2014.12.19 Fri

水都広島の水辺デザイン① 太田川デルタ地帯のオープンスペース

水都広島の水辺デザイン① 太田川デルタ地帯のオープンスペース

太田川デルタの上に成立した水都広島の中心市街地には豊かなミズベ空間が存在します。第一回目はデルタを歩いて見えてきた水都の水辺オープンスペースのあり方をお伝えします。

水都広島の水辺デザイン① 太田川デルタ地帯のオープンスペース

広島の水都形成史

広島は太田川の河口デルタの上に成立した都市です。デルタとは三角州のことで、太田川が運搬する土砂が堆積されて生み出されました。太田川上流域の地質は花崗岩のマサ土で崩れやすく、これが土砂の供給源となっています。また、中世の太田川上流域では「鉄穴流し」(かんなながし)と呼ばれる製鉄が大変盛んでした。「鉄穴流し」は山麓の斜面を削りとった土砂を川の水でゆすいで砂鉄をより分ける手法で、「もののけ姫」にも登場する「たたら製鉄」の原料を取り出していました。「鉄穴流し」という人為的な地形改変により河口域における土砂の堆積はさらに進み、デルタは、1500 年代後半には、平和大通り付近まで形成されていました。

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1550 年頃の広島デルタ(想像図)(出典:広島城蔵)
デルタ上に初めて都市を築いたのは戦国武将の毛利輝元です。天正 17 年(1589 年)にデルタ最上部の広い島に築城し、城下町は「広島」と呼ばれるようになりました。低湿地で軟弱な地盤に築城するにあたって「城普請」に先立ち「島普請」から始めたといいます。たびたび来襲する水害に対抗するために、江戸時代に入ってからも治水事業は継続的に行われました。その策として、島の周囲に堤防を築き城側の堤防を高くすることで、洪水の際に対岸に越流させる「水越の策」、堆積した土砂を掘削する「川掘り」、水の勢いを削ぐために川岸から横堤を突き出す「水制」、川を分流させる 「一本木鼻の水制」、河畔林を植林して水害を和らげる「御留藪」(おとめやぶ)など数多くの伝統的治水技術が駆使されています。(*1)また、寛永 5年(1628 年)には河口への土砂堆積をふせぐために「鉄穴流し」は禁止されました。

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江戸時代の広島デルタにおける治水技術(出典:太田川水系河川整備計画(国管理区間))

それでも、デルタ上に築かれた水都・広島では水害が止むことはなく、ようやく人間が太田川をある程度コントロールできるようになるまで、実に1967年の太田川放水路の完成まで待たなくてはなりませんでした。太田川放水路はデルタ上流部・玖村での計画高水流量8,000m3/s の内、半分以上の4,500m3/sを広島湾まで流下させる能力を持ち、以降、広島デルタの中心市街地で大きな水害が発生することはなくなりました。

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太田川放水路計画図(出典:太田川水系河川整備計画(国管理区間))

デルタ地帯を歩く

実際にデルタを歩いてみることにしましょう。中心市街を流れる太田川の分流・元安川の平和記念公園付近の水辺です。
まず、とても驚いたことには、元安川には柵がないのです。これがとても気持ちいい。

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素敵なベンチがあって、おばちゃんたちやカップル、ランナーたちがのんびりと座っています。この開放感は都市の河川の景観でかなり稀なことです。河川堤防はフットパスになっていて樹木がたくさんはえています。スイスあたりの湖畔の街を思わせるような風景です。
道路を挟んだ背後のまちはカフェやブティックなどお洒落なお店が並んでいます。川に向けて開口部を大きく取った建築には、川との連続性が感じられます。堤防の地盤面が道路高とそれほど変わらないのが、一体感を高めています。

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岸辺から川にかけては、ところどころに水面まで降りられる小さな石の階段が付いています。これは干潮差5m程と大きい太田川デルタ流域で、水面にアプローチするための「雁木」と呼ばれる階段で、かつては生活物資を運搬する小舟の船着場として使われていました。なんと市内には400もの雁木がいまだに残っています。この雁木を船着場として再活用した、舟による「雁木タクシー」も営業されています。


岸上からは直接視界に入りにくいこのエアポケット空間は、高校生カップルのデートスポットとしても大変人気があるそうです。

さらに堤防上のフットパス歩いていくと、素敵なオープンカフェが見えてきました。


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堤防上にカフェが展開しています。水面から、遊歩空間、オープンテラスのテーブルが連続的に繋がっていて、非常に居心地がよい立地です。

日本のミズベでは規制があってなかなか成立しない空間構成です。どのような枠組みで可能になったのでしょうか?
広島市では「水辺のオープンカフェ」という社会実験を行っています。これは、平成16年の「河川利用の特例措置」(国土交通省通達)を受けて、京橋川右岸及び旧太田川(本川)・元安川地区の河岸緑地を店舗として活用する実験です。
事業スキームとしては、市、県、国、市民から成る「水の都ひろしま推進協議会」を結成し、河川管理者である国と県から占有許可を取るという形になっています。推進協議会は出店希望事業者を募り、デザインや事業、経営という観点から審査を行います。出店の基本条件としては、条件①:事業協賛金の納付、条件②:出店者による緑地の管理、条件③:公益的な空間・施設の整備、提供(公開空地の創出、通り抜け通路の整備、市民トイレの提供など)(地先利用型に限った条件)があります。このような条件を満たすことによって、民間事業者がパブリックな場所を占有できる替わりに、河川というオープンスペースをサポートすることによって公共性を担うという仕組みが成立しています。

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推進協議会の事業スキーム

さて、下流へ向かって移動してみましょう。イサム・ノグチデザインの橋の欄干が見えてきました。
野太くも伸びやかなモダンデザインが、橋というインフラに安心感と晴れやかさを同時に与えています。大変優れた土木デザインではないでしょうか。
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橋を越えると、なんと、川に浮いている不思議な館を発見しました。ボートハウスでしょうか。

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これは広島名物「かき舟」です。これからの牡蠣のシーズン、この舟に上がって牡蠣をいただくわけです。

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このように川岸から直接アプローチできるようになっていて、料亭のような和のたたずまいを持っています。

別のかき舟もありました。水辺に舟が停泊しています。

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この風景が保たれるためには水面下でなかなか大変な協議があるようです。河川管理者としては増水時に流下の妨げになる係留物をできるだけ置きたくない。もともと旧太田川河口域には沢山のプレジャーボートが停泊していました。プレジャーボート専用港を下流につくることによって、そちらへ移動してもらい水辺をすっきりさせてきたという経緯がありました。一方で、かき舟は広島市の観光資源でもあり、半世紀以上の歴史を持つ市民に愛される水辺の風物詩。市が河川管理者と協議しながら、なんとか占有措置を維持しているようです。

歴史的な遺産の上に成立している水都広島デルタ地帯の水辺のオープンスペース。
河川空間というパブリックな空間を、行政と協議しながら民間が使いこなしてきた歴史があります。そのかたちや仕組みは時代とともに変化していきます。一貫して、水辺利用の条件として問われていることは、いかに公共性を持ちえるかということであるように思えます。太田川デルタらしい水辺文化を醸成しているということも、公共性の一部であると感じました。

第二回目では川の水面からの視線で水都広島の水辺デザインを追いながら、ミズベリング広島会議の様子をお伝えします。

Writer's Profile
滝澤 恭平
まちづくりプランナー/編集者/ディレクター/水辺総研主任研究員/善福蛙事務局長/「ミズベリングプロジェクト」ディレクター

1998年大阪大学人間科学部卒業、角川書店にて編集者として勤務。2007年工学院大学建築学科卒業、ランドスケープデザイン事務所・愛植物設計事務所勤務。2011年より独立。雑誌「ソトコト」で地域の自然と人間の関係をさぐる“ハビタ・ランドスケープ”を連載。九州霧島火山のWebマガジン「あまつち」、テクノロジーと未来社会に関する「テレスコープマガジン」等を立ち上げる。地域、環境、技術などをテーマとしたコンテンツの編集、地域づくりのプロデュース等を行う。地元の水辺として、東京杉並区の善福寺川を市民力で里川に変える「善福蛙」で活動を行っている。
2014年東京工業大学大学院社会理工学研究科修士課程修了、水辺インフラの合意形成を研究。2015年、水辺総研を共同設立者として立ち上げ、全国の水辺のまちづくりを精力的にサポートしている。
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