃止されて「白金御料地」に、そして戦後1949年に全域が天然記念物に指定され、国立自然教育園となっています。都心では貴重な武蔵野の自然林が、台地に刻まれた谷戸地形とともに、あえて手入れをほとんどせずにそのまま残されており、谷戸の湧き水から流れ出す小川も、かつての姿のままに流れています。

園内の谷戸は3つに枝分かれしており、西の谷には「水鳥の沼」とそこからの流れ、中央の谷には「ひょうたん池」、そして現在保護地区として立入禁止となっている東の谷には「サンショウウオの沢」が流れています。下の写真はひょうたん池。谷戸の谷頭を堰き止めてつくった池で、自然の湧き水が水源となっています。水は池の底から湧いているといわれています。

12_白金ひょうたん池

こちらは「水鳥の沼」からの小川。「水鳥の沼」は現在では湧水が涸れてしまい地下水をポンプアップして維持していますが、流れ出す小川には途中あちこちから、じわじわと湧水も加わっているようです。

13_白金水鳥の沼からの流れ

二つの池から流れだした水は園中央の池を満たした後、小川となって湿地帯を流れていきます。そして、「サンショウウオの沢」と合流した後、敷地の北側で500年ほど昔につくられた土塁の下をくぐって、外に出ていきます。かつてはそこで白金分水と合流していましたが、今では敷地を出る地点から水は暗渠に入っていきます。写真は右を北にした園内の地図で、北側に弓状に土塁があるのがわかります。敷地の西側に沿って首都高速2号線が走っています。高速は当初この貴重な森を横切って通る予定でしたが、関係者の努力により白金の森と湧水は守られ、生き残りました。

14_教育園案内図

谷戸と屋敷

さて、ここまで取り上げた3つの湧水に共通するのは、谷戸地形につくられた江戸時代の大名屋敷跡に残された湧水だということです。江戸時代、江戸城から少し離れた郊外には、各大名の下屋敷が点在していました。屋敷の多くは谷戸の地形を取り込み、そこに湧く湧水や小川を利用して池のある庭園を有していました。明治に入るとこれらの屋敷は皇族や財界人の邸宅などになりました。その中のいくつかが現代まで生き残ったというわけです。
紹介した3ヶ所の水源の他にも、根津美術館の湧水池、鍋島松濤公園の池、有栖川宮記念公園の湧水、聚八芳園の池など、渋谷川の流域にはそのような経緯で生き残ってきた水源がいくつかあります。それらを含め、残った水環境と地形との関連が判るようにプロットしたのが下の段彩図です。1枚目は渋谷川上流部や宇田川の流域、2枚目は渋谷川中下流部。「谷戸」地形のどんずまり(谷頭)に水辺が残されているのがわかると思います

段彩図1
段彩図2

そして、地図に記した水源の中には初台川源流の湧水、麻布宮村町の湧水、衆楽園釣り堀の湧水といった、庭園の敷地内に残されたものではなく、住宅地のど真ん中でたまたまひっそりと生き残ってきた湧水もあります。そんな湧水を1か所だけ、見てみましょう。

初台川(仮称)源流の湧水

小田急線代々木八幡駅の北、山手通りから少し入ったところに、かつて川に架かっていた橋がそのまま残っています。橋の名は「初台橋」、橋の横切っている路地は渋谷川の支流「宇田川」の支流の暗渠で、暗渠者の間では「初台川」「宇田川初台支流」などと呼ばれています。

15_初台橋

川は昭和初期に区画整理で改修されて直線状となり、その後1960年代に暗渠化されました。住宅地の裏手に、湿った空気を漂わせた暗渠が続いています。

16_初台川暗渠

暗渠を辿っていくと、最後には住宅に囲まれた窪地上の路地となります。段のついた坂を登ると暗渠は丁字路となって終わるのですが、その手前右手の大谷石の擁壁の下に、水が湧き続けているのを見ることができます。

17_初台川田端橋

一見ただの側溝にしか見えないかもしれませんが、そこに流れる清冽な水はまぎれもない湧水です。クレソンが自生していて、水温が一定であることが伺えます。この水は、私が知っているだけでも十数年、枯れること無く流れ続けています。かつて川が流れていたころも、変わらずに湧きだし川をかたちづくる流れへと加わってていたのでしょう。

18_初台川湧水

とりたてて保護されてきたものではなく、特に意識されることもない湧水が、偶然の積み重ねで生き残ってきたところに感銘を覚えずに要られません。逆に言えばこの湧水はいつ失くなってしまってもおかしくありません。土地の造成、周囲の建物の建て替え・・・ちょっとしたことで、かつては都内の各地に沢山あった湧水と同様に消えてしまうことも十分にありえます。

おわりに

さて、いかがでしたでしょうか。峡谷に湧き出す大河の一滴と同じように、都会の、姿を失った川にもその最初の一滴はありました。そしてそれらの中のいくつかはいまでもひっそりと残り、水を湛え、あるいは湧き出しています。庭園や公園、あるいは街の片隅で、池や湧水をみかけたならば、その近くに失われた川の痕跡が残っているかもしれません。
また、それらの水辺は時に水系としてひとつにつながっていました。今回取り上げた新宿御苑や明治神宮といった場所は、東京に生活する方ならば大部分がご存知だと思います。四季折々の休日に訪れ、その水辺の風景になごむ方も多いでしょう。しかし、それぞれの水がかつてひとつに集まって渋谷川の流れをかたちづくっていたということは、まず意識にのぼらないのではないでしょうか。
当たり前のことですが、水は必ず高いところから低いところへと流れます。そこに湧き出す水があれば、必ずそれらは低いところへと集まって川の流れが生まれるはずです。そして川は集まってより大きな川となります。都心を流れる川の多くがその水面を失ってしまった今、日常の中ではそれぞれの水辺の繋がりを感じることはありません。しかし、目に見えないかつての川の流れ=暗渠を意識してみると、それぞれの水辺は木の根のように枝分かれする水系のその根の先それぞれにあり、つながっていることがわかります。そしてそこから流れだした水が潤しかたちづくっていた、今では水のない水辺を、幻視できるのではないでしょうか。

この記事を書いた人

暗渠者 Underdrain explorer

本田創

1972年、東京都生まれ。小学生の頃祖父に貰った1950年代の東京区分地図で川探索に目覚め、実家の近所を流れていた谷田川(藍染川)跡の道から暗渠の道にハマる。 1997年より開始した東京の暗渠や河川、湧水を巡るウェブサイト「東京の水」は現在"東京の水2009Fragments"として展開中。 『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』(洋泉社)編著。 ほんとうは暗渠よりも清流が好き。

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